夏のひととき 赤毛の話
三度冬がやってきた。長い冬が明け、瞬きを繰り返す間にに春がきて過ぎ去り、短い夏が鋭い日光をつれてくる。アマディは夏が好きだった。短いながらも肌を焦がす夏が。薄めたエールが好ましく喉を潤し、針葉樹の作り出す影が濃くなる。狩りをするのも、畑仕事をするのも、この季節は汗でしんどくなるはずだが、アマディにはそれさえ苦に思えなかった。おびただしい煌めきが至る所に浮かび上がるのが夏だからだ。
しかしメリカンドはそうでもなかった。
「あたしは、あんまり好きじゃない。だって、暑いのよりも寒い方がいいもの」
メリカンドは夏に外遊びに誘うと、必ずついてくる。しかしその表情ははっきり言って曇っていた。かわいらしい眉根を思い切りしかめて、彼女は足取り重くついてくる。
「じゃあ、家に残っていた方がよかったのか?」
「そうじゃないけど・・・」
メリカンドはそうして、自分の殻に閉じこもってしまう。アマディはそれを見て、少し失望した自分を戒める。メリカンドは、メリーは女の子なのだ。優しくしなければいけない。二人は涼を求めて緑の影が揺れる山裾に歩いていく。アマディが前を歩き、メリカンドは数歩後ろ。それがいつもの歩き方だ。彼女の足音があまりしないものだから、アマディは途中で何度も振り返り、彼女が着いてきているかを確認しなければならなかった。
メリカンドは暑いのか、首もとに手をやってしきりと汗を拭っている。その頭に巻かれた頭飾り付きのチーフには少しも汗が滲んでいないのに。ふとそのチーフには見たことのない刺繍が施されているのに気づき、思わずアマディは非難がましい声を上げてしまう。
「それ、いつ作ったの?俺がこの前渡した奴は?」
「ああ、これ?」
メリカンドは気づいて貰ったことが嬉しいのか、ぱっと笑顔を見せた。
「これね、いいでしょう?気に入っているの。うちに奉公に来てくれていいる子が作ってくれたの」
「名前はなんだっけ、クラリスか?」
「クラリッサよ!花びらがふっくらしてて、可愛いでしょ?特にこの縁にローズピンクが入っているの。一番気に入ったから、これに涼しくなる・・・あ、ううん、なんでもない」
メリカンドはふいに言葉を切った。その様子よりも言葉の方に、アマディは怒りを覚えた。
「一番気に入った?俺が縫った奴はどうしたんだよ。小花柄がいいって言ったのはメリーだろう?けっこう縫うのに時間がいったんだぜ」
「だって、アマディのはまだ白一色じゃない」
メリカンドはアマディの言葉をにべもなく一蹴してしまう。アマディが親方からまだ白い刺繍糸しか使わせててもらえないことは、スラプーで知らない者がいない。しかしそれを婚約者の口から言われることが、少年の心をどれだけ傷つけるのかメリカンドも考えることをしなかった。それは彼らの関係性が一因かもしれない。
メリカンドはアマディの婚約者だ。とはいえまだ成年には達していない二人の婚約は純粋に家同士が決めたことだ。アマディは上に二人、金髪碧眼の優秀な兄がおり、さして裕福ではない家の三男坊として許されるだけのわがままを通してきた。徒弟に入るのを自分が気に入らないからと転々として、やっと刺繍工房におちついたのがいい例だ。そんな子供を多少なりとも自分の食い扶持が確保できるようになるならばやっかい払いしたいと考えたとしても、アマディの両親を責める村人はいるまい。
一方でメリカンドの家は多少裕福だと言える。アマディの家と同じ平民ではあるが、領主代行から直接財政について難しい相談をされるくらいには。そして自警団をとりまとめ、領主代行とともにスラプーの維持に貢献するくらいには。しかしメリカンドの両親の係累は決して優秀な者ばかりではなかった。自堕落に生活する者や賭事に狂ってしまう者も少なからず存在した。そして子供は女であるメリカンド、ただ一人だけ。彼女の両親はメリカンドがきちんと自分の頭で考え、主張できるような年齢になるまで、娘を金の無心を繰り返す親戚から守らなければならなかった。だからこそ、メリカンドの家は男の子がほしかったのだ。そしてアマディはそれにちょうどいい立ち位置にいた。
メリカンド自身は自分をメリーと気安く呼ぶアマディが嫌いではない。むしろ、同級にいる男子の中では一番好きだ。アマディは燃え上がるような赤い髪の毛と透き通るような白い肌を持っている。筋の通ったきれいな形の鼻は、悪戯っぽくそばかすが散らされている。口は少しばかり大きすぎるかもしれないが、いつも微笑んでよく動くせいか、あまり気にはならない。瞳は濃い緑色で髪の毛と同色の睫に彩られている。そしてその全部が、誰しもを魅了する笑顔を作り出すのだ。アマディは同じ年頃の女の子の中では一番人気の男の子だ。だからこそ、
(だから、だから、こんな気持ちになるのかな)
メリカンドは胸のうちでつぶやいた。
アマディは自分とは違う。
彼女の髪の毛は色あせた麦藁の色だ。まっすぐで、なんの面白味もない。肌はきれいだが、アマディと並ぶと色味がくすんで見える。困り顔とよく言われるように、眉はいつもへの字を描いている。小さな口元だけは気に入っているが、小さいだけに不満をすぐに飲み込んでしまう癖があった。自分はアマディとは違う。魅力的ではないし、何かに長けているわけでもない。アマディが婚約したのも、自分の家の資産を見込んでいるからだ。本当に自分と結婚したくて、自分じゃなければいけないと思って婚約したんじゃない。
彼女は大きめの砂利を力強くふみしだく婚約者の足元を見た。スラプーの民は起伏に富んだ盆地をよく歩くので、逞しく太い足を持つものが多い。しかしアマディは刺繍工房での作業が多いからか、そこまでは太くなかった。メリカンドは自分の足と見比べてみる。
アマディの足首の方がほんの少し細いと思うだけで、彼女は胸の内がほんの少しだけ、すくような感覚を覚えた。
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