第1章 草原と神官の少女

2.ある女神への追憶

 宗谷は楕円の形をした双子の月が照らす薄明かりの中、二〇年前の記憶を思い起こしながら、ただひたすらに夜の草原を歩いていた。


(――まずは知っている街を目指す。だが、この世界は二〇年前と変わりないだろうか? それにあれ・・がなければどうしようもない)


 困惑した表情の宗谷が考えるあれ・・とは大層なものではなく、この異世界における通貨である。


(なあ、女神よ、僕はそんなに意地悪だったかな。もしかして意趣返いしゅがえしのつもりかい?)


 宗谷は苦笑いを浮かべ、彼が二〇年前に出会った、ある女神を追憶した。


 ――二十年前、見知らぬ母子を交通事故から助けた宗谷は、新米の女神によって異世界に強制転移させられた。

 女神の未来予測ではトラックに跳ねられ、死亡した宗谷の魂のみに転移をかけるつもりだったらしいが、新米の女神は見るにえなくなったのか、衝突する寸前、先走りして宗谷の肉体ごと転移させてしまったと説明していた。

 本来なら命の恩人である新米の女神に感謝しなくてはいけない事だったのかもしれない。だが、当時高校生だった宗谷は、義父との折り合いが悪かったこともあり、思春期特有とも言える、すれた面倒な性格をしていた。


「何故、僕が世界を救わなければいけない? 勝手な事を言うな」

「助けてくれと言った覚えはない。むしろ死ねた方が幸せだった」

「人に物事を要求するならば、相応の対価が必要なんじゃないか?」


 世界を救う要求をする新米の女神に対し、宗谷は逆に様々な文句と要求をした結果、遂には新人の女神を泣かせてしまった。宗谷の方にも言い分があったとはいえ、完全に若気の至りであった。それで今回当てつけで、今回このような転移の形になったのかもしれない。

 とにかく女神の呼び出しのない、以前と違った形での異世界転移ということである。通貨がなければ、生活必需品や寝処を確保する事も困難であり、あと一日過ごせば嫌でも空腹に襲われ、睡眠を欲するようになるだろう。

 

       ◇


 数時間歩き、宗谷は休憩するのに手頃な岩場をみつけると、程良い高さの平らな岩に腰をかけ、一息ついた。若干の空腹感はあるが、まだまだ体力は残っている。

 とはいえ、体力がありあまり、好奇心でいくらでも歩くことが出来た若い頃とは違い、だいぶ体力も気力も落ちているのは否めない。宗谷は溜息をつくと、歳を重ねたことを実感した。

 

 休憩中、宗谷は一つの違和感を覚えていた。今着用しているダークグレーのビジネススーツは、やけに着心地がよい。心地よさは冷涼な夜の草原の空気のせいかと思っていたが、どうやら違うようだ。

 ビジネススーツは名が表すように、ビジネスにおいて必需品ではあるが、機能性を考慮すると長旅の服装としては向かないものだった。それがやけに身体に馴染んでいて、しっくりとしてくる。宗谷はあごに手を触れて、もう一度この世界に来る前の記憶をたどり始めた。


(山田くんの誘いを断りマンションに帰宅。玄関に鞄を置き、スーツを着たまま、自室のベッドに倒れこんだ。……おや?)


 違和感の正体。宗谷の視線は足元にあった。

 黒いビジネスシューズ。酔って帰宅したわけではない。靴は帰宅の際、当然玄関で脱いでいた。


(どうも感覚がぼやけている。違和感はこの草原が異世界だからではない。何かがおかしいな。まさか)


 宗谷はビジネススーツの内ポケットに手を入れてみた。すると、二通の封筒と眼鏡ケースが入っている。

 手紙の封にはⅠとⅡの記号が記されていた。宗谷はその内のⅠと書いてある手紙の封を開き、取り出した手紙に視線を落とす。が、見知らぬ文字の羅列で、読む事が出来ない。


(短い文節のようだが。解読不可能)


 宗谷は少し思案し、手紙と共にあった眼鏡ケースを開く。すると中には黒縁眼鏡が収納されていた。眼鏡を取り出し、顔にかけ、もう一度Ⅰの封がされた手紙を読み返す。すると。


『貴方に合った装備を用意しました。スーツの上下、靴、眼鏡は、高レベルの強化エンフォース修復リジェネーションの加護を施した特注品です。さらに眼鏡には、翻訳トランスレイト弱点看破ウィークポイントの付与。他には何もあげませんからね。この鬼畜眼鏡! 女神エリス』


「あははははは」

 

 回りくどい仕掛けギミック。なるほど、顔を合わせたくなかったのだろう。随分と嫌われたものである。宗谷はせきを切ったように爆笑した。


「くくっ、感謝するよ。願わくば、久々に姿を見せて欲しかったがね。それと相変わらず字が汚いな」


 そして、もう一通の手紙、封にⅡと書かれた手紙を開く。


『……勝手だと思いますが、再び世界を救っていただけますか。世界の危機がどのようなものかは、ここには記しません。貴方にその気があるなら、旅の中で見つけてください。 女神エリス PS:現実世界へ戻りたくないなら、しなくても結構です』 


 今度は小さな苦笑いを浮かべた。ただ冗談めかしてはいるが、多少深刻さが窺えるような文に見えなくもなかった。宗谷はエリスの手紙を折り畳み、封筒にしまうと、元通り、内ポケットに放り込んだ。


「まあ、二〇年ぶりの異世界だ。僕だって多少気になる事はある。……再び世界を救う。とやらは、ゆっくり考えさせてもらおう。だが、鬼畜眼鏡とは。はて、僕の事だろうか」


 女神エリスは特徴を眼鏡でとらえていたのだろうか。近頃はコンタクトレンズを愛用していたので、眼鏡を着用したのは久々であった。とはいえ便利な機能もあり、そして良く顔に馴染む。目を守る為の装備だと思えば悪くは無いのかもしれない。宗谷は目を細めると、そっと魔法の黒眼鏡を指で抑えた。

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