山神の教え 赤毛の話


「そいつの手って、どんな感じだった?やっぱり蹄があって・・・」

「いやいや、至って普通の、人間の手だったよ。爪の間に土が入って、汚れていたけどな。俺もお前と同じ事を考えたよ、アマディ」

 親方はほっとしたようにほほえんだ。でもいつの間にか手を握りしめて、持っていた布地をくしゃくしゃにしてしまっているのに気づくと、小さく悪態をついた。


 俺は顔を両手でひっぱたいた。少しでもまともな顔に戻して、そいつから聞き出さなきゃいけないと思った。ニコルのことを。

「エブリンは怒りっぽいなぁ、真っ赤だよ。それこそお母さんが怒るよ。君は本当に女の子としての自覚がないってね」

 それは俺が母さんによく言われていることだった。大人の忙しさにかまけて面倒をみれない分、うしろめたそうなのに諦めたような安堵感を感じる口調で。

「そんなのどうでもいいよ」

 だからどうしても自分の口調にも焦りがにじんだ。それに気づいた奴はいっそうニヤニヤ笑った。

「どうしてだい?君は女の子に生まれたじゃないか」

「だからって女の子らしくなる訳じゃない。母さんがそれを言うのは、自分のせいじゃないってことを他の人に思わせたいだけさ」

「こんなに面倒見がいいのに?」

「こいつらと一緒に遊べって言われたら、男の子の遊びになるのは仕方ないのに、世間体って奴だよ。母さんは家とか、工房のなかではそんなこと言わないし。だから別にいい」

 俺の口はいつもだったらそんなに軽くない。だのに、そいつの水を向けるほうにばかり口が動いて、勝手にしゃべってしまう。心の中ではニコルのことを早く聞きたいのに、すごく焦っていたよ。

「ねぇ、エブリン、好きな男の子はいないの?」

「えっ?」

 急に胸を鷲掴みにされたような、苦しい気持ちになった。奴は天気の話をしているような気軽な感じで答えを求める視線を送ってくる。俺の頭の中はぐるぐると音を立てて回っていたよ。

「なんで?」

「純粋に好奇心さ。好きな男の子がこの中にいるなら、そろそろ君も女の子らしくなりたいのにできないでいるだろうし。ほかに好きな男の子がいるなら、親や工房の子たちの前でだけ、男っぽく振る舞っているだけかもしれない。だから君に好きな男の子がいるのか、興味があるのさ」

 理論立てて話す姿は、ふっくらとした頬を赤く染めて、唇をとがらせて舌たらずに話す幼子だ。あまりにもアンバランスで、俺は吐き気がした。何を聞き出そうとしているのかも、まったく検討がつかなかったから、余計にだ。

「え、だって、そんな・・・そんなの考えたことないし、そんな・・・」

「君はもう十五歳だろう。同い年の女の子たちは学校でどんな話をしている?やっぱり男の子の話が多いんじゃないか?」

 俺はなんで自分がこんなに悔しい気持ちになるのか、わからなかった。確かに学校で女の子が話すのは、誰それが格好いいだの、足が速いだの、力が強いだので、自分が誰のお嫁さんになるかということばかりだったのだ。花嫁衣装にどんな刺繍をしてもらうかにはよく駆り出されたが、未来の花婿の話になるとてんで入っていけない。まだ興味がないだけと、自分に言い聞かせていたことが、奴の口から発せられただけで、明らかに他人よりも劣っている自分を突きつけられたみたいで声がでなかった。

「やだなぁ、エブリン。泣かそうと思って聞いたんじゃないんだ。君の心の真ん中に男の子はいないってことが、よくわかったよ」

 俺は歯を食いしばりながら、荒い息をもらしていた。いつの間にかスカートを握りしめた手が、真っ白になっているのに気づく。その白さが、なんとなくニコルを思い出させた。あの子は今頃どんなに苦しんでいるのだろうか。その一瞬を奴は見逃さなかった。

「エブリン、君の真ん中にいるのはいつもニコルなのかい?なんでだい?あんなに体が弱くて、つまらない子、どうして気にかけるんだい?大人たちは自分の仕事とニコルの看病で、君たちの面倒はみてくれないじゃないか。ニコルが独占しているからだよ、君たちが受けるはずの関心をさ。なのに君までニコルがそんなに気になるんだよ。嫉妬しないのか?憎いと思わないのか?あんなに役立たずな子なのに・・・」

「お前になにがわかるっ!」

 気づいたら俺は立ち上がっていた。小川のきらめきに足をおろす奴と幼なじみから少しでも距離をとりたかった。両頬は涙に濡れて、しかも燃えるように熱かった。

「お前になにがわかるっ!わかるわけがない!わかってたまるか!ニコルは、ニコルは大切なんだ!あんなに体が弱いニコルが、どんなに周りを気にかけてるか!?あの子はいつも誰かの役に立ちたいと思っているのに、体がそれを許さない。だからみんなが話すことは全部覚えているし、嬉しい話は本人よりも喜んで、悲しい話は本人のために泣くんだ。みんなニコルに話すのを、心から楽しみにしてるんだ。あたしだってそう。あんたに何がわかる、あたしがニコルにどれだけわかってもらえて嬉しいか。あんたには絶対にわからないっ!」

