夢のお味見


 少年は走っていた。

 真っ暗の闇をただひたすら走っていた。気を抜くと溺れてしまいそうになる闇から、何とかして逃れようとする。走って走って、息が切れてきたとき、少年はちらりと後ろを振り向いた。すると思っていたよりも近くに怪物の顔が見えて、少年は叫び声をあげた。足が絡まって転び、四つん這いになりながらも逃げる。そして少年はついに助けを呼んだ。

「た、助けて、レッドレンジャー!!!」

 するとどこからともなく赤い閃光が闇を貫き、深紅の戦闘服に身を包んだレッドレンジャーが怪物に攻撃を加えていた。しかしその戦いは互角で、怪物の攻撃をかわしつつ繰り出されるパンチに、いつものような勢いはない。

「なにやってるんだ、イエロー!グリーン!ブルーもレッドを助けなきゃだめじゃないか!」

 少年は憤った声で叫んだ。すると戦いから一定の距離をとりながら、黄色、緑、青の戦闘服をそれぞれ着たレンジャーの姿が見えた。しかし皆、戦いに参加する様子はない。それどころか戦闘を遠巻きに眺めながら、吐き捨てるようにこうつぶやいた。

「どうせレッドがいればいいんだろう。俺たちは引き立て役だからな」

「そうそう、助けたって感謝されたことすらないんだから」

「やっぱり赤は優遇されるよな」

 少年は愕然とした。確かに自分がいつも呼ぶのはレッドだ。

 でも他のレンジャーを引き立て役だなんて思ってはいなかった。誰にも感謝されないだなんて、レンジャー達の口から一番聞きたくない言葉だった。

「なんなんだよ!皆、どうしちゃったんだよ」

 少年の悲痛な叫びには誰も答えてくれない。それどころか見る間にレッドが怪物に倒されてしまっても、他のレンジャーが助ける様子はなかった。そして少年がどんなに叫んでも、レッドはその呼びかけに応じることがなくなった。それまで戦っていた相手のとどめを刺した怪物は、じりじりと少年との間を詰めてくる。そしてその大きな体全身を使って、少年に攻撃を食らわせようとした。

 その瞬間、少年は目をつぶってしまい、周りの音しか聞こえなくなった。バリバリと何かを破く音が響き、すぐにグシャグシャグシャと続く。ああ、新聞を破いて丸めるときと同じ音だな、と変に納得する一方で怪物からの一撃を感じないことに疑問を感じた少年は、恐る恐る薄目を開けた。

 目の前には全く知らない人物が立っていた。大人だ。しかもマジシャンが着るような黒いスーツをきている。きっとあれはウサギを取り出せるシルクハットだろう。腕にかけた杖は黒光りしていて、足が悪い人が持つものとはなんだか違う気がする。でもそこまでビシッと決めているのに、体と均整のとれない丸顔のせいで、なんだかペンギンのようだ。少年は目も、口も大きく開けたまま動けなかった。尻餅をついたまま口を開ける少年を前に、その人物は何か思い違いをしたらしい。

「お前にはやらないぞ。お前の夢かもしれないが、これを丸めて食べやすくしたのは私だからな」

「た、食べる?」

「もちろん、それではいただきます」

 その人物は片手に握っていた物を上にぽんっと放ると、そのまま口で受け止める。頬をぱんぱんに膨らませ、顔が風船みたいに見えるのも気にせず、ゆっくりと咀嚼する。むしゃむしゃ、ごっくんと飲み下してしまった。

「なかなかの食べ応えだった。それより少年、いつまでそんな格好でいるつもりだ」

「あ、あ、あんた誰だよ、何だよ、どうなってるんだよ」

「私?私は獏だ」

「ばく?変な名前。あんた何なんだ。レッドレンジャーに何をしたんだ?怪物とか、他の奴らはどこに行ったんだよ?」

「ああ、あの者達なら怪物と一緒に、私の腹の中だぞ。怪物もヒーローたちも、全部お前の夢だ。私は夢を食べにきただけ」

「夢を食べる・・・?」

「ああ、少年よ。お前は大体毎日夢を見ている。だが朝起きて、顔を洗う頃にはその内容をほとんど忘れているだろう。それは私たちが食べたからだ。人は単に忘れたのだと思っているがな」

「夢を・・・じゃあ、俺はもうレッドに会えないってこと?」

「何を言っているんだ。ここだってお前の夢の中だぞ。願えばすべて叶う場所だ。私たちが何度食べに来たとしても、望めば何度でもレッドに会えるはずだ」

「で、でもさっき、レッドはいつもみたいに怪物を倒せなかったよ。他の仲間だって、レッドを助けてはくれなかった。どうして、俺の夢なら、どうして思い通りにならないんだよ・・・」

 少年は混乱した様子で顔をくしゃっと歪めると、声を殺して泣き出した。声をあげて泣くのは恥ずかしいが、どうしても嗚咽がもれるのを押さえきれない様子に、獏は馬鹿にするように小さくため息をついた。丸顔ではあまり迫力がないのだがお構いなしだ。

