43.ある女神の庭園で
目を覚ますと、宗谷は大樹の傍で横たわっていた。柔らかな陽射し。小川のせせらぎの音。小鳥の鳴き声。辺り一面に広がる庭園。……それは確かに、遠い記憶の中に存在する風景だった。
「お目覚めですか。お久しぶりですね。レイ」
横たわる宗谷の傍に、腰まで届きそうな水色の髪と同じ色の瞳の、白い薄布を纏って立っている女性。
何処か懐かしさを覚えるその人物は、大樹の傍に横たわる宗谷を見下ろしながら、少しテンションの高い声で話しかけてきた。
「やあ……君か。顔を見たいと思ってたよ。だが、その呼び名は止めてくれないか。今は宗谷と名乗っている」
某地方企業 課長
それが現世における彼の肩書だった。
「ずっと思ってたんですけど、どうしてソウヤと名乗っているんですか? 誰も貴方がレイってわからないじゃないですか。効率重視の貴方らしくない」
「……それは、二周目だからだよ。女神エリス」
宗谷が簡潔に理由を説明すると、女神エリスは全く理解出来ない風に首を傾げた。
「はぁ。あえて望んで苦労をしているみたいですね。……私には理解できません」
「そういう楽しみ方もある。……しかし、ここに来たという事は、僕は力尽きたのか」
「はい。貴方は死にました」
エリスの声は何処か嬉しそうだった。その理由は分からなくはないが、宗谷はその言い方に少し不機嫌になった。
「笑うなよ。……反省点としては、猛毒が厄介だった。ミアくんも頑張って神聖術で対応してくれたが、まだ致死毒を一回で治せるだけの力は無い。君から猛毒防御の加護も貰っておくべきだったか」
横たわったままの宗谷の表情は、あと一歩でしくじった事の悔しさが滲んでいた。あの黒い刃さえかすらず避けきれれば、相打ちにならず勝利する事が出来たのだ。
「
「……簡単に言ってくれる。あれを、ごときと言うならば、君の言う世界の危機なんかには、関わりたくないというのが本音だ」
宗谷は先程の
「僕は大して強くない。世界の危機とやらは誰かに任せて、のんびり暮らす。というのは駄目なのかね?」
「現世に帰りたくないなら、それでも構わないですよ。……というより、私としては残ってくれるなら、それで全然構いません。……でも、貴方はそれを知れば、必ず関わりたくなると思います」
エリスの真剣な眼差し。きっと何か宗谷の関わりのある範囲で、何か良からぬ事が、あの世界で起きているのだろうか。
「すまないが、英雄なんかになりたくないんだ。僕が現世でどんな地位に望んで就いていたか、君も知ってるんだろう?」
「知ってますけど、レイとあろうものが、ずいぶん腑抜けてしまいましたね。……そういえば髪はもう染めないんですか? 銀色の髪、似合ってましたよ」
「……もう一度言うが、今の僕は宗谷を名乗っている。昔のような、若者ぶりは期待しないでくれ」
二十年前の封印したい記憶を鮮明に思い出し、宗谷は不愉快な気分になった。若気の至り。もし二十年前にタイムスリップ出来るなら、若い頃の自分を殴ってやりたい程だった。
「では、ソウヤ。二十年ぶりの対面で何か言う事は? ありますよね」
女神エリスは何かを期待するように、宗谷に問いかけた。
「……そうだな。まず、最初の手紙が回りくどいし、字が汚い。このスーツは良い物だが、眼鏡はもう少し違う機能が欲しかったな」
「……本っ当に昔から失礼ですね。何でもかんでも要求して、その言い草。ハイクラスの品物を用意するのは、私だって簡単ではないんですよ?」
「それは悪かった。……では、君から教わった、
宗谷が素直にお礼を言うとエリスの表情が緩んだ。それを見られたのに気づいて、彼女は慌ててそっぽを向く。
「一つ聞きたかった。……どうして二十年前、あの時、僕を
「はぁ、また説教ですか。死にたかったとか、助けてくれと頼んだ覚えはないとか……うんざりですね」
「違う。そうじゃない。……本来、転生せずに死ぬべき運命だった僕を、どうして助けたんだ」
宗谷は真剣な眼差しに、エリスは視線を外した。
「……さあ。どうしてでしょう……レイが居なくなってから、ずっと考えてました。でも答えなんて」
宗谷とエリスの問答は続く。
「ソウヤ。貴方はどうして現世に帰る事を選択したのですか? もし現世に未練が無いのなら、望まれた世界で生きていけば良かったのに。ロザリンドだってそれを望んでたはず」
「……この世界には家電やインターネットが」
「茶化さないで」
「そうだな……君や彼女に老いていく姿を見せたくなかった。それでは駄目かね?」
「私の力で、貴方は不老不死にだってなれる。……どうして、それを望まないのですか? なんなら望んでください。今すぐに」
不安そうに宗谷を見つめるエリスの、期待するような声。だが、宗谷は首を振った。
「死に対する願望。それを捨てることは出来ない」
宗谷は倒れた姿勢のまま、虚ろな瞳でエリスを見ると、両手を伸ばし道化のように笑った。
「僕は人間で、君は女神。所詮、相入れない存在だろう? ……これ以上、何を語る事がある」
宗谷の口から漏れた、決定的な拒絶の一言。すると、悲しげな表情で見つめていたエリスが、突然、両手で顔を覆った。
「……よく泣くね、君は。そんなので、女神という物は務まるのか……? 君が常日頃、上司に怒られてないか、とても心配だったよ」
宗谷はその様子を見て、一際大きく溜息をつくと、ようやく上体を起こした。
「二十年も経ってるから、多少はしっかりしたのかと思ったが、全然だな。どうせ、まだ新米扱いだろう」
「……ええ。貴方のせいで、出世は絶望的ですから。必ず責任は取って貰います。死ぬなんて許しませんよ」
エリスの恨みがかった声に対し、宗谷は抗議をしようと考えたが、今の処は止めておいた。
「とりあえず、コンテニューさせてくれ。
「まだやる気はあるみたいで、安心しました……ゲームオーバーでいい。と言いかねない、雰囲気でしたから」
エリスは少しほっとした様子で、宗谷の傍に近寄った。
「……また、逢えますか?」
「……保証は出来ないが、多分。僕は弱いから、また来る事になるかもしれないな」
自嘲気味に笑う宗谷の、少し透き通った精神体を、エリスは抱擁する。少しの間の後、宗谷の精神体は黄金色の眩い光に包まれて、本体の元へ空間転移をした。
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