愛の惑星

 じりりりりりりりりり・・・・・・・

 廊下にベルの音が鳴り響くと、あわただしく部屋に入ってくる者が増えた。ある者は談笑しながら、ある者はうつむいて、ある者は疲れたような顔をして。これから受ける研修の内容に、構えているものは多くない。緊張してもどうしようもないものだからだ。そんな共通認識のせいか、部屋の中にはどこか和んだ空気が満ちている。

「さぁ、席に着いてください。席順は決まっていますから、間違ったところに着席しないようにお願いします。わかっていますね、こちらもあまり時間がとれませんから、きちんと一回で指示に従って貰いたいんです」

 講師が名簿を取り出して、全員の名前を読み上げる。呼ばれた者は返事をする。退屈な点呼が終わったとき、ようやく次のステップに進める徒労感で講師役は深いため息をついた。

「皆さん、ご協力いただき、ありがとうございます。初めての人もいるでしょうが、何回か経験している人の方が多いですよね。あまり脅かすつもりはありませんが、なにぶん繊細な作業ですので、ふざけたりするのはやめてくださいね。分からないことがあれば、何でも伺いますから、手を挙げてください。遠慮はいりませんよ」

 講師は全員の顔を見渡し、よしっと小さく頷いた。

「それでは配布している物が手元にそろっているか、確認してください。まずエプロン。これはもう今装着してもらって構いません。次に防塵マスク。長いこと装着していると空気が足りなくなって頭が痛くなるので、合図があってから装着することをおすすめします。次に設計図。これはプリントしてあるものを配布していますが、プリントに名前が書いてあります。自分の名前が書いてあるか確認してください。少しずつ設計図は違いますから、交換なんてしないように。次に設計図を見ながら話ますが、分量が違うので注意してください。黒色火薬・・・」

 講師の声は続き、全員に漏れなく響きわたった。配布物が漏れなく行き渡っていることを確認すると講師に笑顔が広がった。

「ではマスクを装着してください。エプロンもお忘れなく。まずは皆さん用意していただいた髪の毛か爪を黒色火薬に混ぜてください。できたら型にいれてぎゅっと固めます。そこ、こぼさないでくださいよ。気をつけて。第一段階が一番肝心ですから」

 手元に準備された乳鉢に髪の毛と黒色火薬を入れ、言われた通り混ぜ合わせると型に移し、力をいれて固めた。固めた物を手のひらに転がすと、隣で作業している者が持っている型とはだいぶ違うのが分かる。

「固まったら、その外側をコーティングしましょう。コーティングには筆をつかってください。溶液はすぐに乾きますから、息を吹きかけたりしないように。唾がついたら、台無しです。いいですか?おっと、固まらないですか、どれどれ・・・」

 講師が一人の作業を監督しに行ったため、皆自分の作業に黙々と取り組むようになった。筆に溶液をしみこませ、固まりの外側を丹念に塗っていく。私はこの作業が一番気に入っている。

「どうですか?コーティングまで行きましたか?それでは次に固まりをいったん置いて、粘土を出してください。平べったくのばしたら、固まりを包むようにしましょう。包めたら次は別の袋に入っている細かい砂をまぶします・・・」

 丁寧に砂をまぶして、別の粘土を上から被せ、工程を進めて行くにつれて固まりは手のひら大のボール状になった。ここまで大きくすると、なぜか愛着がわいてくるのは、泥遊びと同じだろうか。

「皆さん、良い手つきですね。順調にできてきましたね。さて、最後に用意してある錐で指定された箇所にしっかり穴をあけてください。中央部まで刺さるように調整してくださいね。貫通はさせないように注意しましょう」

「もし貫通させたり、中央まで刺さらなかったらどうなりますか?」

 ここで前の方に着席していた人物が質問を投げかける。確かに、今まで考えなかったことが不思議なくらいだが、私もどうなるのかを知りたい。

「そうですね、今あけて貰っている穴は、着火した時に破裂しないようにする熱の逃げ道です。だからうまく開けられなかった場合は、文字通り破裂して粉々になるでしょう。貫通したら、予定外の山ができるだけですが、一応主の書にはすべて予定通り書き込んであるので、別途修正する必要がでてくるでしょうね」

 教室がざわつく。修正するのがどんなに面倒なことか、全員がある程度は共有しているからだ。自分の面倒事を回避するためか、皆手元に意識を向けるのがわかった。

「まぁ、でも実務上は数パーセントの確率で破裂してしまっても、バッファを取っていますから、大丈夫ですよ。少し座標を触るだけです。もし破裂してしまった場合は、小惑星をよこして衝突させますから」

 講師は安心させるように言葉を続けるが、受講者はあまり反応しなかった。この手元の物体が破裂するところを想像すると、実務に影響はほとんどないとしても胸が張り裂けそうになる。

「作業が全部終わったら、マスクとエプロンをはずしてください。皆さん、ここまでお疲れさまですが、最後に決められた座標までそれを置きに行って貰います。座標に安置して着火したら、その後は解散ということにしましょう」

 講師は一人一人の表情を確かめるように説明を終えた。教室の扉が開かれるとそこには廊下が消え去り、底知れない漆黒の闇とちかちかと瞬く星々が見えた。この手に収まるこの物体も、それと同じものになるのだ。受講者達はそれぞれの翼を広げて、星空に飛び出していった。

 私も決められた方角へ移動する。手の中にころころと転がる球はあたかも生き物のように私の手の内をなでた。それを心地よく感じながら、力強く翼を動かし、目当ての座標のあたりにやってきた。目印となる惑星と惑星のあいだの距離を慎重にはかり、磁力の輪に乗っかるように球を浮かせる。向こうのほうでは同じ作業をしている同業者が、球をとり落としそうになっているのを見て噴き出しそうになってしまう。

 まずい、まずい、噴き出したら最後、私の球は宇宙の片隅に吹っ飛ばされてしまうだろう。

 気を取り直してうまく浮いた球を全方向から観察する。問題はなさそうだ。もう一度配られた用紙を読んで、手順を確認する。うん、最後に少し回してやるとしよう。

 私は跡がつかないように球をかすかに触ってやった。ゆっくりと回りだす球を見て、私の心は大きくゆさぶられる。この短い間にこれほどまでの情を湧きあがらせるなど、このちっぽけな球にどんな力があるというのだ。

 少し離れたところに移ると、私は短い点火の呪文をつぶやいた。

 ぽんっ。

 小さな音がして球からは熱が逃げていくように煙が上がった。破裂せずにうまくできたようだ。もう一度確認しよう。

 くるくると回る球は点火する前とは違いキラキラとささやかな光を発している。私は思わずため息をついた。

 私はこの球がどんな命をはぐくむかは知らない。

 私はこの球がどんな風に進化し、どんな風に老いていくか知らない。

 しかしこの球は、確かに私の愛する惑星の一つとして、この宇宙に今生誕したのだ。

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明晰夢ジュエリーボックス 木原 美奈香 @minakakihara

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