「幼いな、男の子供というのは。それなりに成長しても、精神が体に追いつかない。女の子供のほうがまだましだ」

「だって、だって、しょうがないだろ、子供なんだから」

 嗚咽に引きずられながらも吐き出す少年の言葉には怒りがにじむ。獏はそれをおもしろそうに眺めた。

「自分の幼さを理由に考えることをやめたら、それはお前が作った限界だ。だがな少年、こうなったのは何か理由があるはずだ。レッドの力を奪ったのはなんだ?怪物がいきなり強くなったのは?他のレンジャーが助けてくれなかったのはなぜだ?」

 少年は獏を怒りに満ちた目で見上げながら、唇を噛んだ。そしてさして考えた訳でもないのに、昼間に同級生たちから言われた言葉が胸に沸き上がった。

『お前、まだカラーレンジャーなんて見てるのかよ、ガキかよ、だっせー』

『だよな。あれって赤以外、出てくる意味なし』

『怪物にとどめ刺すのは絶対赤だもんな』

『そもそも怪物倒せなんて、俺ら頼んでないわけで』

『ぎゃははは、そうそう、おせっかい』

 こだまする言葉は何度も少年の胸の内をえぐるように鋭利で、悪意に満ちていた。少年は両目からほとばしる涙を抑えることができなかった。

「お前の夢は、今日その同級生たちに言われたことが原因で、いつものような予定調和とならなかったようだな。少年よ、お前は言われたことがもっともだと納得しているのか?ガキが見るようなくだらない番組だと思っているのか?」

「そんなわけないだろっ!そんな風に思ってない!」

 少年は涙ぐみながらも激昂といっても良い勢いで獏の言葉を否定した。

「本当にレッドしかでてこなくても良いと思っているのか?」

「ちゃんと、イエローやグリーンだって意味がある。だって、レッドだけじゃ、怪物の弱点がどこかわかんないし、どんな悪巧みをしているかを探るのは、ブルーの方が上手なんだ!だからレッドばっかりが主役ってわけじゃない!みんな大切な仲間だ!」

「そうか、なら彼らを頼まれもしないのに、勝手に怪物を倒している集団とは思っていないわけか」

「当たり前だろっ!レンジャーたちは命を懸けて戦ってるんだ、この地球を乗っ取ろうとする悪い怪物相手に、日夜戦っているんだから!」

「じゃあ、誰からも感謝されなくても、おせっかいと言われようとも、レンジャーたちが戦う意味を、少なくともお前は知っているんだな」

 少年の涙はいつの間にか乾き、その頬は興奮のためか上気していた。少年はそれまで座り込んでいた地面に手を突いて立ち上がると、獏に対して胸を張るように背を伸ばし、言い放った。

「俺は初回放送から、映画もいれて全部漏らさず見てるんだ。レンジャーの頑張りは俺が一番知ってる。何にもわかってない奴にとやかく言われても、俺だけはレンジャーをわかってる」

 獏はステッキを持ち直して、軽く自分の肩をたたいた。そして丸顔を膨らませて、にやりと笑うと

「ならばそれで良いではないか」

 と答えた。

「お前には信念がある。それを大切にしろ。お前の友人が何を言おうと、それにそれに負けない信念があることを忘れるな。そうすればお前のレンジャーたちも、お前の期待に応える働きができるだろう」

 獏はステッキで少年の後ろを指して、少年を振り向かせた。気づくと、倒されたはずのレッドレンジャーが怪物と戦っている。戦いは互角だが、さっきまでとは何かが違う。倒れたレッドレンジャーは機敏に怪物の攻撃をかわした。横でブルーレンジャーが「尻尾に気をつけろ!」と警告しているのだ。イエローは怪物に目潰し弾を投げつける。グリーンはレッドに自分のパワーを送り、その瞬間を逃さずにレッドは怪人に強烈な一撃を加えた。

「「「「何があろうと、俺たちは負けない!俺たちはヒーローだ!」」」」

 そう言ってレッドだけでなく、イエロー、グリーンそしてブルーが一度に怪人に向かっていった。

「やった!いいぞ、いけ!」

 少年は思わず声を上げ、喜びを分かち合おうと傍らを振り返った。獏は丸顔をほころばせて笑い返したが、その姿は少しずつ薄れていく。

「美味しい食べ応えのある夢をこれからも見ておくれ。怪物に脅かされるままでは、味が単調すぎるでな」

「ま、待って!行かないでよ!獏、もっと一緒にいてよ」

 少年はすがりつこうと獏のタキシードの裾をつかもうとしたが、その手は空を切った。獏の体はもうほとんど透けているのに、チシャ猫のようにそのまん丸の笑顔がくっきりと残っている。

「忘れるな、信念を持て。良い夢をみるんだぞ・・・」


 少年は睫毛に朝日が当たるのを感じて目をさました。今日はひどく冷えるらしい。ベッドの近くの窓には結露がついて、朝日をまだらに屈折させていた。少年は起きあがると、結露で曇った窓にっこり笑った丸顔を描いた。

「信念をもて。・・・ってなんだっけ」

 少年は自分の口をついてでた言葉に首を傾げた。階下で母親が呼ぶ声がする。

 そうだ、今日はカラーレンジャーの放送日じゃないか。

 少年はパジャマのまま急いで廊下にでた。

 少年がいなくなった部屋では、窓にかかれた丸顔がにっこりと笑っていた。

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