34.不安と暗転

 前回の冒険を終え、宗谷が焼失した白紙級ホワイトの冒険者証を再発行してから、五日が経った。宗谷とミアは暫しの休息を楽しみつつ、その合間、宗谷はミアに約束通り、冒険者ギルドにある空いた机を借りて、算数を教えていた。


「分数はわかりました……ですが、分数分の分数? ……頭がこんがらがりますね」

「一番上と一番下の値を掛けて上に。上下挟まれた値を掛けて下に。とりあえず、今はそう覚えればいい」


 ミアが問題につっかえるたびに、宗谷は的確に説明を入れた。ここに居る理由は、勉強の指導がてら、次の依頼に備える為でもあったが、宗谷とミアの二人がこなせそうな依頼はなかなか入ってこなかった。

 

「さて、今日はここまで。……これからお勤めかね?」

「はい。大地母神ミカエラ様の神殿へお祈りに行ってきます。暗くなる前には戻りますね」

「熱心だね。頭が下がる思いだ。僕は不真面目だから、とても、ミアくんのような真似は出来ない」

「不真面目なんてそんな事ないですよ。……それにソウヤさんの良さは、他にもあると思います。今日はありがとうございました。……それでは行ってきます」

 

 ミアは傍らに置いた神官の杖クレリックスタッフを手に取ると、ゆっくりとした足取りで冒険者ギルドを退出した。彼女は冒険の無い休暇中は、大地母神ミカエラの神殿に、朝と夕、一日二度勤めに出掛けていた。

 神官クレリックの仕事は、大地母神ミカエラの神殿で怪我人に負傷治療キュアウーンズ解毒治療キュアポイズンを行い、御布施を頂く。その大半は神殿に納める事になるが、ごく一部は生活費として治療を施した術者の手に渡るらしい。


(ミアくんは神殿勤めがあるから、冒険が無くても生活する分には困らないわけだ。そういえば、メリルゥくんも、オカリナの演奏で生活費を稼いでると言ってたな。僕は魔術を使って……という訳にはいかないのだが)


 この世界には魔術師マジシャンズギルドという大きな組織が存在し、魔術を使った明確な商売に対し、厳しく取り締まりを行っていた。

 営利目的ではない、個人的な使用に対してまでは追求はしないが、例えば石塊兵ロックゴーレムの魔術を用い、力仕事をさせて直接お金を稼ぐと言った手法は、魔術師ギルドは許可をしていない。

 冒険者ギルドとも密接な提携関係にあり、魔術師ギルドでブラックリスト入りする事は、冒険者としての立場も相当危うくなりかねない。


 宗谷が受付まで移動すると、受付嬢のルイーズが、カウンターで頬杖をつきながら専門書を読んでいた。受付嬢兼仲介役の仕事は、忙しい時と退屈な時の緩急が激しいようであった。


「あら……ソウヤさん。ミアの勉強はどう? 捗ってるかしら」

「お疲れ様です。ミアくんは賢いですよ。ただ、今まで学ぶ機会に恵まれていなかったようだ」

「へえ。では、一ヶ月もすれば賢いミアが見れるかしら。……ソウヤさん、座りませんか? あと少しの間は暇してます」


 ルイーズの誘いに乗って、宗谷はカウンターの傍にある椅子に腰を掛けた。対面のルイーズは、退屈そうに頬杖をついている時ですら、相変わらず隙が見当たらなかった。


「ソウヤさんってどこで知識を学んだんですか。かなり高度な数学を理解してるみたいですが、魔術師ギルドには属してないのでしょう?」

「独学ですよ。……ええ、魔術師ギルドに所属してた方が良い事もあるのでしょうが、入会費が高すぎますね」

「まあね、確かに。……それに魔術師ギルドは学院アカデミー出身者以外は肩身が狭いって聞くわね。ソウヤさんには合わなさそう……と、いけない、悪い事は言えないわね。提携している御得意様でもあるし、学院アカデミー出身の冒険者にも失礼だったわ」


 ルイーズは失言とばかりに、手のひらで口を抑える仕草をした。ルイーズの言う通り、魔術師ギルドが設立している学院アカデミー出身の魔術師マジシャンは、エリート意識が強く、鼻持ちならぬ輩が一定数存在した。

