二人の距離 赤毛の話

 盆地に流れ込む小川の水は、全て山羊の歯と呼ばれる山脈に降り積もった雪解け水だ。夏でも水が温くならないのは、山頂の方にまだ雪がふんだんに残っているからだろう。アマディとメリカンドはいつも腰掛ける岩にそろって座り、靴を脱いだ。足先を水に浸すと、身体の芯に電気が走るような感じがする。アマディはこの感覚が好きだった。

「さっきは悪かったよ、俺が刺した頭飾りを付けてないからって、強く言ったりして。でも白一色は俺のせいじゃないって、メリカンドもわかってくれるだろ?」

「ええ、もちろん。そのことはたくさん聞いたもの。エンビコ親方の文句はね。私も、言い方悪かったわ」

「いいよ、いつかエンビコ親方をあっと言わせて、いろんな色を使えるようになるから」

「ええ、そうね。アマディならきっとできるわ」

 心にも思っていないことを言っているのは、二人とも同じだった。アマディはエンビコ親方が自分に他の色を任せてくれるだろう未来がみえなかったし、メリカンドもアマディにそれだけの力があるのか疑問だった。村の大半の女たちはアマディの笑顔に魅了されていて、アマディが微笑みかけるだけで何処かでため息が漏れるのだ。なんならアマディがつくった雑巾だって、大仰にもてはやされるかもしれない。自分はそうなりたくない。いや、絶対にならない。正直、メリカンドはアマディの刺した刺繍をきちんと色眼鏡なしで見たことはなかった。

 しかし相手がどう思って言っているのかを察するのは難しく、額面通りに受け取るしかなかったので、

「(メリカンドは俺に期待してるんだから、もっと頑張らなくちゃ)」

「(アマディって、本当に子供ね。エンビコ親方がまだ、白い糸しかくれない理由を考えもしないなんて)」

 とすれ違うばかりだった。

「ところでさ、そのチーフよかったら見せてよ。汚さないようにするから」

「まぁ、どうして?このまま見ればいいじゃない」」

 メリカンドは無理矢理に盗られることを警戒してか、両手で頭を押さえながら言った。

 その形状は各地で差があるが、独身の女性であれば皆頭飾りを付けている。スラプーのそれは正方形の布製のチーフを対角線で半分にした三角巾を頭に巻き付ける形だ。形はシンプルだが、頭飾りとしてきちんと見られるように模様は様々で、縫い上げられる意匠によってどの家の人間かがわかってしまう。そして結婚もしていない女が頭飾りをはずすことは、はしたないとされていた。

「いいだろう?腕を磨くなら、刺繍をもっと見るように親方に言われてるんだ。俺は婚約者なんだし・・・」

「絶対だめ。近寄って見るんなら、触ってもいいけど。はずすのはだめ」

 メリカンドがあまりにもきっぱりと言うのでアマディはもう食い下がれない気分になった。渋々立ち上がって彼女の背後に立つと、チーフをすこし引っ張って模様をぴんと張らせる。彼女が心なしか顎を引いたのを指先に感じながら、目の奥にどんなステッチが使われているのかを焼き付けようとした。

 そのとき、ほんの少しふれている指先が冷たくなったように感じて、アマディはぱっと手を離した。

「何かあった?」

「あ、ああ、ううん。大丈夫」

 指先をこすっても何もおかしなところはない。不思議に思いながらアマディはもう一度、メリカンドの頭飾りを引っ張った。やはりひんやりとしている。なぜだろうか。

「これくれたのってクラリスだっけ?」

「クラリッサ!」

「メリーの家の奉公って、最近からだろ。どうしてこんなに良いのを?自分のチーフにすればいいのに」

「さぁ、それはわからないけど。クラリッサは小さいころから近所で知っているし、奉公することになったから挨拶の代わりでしょ」

 そう話しながらメリカンドは自分でも気づかないくらいうっすらと微笑んでいた。おずおずと顔を赤らめて、きれいに畳んだチーフをもって差し出してきた可愛いクラリッサの様子を思い出したのだ。

「奉公人って大変だな。俺には難しそうだ」

「そうね、あんたには無理かも」

 メリカンドの乾いた笑い声が耳障りだった。でもそれには取り合わずにアマディは話を引き延ばし、一方でチーフを丹念に調べていった。縫い目におかしいところはないか。意匠になにか意味はないか。布地になにか加工はされていないか。なぜこのチーフ自体がひんやりとした空気をまとっているのか、を解き明かすために。

 そしてさっきメリカンドが飲み込んだ言葉を思い出した。

「なぁ、このチーフ気に入っているんだな。一番気に入っているんだろ?俺の刺したチーフと比べてってだけじゃなくてさ、もっている中では一番だろ?」

「わかる?ええ、いいでしょう?」

「そりゃわかるよ、だからかけたんだろ?」

「そう、涼しくなるようにね。汗染みを防げるって先生が・・・」

 メリカンドは言葉を切ると、後ろを振り返ってアマディを睨んだ。

「ひっかけたわね!」

 アマディはここぞとばかりににっこりして言った。

「何にも聞いてないよ。メリーが気に入っているチーフになにかして涼しくなるようにしたなんて。大丈夫、誰にも言わないし、ね?」

「・・・っもう!」

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