53.夜歩きと追跡者
宗谷は冒険者の宿を離れ、街の中央にある広場に向かった。先程から早足に歩く宗谷の背後から、何者かが後をつけて来ている。おそらく、冒険者の宿の前で感付いた視線の主だろう。その尾行はお世辞にも上手とは言えず、追跡の心得が無い素人あるいは練度の低い
中央広場に辿り着くと、宗谷は噴水前のベンチに腰をかけた。すると、追跡者も足を止め、物陰から宗谷の様子を見ているようだった。既に尾行がばれている事は、まだ気づいていないらしい。
(――さて、適当に撒くのは簡単だが。どうしたものか)
この追跡者をここで撒いたところで、根本的な解決には至らない可能性が高い。また後日、同じように追跡されたりするのも気分が悪い。先程のメリルゥとの会話で、宗谷はこれから夜遊びをする事になっている。そう装った行動をするべきだろうか。
(夜遊びのフリか。ならば、この街で行く場所は決まっている)
宗谷は五分ほど噴水の前で休憩した後、
「そこの眼鏡の兄さん、この辺は初めてかい? ウチにしなよ。若い娘が揃ってるぜ」
「悪いが、もう決まっているんだ」
宗谷はガラの悪そうな、中年の客引きの男を適当にあしらうと、歓楽街の中に分け入った。件の追跡者は中央広場から尾行を継続している。
追跡者を誘導するように、店と店の間にある路地裏に入り、正面が袋小路である事を確認すると、宗谷は素早く魔術の詠唱を始めた。
「我が身は、魔力に彩られ風景と化す。
詠唱が終わると、宗谷の姿が周辺の風景に溶け込んだ。
少し遅れて、追跡者が路地裏に入ってきた。追跡者は、宗谷と同じようなフード付きの
「……おかしいぞ、こっちに来た筈なのに。俺の追跡がバレちまってたのか。……まさか、この壁を越えてったんじゃないだろうな」
追跡者の男は、袋小路にある建物の壁を見上げていた。壁は垂直に6メートル程の高さがあり、道具や魔法を使わず、身体能力だけで登るのは困難を極めるだろう。追跡者の男は迷ったような素振りを見せた後、舌打ちをすると、道具袋から鉤爪付きのロープを取り出し、登攀の準備をし始める。
「僕を探しているのかな」
「……あっ!」
「君に聞きたい事がある」
「……くッ!」
宗谷の問いかけに対し、追跡者の男は今更ながらフードを被り顔を隠すと、宗谷の脇をすり抜けようと走り出した。宗谷はそれを見送ると、逃走する追跡者の男の背に視線を集中させ、魔術の詠唱を始めた。
「――目に映りし、万物を我が手に。『
後一歩で、歓楽街の大通りに辿り着ける処だった追跡者の男は、
「さんざん追い掛け回して、今度は逃げるのか。
「うわあ! うっ……」
声を荒げかけた、追跡者の男の口を咄嗟に塞ぎ、宗谷は目を細めて薄笑いを浮かべた。
「静かに。……取って食おうという訳ではない。正直に話してくれさえすれば、手荒な真似はしない」
「ああああぁ……」
「静かに。と言った。三度目は言わせないでくれ。名前を聞いておこう」
「……ラット」
「
宗谷が肩に腕を回すとラットは、小刻みに震えながら、質問に小さく頷いた。
「では、冒険者証を拝見しよう」
「ま、待て……何故、俺が冒険者と?」
「
ラットが震えながら冒険者証を取り出すと、宗谷はそれを奪い取り翳すように覗き見た。
「ラット……。嘘では無いようだな。
名前と等級の確認を終えた後、ラットに冒険者証を返すと、宗谷はさらに質問を続けた。
「僕を見張った
「……アンタ、
ラットの答えに対し、宗谷は溜息をついた。危惧していた、地位や名声が高まる事による代償と言っていいだろう。宗谷の居た世界でも、有名人は嗅ぎ回られ、情報を売られる事が日常的に起きている。この世界でも、その点になんら変わりはない。
「どんな情報が得られた?」
「いや、殆どは……さっきあんたが居た、冒険者の酒場から追跡を始めたんだよ。女の仲間が二人居る事くらいで」
女の仲間とは、ミアとメリルゥの事だろう。それを聞いた宗谷は、表情を険しくした。
「そうか。今後、僕を追い回さないと誓ってくれ。当然彼女たちも」
「……わかった。アンタらを嗅ぎまわる事はしない」
「良し。この質問が終わったら解放しよう。最後に一つ。……ジャッカルに頼まれたのか?」
宗谷は以前の依頼で一悶着あった、眼帯をした赤毛の盗賊の名を挙げた。確か彼は
「……なッ!」
ラットが動揺した。カマをかけてみたが、どうやら図星だったようだ。
「正解かね。……いや、動物の名前でピンと来ただけだよ。ははは、まさか盗賊ギルドは、動物園ではないだろうね」
宗谷は目を細めて笑うと、ビジネススーツのポケットから金貨を一枚取り出し、ラットに手渡した。
「質問は終わりだよ。この調子だと、君は食い扶持に困ってそうだし、生活費の足しにでもしてくれ。――ラットくん。誓いを忘れないように」
宗谷は仕事柄よく使う事があった、営業スマイルを浮かべた。それを見たラットが異常なくらい震えあがり、覚束ない足取りで、路地裏から一目散に走り去っていった。
「はて……友好的に務めたつもりだったが、何処か怖かっただろうか」
宗谷は少しショックを受けると、手鏡を取り出し、先程の営業スマイルを確認してみた。いつも通りの笑顔の筈だが、確かに
(しかし、ジャッカルか。盗賊ギルドの幹部となると、多少面倒ではあるな)
宗谷は、勇者ランディを馬鹿にしていた、下卑た笑いをする赤毛の盗賊を思い返した。不愉快極まり無い性格の男だったが、この一件だけで今後一切関わってこないなら、それはそれで構わない。
ただし、今後も継続して嗅ぎ回られるようなら、此方から打つ手を考えなくてはいけないだろう。このような盗賊の
ただ、単純な暴力で解決すればいいものでも無かった。今後、宗谷達も冒険を通じてイルシュタットの盗賊ギルドを利用する可能性がある。盗賊ギルドそのものと敵対する事態は避けたい。
(まあ、この件は追々考えよう。暇を見つけて、盗賊ギルドに顔が利く、友好的な
そのような事を考えつつ、宗谷は路地裏を後にすると、元居た冒険者の宿に向けて、ゆっくりと歩き出した。
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