 言い切った時には頭がくらくらしたよ。息の仕方を忘れたかのように、体の空気は出きっていたからな。言い終わって急に空気が入ってきたときは、逆に胸が痛かった。

「人間はおめでたいねぇ」

 肩で息をする俺を、奴は立ち上がって真っ正面から見据えた。そこには容姿から感じていたあどけなさや幼さは感じられず、ただひたすら大きな存在であることを意識させられた。そうしなければ、気づかぬ間に押しつぶされてしまいそうだった。あいつの目は真っ黒だった。

「もちろん知っているさ。君の気持ちも、ニコルの気持ちも。でも君の口から聞きたかったんだよエブリン。愛というのは、とても・・・神でさえ扱いに困るものだからね。」

「あ、愛?愛って、何が・・・?」

「君がニコルに感じていることさ。愛情だよ。自分を損なっても、相手を大切にしようと思う気持ちさ。本来なら自分が受けるべき関心や時間を、彼女にあげても君は気にならないどころか、彼女に何もしてやれない自分を恥じている。そういう想いのことを、愛と呼ぶんだよ。そしてそれは何よりも優先するべき価値がある」

 そう言いながら奴は見る見るうちに大きくなって、大きくなって、周りの景色は全部ぼやけていった。きらめく小川も、その縁に腰掛けた青白い顔の幼なじみたちも、周りにびっしりと生えていた草も、穏やかな色合いの空も、全部。

「エンザイヤとロズリンの子、エブリンよ。お前はニコルを救いたい、そうか?」

「あ、あたしは・・・」

 もはや奴の体は大きくなりすぎて見上げようにもどこに目鼻があったのかさえわからなくて、あたりは真っ黒に塗りつぶされているようだった。怖くて怖くて、足ががくがくしたのを覚えている。でも踏ん張った。ここで引き下がってたまるかと、なんとか踏ん張った。

「あ、あたしが、あたしなんかがニコルにできるなら、ニコルが治るんなら、なんでもする!なんでもできる!」

「お前の愛にかけて、その言葉信じよう」

 真っ暗な中で奴は確かに俺の耳元でそう言った。そして一遍の言葉を教えてくれた。それで俺は目を覚ましたんだ。


 起きた時、あたりはまだ薄暗くて、工房の中では幼なじみたちの穏やかな寝息があふれていた。俺はまず自分がちびってなかったことに安心したよ。でもその後、ニコルのことを思い出して、夢のなかで山神様に会ったことも思い出した。

 それで足音をたてないように工房から離れて、ニコルの寝室に行くことにした。大人たちもそこかしこにいたけれど、みんな疲れてうたた寝をしているようだった。自分自身もはっきり目覚めている感覚が薄かった。その証拠に空気が濃くて、水の中を歩くみたいだったな。

 ニコルは寝室でたくさん布団をかけられているのに、真っ青になって痛みと戦っていた。でも前よりは幾分落ち着いたようで、話はできそうだった。ぼんやりとした目で俺を見つけて、ちょっとだけ笑ってくれたよ。

「ニコル、大丈夫?」

「姉さん、起きてたの?私のことでみんなに迷惑かけちゃって、ごめんね」

 いいよ、と俺が首を振ると、ニコルはまたおそってくる痛みに顔をしかめた。俺は枕元に準備されていた手ぬぐいを濡らして絞った。それで額に浮かぶ汗を拭いてやると、彼女は無理しながら小さく「ありがとう」とつぶやいた。

「ニコル、ほかにしてほしいことない?」

「ううん、ありがとう、大丈夫。姉さんも寝ないと、姉さんが具合悪くなっちゃうよ」

「でもこのままほっておけないよ。痛いんでしょう?」

 遠慮しがちで、控えめな彼女も、痛くないという言葉だけはいえなかったようで、そっと伏し目がちに視線をはずした。

「ニコルが痛いって思うの、本当にかわいそうだ。あたしになんかしてあげられることがあればって、思う」

「それはあたしだって、姉さんが病気だったら思うよ。同じだよ。姉さんは家族みたいなもんだもの。・・・姉さんが病気の時って、いままでみたことないけど」

 最後は悪戯っぽい口調になっていたことに、俺は少し安心した。

「ねぇ、もしあたしが病気になったら、ニコルが看病してくれる?」

「ええ、もちろん。絶対するわ。早く治るように、私がしてもらってきたこと全部してあげる」

「約束する?」

「姉さんこそ、約束よ?その時になってから忘れたなんて、言わせないから」

 そう言ってニコルは布団から手を出した。

 皮膚の薄い、白い、細い手だった。自分の手を重ねると、日に焼けた肌が余りに違うから、なんだか恥ずかしかった。

「ニコル、さっきあたし夢を見たんだ。山神様が、ニコルの痛みをなくす方法を教えてくれた」

「本当に?お医者さまが知らない方法なのかしら?本当に痛みがなくなるのかしら?」

「うん、そう言ってた。やってみないとわからないけど。あたしを信じてくれる?」

 ニコルは本当にいい笑顔で言った。

「当たり前じゃない。姉さんはあたしの姉さんだもの。誰よりも信じてるわ」

 それで俺は腰のベルトに下げていた鞘から小刀を出して、自分の手をうっすら傷つけた。ニコルはちょっと心配そうな顔をしていたけど、躊躇せずに手を広げてくれた。それに同じような傷をつけると、傷が合わさるようにを握りしめた。

「ニコル、あたしの言うことを、同じように繰り返して」

 俺たちはそうして、山神の教えてくれた一遍を唱えて、絆を結んだんだ。その後は気を失っちまって、覚えていない。ただ耳の奥で、かすかに、あいつの笑い声が聞こえた気がしたよ。


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