20.満月の夜と森妖精

「……ふん。生命樹の大森林ユグドラシル・フォレストか。懐かしい名前だな。もう二度と戻る気はないけどな」


 森妖精ウッドエルフの少女は悪態をつくと、焚き火にかけられた鍋の方に近づいて、中身をかき回し始めた。両サイドにある緑の髪のおさげが、それに合わせてゆらゆらと揺れ動いている。

 とても不機嫌そうな表情だが、ジト目気味の眼が彼女をそのように見せているのか、野営の邪魔をされて本当に不機嫌なのか、宗谷には判断がつかなかった。


「君が用意した火なのに勝手に当たって悪かったね。森妖精ウッドエルフのお嬢さん、もしよければ名前を聞かせてくれないだろうか」


 宗谷は森妖精ウッドエルフの少女に名前を尋ねた。少女は無言のまま、鍋をかき回していたが、やがて一瞬手を止めた。


「メリルゥ」


 森妖精ウッドエルフの少女はひとこと名前を告げると、再び無言で鍋をかき回し始めた。


「メリルゥ。可憐な名前だね。さきほど名乗ったとおり、僕は宗谷という。この格好だが一応魔術師マジシャンで通っている」

魔術師マジシャン? なるほど。それで透明化インビジビリティを見破れたってわけだな」

「御名答。声をかけるのが遅れたのは悪かったよ。僕たちも周囲を警戒する必要があった」


 透明化インビジビリティを見破ったのは、実際には黒眼鏡の特殊能力であったが、宗谷はあえてメリルゥの言葉を肯定しうなずいた。そして存在を看破しながらも、しばらく声をかけずに様子見をしていた事を謝罪した。


「あの、私は大地母神ミカエラ神官クレリックミアと言います。メリルゥさん、よろしくお願いします」

「オマエ、大地母神ミカエラ神官クレリックなのか。……それなら……いや、だめだ」


 メリルゥはミアの方を振り向いて、何かを言おうとしたが、途中で言葉を止め、首を振った。


「……メリルゥさん、どうかしましたか?」

「なんでもない。それより、わたしも冒険者なんだ、一応な。……まあ、もう半年近くは、ほとんどこの森で生活してるから、冒険なんてしてないけどな」


 メリルゥは地面に置いてある大型の背負い鞄リュックサックを漁ると、銀色の冒険者証を取り出し、宗谷とミアに見せた。


「……おや。白銀級シルバーとは。どうやら僕たちより上のようだ」

「なんだ、オマエたちは、これより下なのか」


 冒険者等級ランクによる若干の優越感からか、メリルゥの表情が少しゆるんだよう見えた。

 ミアもメリルゥと同じように肩掛け鞄から青銅級ブロンズの冒険者証を取り出して、メリルゥに提示した。


「私は青銅級ブロンズです。……えっと、お互いの登録番号を見る限り、メリルゥさん、かなり先輩みたいですね」

「ああ。わたしが生命樹の大森林ユグドラシル・フォレストを出て、外界の旅を始めたのが、だいたい二年前くらい前だ。イルシュタットで冒険者になったのはもう少し後だけどな」


 二人の様子を見て宗谷は渋い顔をすると、胸ポケットから白紙級ホワイトの冒険者証を指で摘み、あまり見せたがらない様子で、ひらひらとなびかせていた。


「ミアくん、君がそれを見せてしまうと、僕も出さないといけない流れになってしまうな」

「……ああ、なんだ、そっちのオジサンは初心者ルーキーだったのかよ。ちぇ、びびって損したぜ」

「今回が初めての冒険でね。メリルゥ先輩、お手柔らかに」


(まあ、警戒を解く意味では、良かったかもしれないな)


 宗谷がそんな事を考えていると、突如、風が吹き、摘まんでいた白紙級ホワイトの冒険者証が飛ばされた。


「しまった」


 宗谷は片手を伸ばして、冒険者証を掴もうとするが、ひらりとかわされ、風に舞った宗谷の白紙級ホワイトの冒険者証は、焚き火の中に消えた。


「やれやれ。やってしまったかね」


 宗谷は知った事ではないと言わんばかりに、肩をすくめた。


「ソウヤさん、ルイーズさんに怒られますよ」

「まあ、白紙級ホワイトの証は再発行が容易と言ってた。なるべく無くすな。とは、言われたが」


 その様子を見ていたメリルゥが、にやにや笑っている。


「おー、オジサン、やっちまったな。あそこのギルドの受付の姉ちゃん、おっかねえだろ。……まあ、なんだ。飯でも食わねえか。少し余分にあるから」




 夜が更けて、少しばかりひんやりとした冷気が漂い、三人は焚き火を囲い暖を取った。

 メリルゥが空いた食器に鍋に入っていたスープを掬い、宗谷とミアに渡した。


「ほらよ。口に合わなくても文句はナシな」


「どうもありがとう。遠慮なく頂こう」

「メリルゥさん、頂きます」


 渡されたスープは野草と鳥肉入りで、時間をかけて丁寧に灰汁あくも抜き、手間かけて作られているのがスープの透明さからうかがえた。

 良く火が通り、柔らかくなった鶏肉が良い出汁だしとなりスープに味が染み出している。そしてアクセントとして、生姜しょうがのような辛みのある野草が、効果的に鶏肉を引き立てていた。


「手が込んでいるね。とても気に入った」

「メリルゥさん、とても美味しいです」

「ん。……まあ、それほどでもあるがな」


 メリルゥは二人に褒められて、少し照れたような態度を見せた。


「……そういや、オマエたち、何しにスレイルの森に来たんだ?」

「ああ。僕達は、ナイトグラスの採集にね。夜に仄かな魔法の明かりを放つ野草なんだが、メリルゥくんは、知ってるかね?」

「ソーヤ、わたしは森妖精ウッドエルフだぜ。当然、森の野草の事くらい知ってるさ。そうか……あれを、摘みに来たのか」


 メリルゥは何か思案していた。俯き加減で、沈んだような暗い表情。


「故郷でも思い出して、郷愁ノスタルジィに浸っていたのかね」

「違えよ。ちょっとな……なあ、オマエたち、もし良かったら」


 ――メリルゥが何かを言いかけた、その刹那。


『アオオオオオオオオオオォォォォォォォン』


 空間を切り裂くような、獣の遠吠えが響いた。続けて、複数の足音。地を蹴る音は軽快に、そして段々と近づいてきている。


「……おや。美味しそうな匂いに釣られたか」

「オオカミだな。普段なら大した事ないんだが、今日は満月の夜だ。これは、ちょっとばかり苦労するかもしれないぜ」


 傍に置いた短弓ショートボウを掴んだメリルゥが、空を見上げながら呟いた。双子の月が満月を描き、深青に染まる空を食いちぎっている。


「満月……月齢の影響を受けるんですか?」

「そういう特殊な狼も居る。ミアくん、焚き火から離れないように」


 宗谷はスープの皿を地面に置くと、近場に落ちていた石塊を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る