 二十年前、学院アカデミー出身のプライドの高い宮廷魔術師に恥をかかせて、後々まで面倒な事になったのを宗谷は思い出し、宗谷は苦笑いを浮かべた。


「そういえば、ルイーズさんは白金級プラチナ達人剣士ソードマスターと聞きましたが。今は冒険は殆どされてないそうですね。それに対して未練は無いのですか」

「……あら、誰から聞いたのかしら?」

「ミアくんから。なので勝負しましょう。といった話はお断りします。僕も怪我はしたくないので」

「……機会があったら、戦う姿だけでも見せてください。とても気になっているので。冒険者の未練……無くはないです。ただ、今の仕事の方が断然遣り甲斐があるわ。依頼の仲介は、過去の経験による知識を十二分に活かしてこそ、務まる仕事と自負してます」


 彼女が白金級プラチナに至るまで、数多の冒険で経験を重ね、現場を知っているからこその調整能力というのは確かにあるのだろう。


「後は、冒険者の頃は褒められても、強いとか勇ましい怖いとか鬼とか。……失礼なのもいくつか。今の方が楽しいですよ、綺麗ですねって言われたりするのは。まあ、怖いって言われることも相変わらずありますが」

「なるほど。冒険者の身なりでも、ルイーズさんは綺麗だと僕は思いますがね」

「あら、御世辞でも嬉しいです。ご覧になりますか?」


 ルイーズは蜂蜜色の髪を揺らし、妖艶に微笑んだ。ご覧になりますという事は、恐らくは剣の試合の誘いだろうか。


「――大分旅の疲れが取れたので、そろそろ次に向けて動きたい所です。僕達がこなせる依頼は無いでしょうか」

「……えーーっとですね………二人かつ、一人は白紙級ホワイトとなると、かなり限られてしまいます。勿論、本来はソウヤさんがそのレベルで無い事は知ってますけど。……仲間を増やす気はありませんか?」


 真顔で話題をかわす宗谷に、ルイーズは釈然としない様子だったが、すぐに仲介役の仕事として対応し、宗谷に仲間の増員を勧めてきた。


「……今の所は。こう見えて人見知りなので。まあ、急いては事を仕損じると言いますし、のんびり行くつもりですが。……と、こんな事を言っておいて、聞くのもなんですが、僕の白紙級ペーパーはいつ取れるのでしょう」

「依頼内容次第では次にでも卒業です。明確に青銅級ブロンズ相当と認められる依頼なら、最短で二回と規約で決まっています。こないだみたいな小鬼ゴブリン退治なら、まあ、間違いないですよ」


 確かに小鬼ゴブリン退治が出来るなら、青銅級ブロンズの実力があると明確に言えるだろう。退治依頼をこなすのが実力の証明に手っ取り早そうであった。もっともスレイルの森で遭遇した、恐狼ダイアーウルフを宗谷は狩っているので、実力の証明は今更な感じではあった。後の祭りだが、首でも持ち帰れば証明にはなったのかもしれない。


「……そういえば、風を断つ者達ウィンドブレイカーズは大丈夫かしら。村まで片道一日半。砦まで一時間。五日目……順調ならもう帰っててもおかしくないのだけど」


 ルイーズが不安そうな表情を浮かべていた。依頼の仲介役として責任を感じているのあろう。


「ランディくんは白銀級シルバーなのでしょう。仮に小鬼王ゴブリンロードが相手でも遅れは取らない筈」


 宗谷も、四日前会った勇者ランディと風を断つ者達ウィンドブレイカーズの事を思い出した。

 彼は少し身勝手な面がある自信家だったが、話を聞く限り勇者としての実力は確かで、小鬼ゴブリン如きに遅れを取るとは思えなかった。 

 

 ――その時、ギルドの入口の戸が、ゆっくりと軋むように開いた。

 その半端加減に、ルイーズが不審に思い、目を向け―――そして絶句した。



「…………ルイーズさん。すまない。……大変な事になった」


 冒険者ギルドの玄関から現れ、力なく呟いたのは、風を断つ者達ウィンドブレイカーズ狩人ハンタートーマスだった。その大柄な体格の背には、血でうっすら染まった包帯を額に巻いた、赤毛の魔術師レベッカが担がれていた。

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