元異世界転移者だった課長のおじさん、人生二度目の異世界を駆け廻る

銀麦

プロローグ

1.人生二度目の異世界転移

 宗谷そうやは地方都市の商社の社員である。三七歳男性で独身。勤続十二年目で役職は課長。社内の人事評価は中の上。仕事ぶりは真面目で、与えられた仕事は堅実にこなし、さらに上の役職に付く事を会社から望まれたが、彼の仕事に対する熱意は高いとは言えず、責務が大きくなる課長より上への昇進を頑なに固辞していた。

 気性は穏やかで、物腰も柔らか、クールで知的な雰囲気を持つが、人付き合いは良いとは言えず、体育会系寄りの人間がヒエラルキーの高い社内では、目立たぬ存在として若干浮いていた。尤も彼は孤立することを特に苦とせず、むしろ自ら好んでそうしていた。

 

「宗谷課長! 今日一杯飲んでいきませんか?」

「山田くん。僕は帰宅するよ。車で通勤してるからね」

「そんな事言って、運転代行サービスもありますって」

「それは便利だと思うけど、僕の知らない奴に愛車を運転させたくないなあ」

「とにかく、たまには飲み会しましょう!」

「新年会、歓迎会、忘年会。年に三つあれば僕は十分だと思うがね。では失礼」


 と、このような具合に宗谷は誘いを巧に断った。あまり口を開かない男だが、断り文句を考えるのは得意だった。彼はコミュニケーション障害というわけではない。むしろ仕事柄、人と接する事自体は苦手ではなく、ただただ、自分だけの時間を大切にしたいだけであった。そんな男であるから、勿論嫌いなのは時間外労働である。


     ◇


 かすかな肌寒さと、草の匂いと、小虫の鳴き声。宗谷は大樹の木陰で目を覚ました。

見慣れぬ風景に、宗谷は一瞬、困惑した表情を浮かべたが、深呼吸をし、ゆっくりと起き上がると、まず身体の異変を調べた。どこも怪我をしている様子はなく、愛用のダークグレーのビジネススーツを身にまとっていた。


(山田くんの誘いを断りマンションに帰宅。玄関に鞄を置き、スーツを着たまま、自室のベッドに倒れこんだ。それから……目覚めて、ないのか?)


 宗谷は頭を軽く手のひらで抑え、記憶を辿ろうとするが、ベッドに倒れこんだ後のことが全く思い出せなかった。まさかとは思うが、ここは死後の世界だろうか。想定外の事態に普段冷静な宗谷も思わず苦笑いを浮かべた。

 辺りを見回すと、大樹の周辺には暗緑あんりょくの草原が広がっていた。その幻想的な景色に風情を感じたが、今はそれを楽しめる状況にないのは明らかだった。要領が全く掴めず困惑した宗谷はふと上空を見上げ、そして驚愕した。

 夜空には煌めく星々と共に月が輝いていた。上弦月を過ぎ、幾分膨らみを帯びた楕円の月が二つ。


(馬鹿な……二つの月だと?)


 宗谷は双子の月に目を奪われた。そして突然、頭に鈍い痛みが走った。


「……くっ」


宗谷は頭痛と、目の前で点滅する残像に顔をしかめ、片膝を付き、右手で額を抑えた。


 双子の月、交通事故、女神、剣、魔術、白銀、勇者、聖女、森妖精ウッドエルフ、司教、黒騎士、ギルド、冒険、山脈、平原、洞窟、森林、宵闇、黄金の魔王ゴールドデーモン、別れ―――異世界転移


 途切れ途切れに浮かび上がるフラッシュバックの映像。宗谷は大きく目を見開いた。この草原は二十年前に訪れた事のある場所に相違無かった。


(――ああ、そうか。そうだったな。ただいま・・・・、とでも言うべきだろうか)


 宗谷は長らく忘れていた記憶を取り戻し追憶する。


(高校生の頃、女神の導きでこの世界に迷い込んだ。そして旅を続け、仲間と知り合い、それから、どうなった?)


 まだ記憶がはっきりしない。だが、自分がこの世界に転移したのは、何か理由があっての事だと宗谷は直感した。この世界で何か異変が起きたのかもしれない。


「二〇年越しの異世界転移、か。――やれやれ、唐突過ぎる。せめて休職届くらい書かせて貰いたいものだ」

 

 宗谷は空に向かって一人呟いた後、再び立ち上がり、ビジネススーツのほこりを払い、薄暗い草原をゆっくりと歩き出した。

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