夜明け もじゃもじゃの話
幸せとはなんなのか。ゴッチェの心を大きく締めるその問題に、これまで一緒に考えてくれる人間はいなかった。修道院の大人たちは自分や子供の世話で忙しいし、子供どうしではそんな話をするような仲でもない。修道院の外には大人がいっぱいいるが、彼らはゴッチェの話を聞いてくれるほど時間に余裕があるわけでもなかった。
ラスコーは黙って話を聞いてくれた。自分が振った話題だったからかもしれないが、ともすればいろいろな方向に枝葉を伸ばしてしまうゴッチェの話をちゃんと聞いてくれた。
それはゴッチェの心にさっき感じたような、温かい気持ちをもたらす経験だった。
「お前、本当に子どもか?」
長い沈黙の後にラスコーが漏らした感想は、それが最初だった。
「まぁ、たぶん。子どもだよ。大人じゃねぇもん」
ゴッチェは頭をかいた。ラスコーに子供らしくないと呆れられたのかもしれないと。
「いや、そのもじゃもじゃ頭には、子どもじゃない何かが詰まっているな。まぁ、なんだ。褒め言葉だと思ってくれ」
ラスコーは自分の言葉に照れたのか、短く笑いを漏らした。
「こんなこと話すの、初めてなんだ俺。子どもらしくないとは思うよ。修道院でも同じようなこと言われたし」
「幸せなんて考えている暇もなく、生きるために必死なんだよ。人間のほとんどはそうだ。だから幸せじゃない道に平気で踏み出すやつはいっぱいいる。自分が不幸になっても、生きていけるって思いこみだけでな」
「そういうもんなの?」
「ああ、バカだろう。大人だって、そういうやつは大勢いるよ」
「ラスコーは、そういう人見たことあるの?」
ゴッチェがラスコーの方に顔を向けた。年かさの男の顔は焚火の光に照らされて、昼間よりも彫りが深く見える。じょりじょりと音をさせてひげをこする姿はゴッチェを少し不安にさせた。ラスコーはさっき、少年たちを平伏させたときも、じょりじょりとひげをいじっていたのだ。それは彼特有の癖なのだろう、考えをまとめる時の。その考えがゴッチェを夜の森に置いていくことにならないよう、ゴッチェは胸の内で必死に祈った。
そんな祈りに気づかずに、ラスコーは口を開いた。
「ああ、いたよ。俺の昔の女でさ。結婚しようと思っていたんだけどさ、用心棒と結婚するなんてって振られちまった。あたしを未亡人にするだけの結婚なんて願い下げだって、金をもってた商人の後妻になっちまったよ」
「ラスコーはその女の人好きだったの?」
「まぁな。あいつを守ってやれるだけの力はあると思ってたんだがなぁ、用心棒でも。俺は立ち回りがうまいし、勘がいいからさ、長くやっていけると思ってた。まぁ、あいつはそう思わなかったわけだ」
「でも女の人、お金があって、幸せにならなかったの?」
ゴッチェは恐る恐る聞いた。幸せを考えずに行動する大人の話をし始めたから、それは聞くべき質問だった。だのにこの口ぶりでは女が幸せになったとは思えない。そこまで踏み込んでも男は怒らないだろうかと。
「一瞬でも幸せと思うことはあったかもしれん。あいつは着飾るのが好きだった。でもな、後妻ってことは、前妻がいたわけだ。なんで前妻が死んだのか、それをあいつは確認しなかったんだよな。確認できても、俺を袖にしたあとじゃ、もう前に進むしかなかったんだろうな」
ラスコーはおもむろに立ち上がると両手を上にあげて大きく伸びをした。焚火の明るさがラスコーの足元に大きな大きな影を作る。ゴッチェはその女の人がどうなったのかを聞いてはいけないことを悟った。
「食って、寝て、金がなくなるから働いて、また食って、寝てだ。同じことの繰り返し。自分を生かすのが大変じゃなきゃ、もう少し考えられるのかもしれん」
ラスコーは疲れた足をほぐそうとしているのか、ゆっくりと焚火の周りを歩き、ゴッチェの前で止まった。焚火を挟んでみるラスコーの顔には、オレンジ色の光が当たっている。
「だがな、全員が全員、考えられるお頭をもっているわけじゃない。ゴッチェ、お前の年じゃほかのやつらと違うことがよくないことに繋がるかもしれんが、これからは違うぞ。違うことは武器になる。そのお頭はたくさんの宝を見つけるのに、きっと役に立つはずだ。しかも他の奴らでは気付かないような宝だ。悩め。考えろ。観察して、気づけ。ほかの誰よりも早く、だれよりも多く、宝の存在に気づけるように」
ゴッチェはそのあとラスコーとどんな話をしたのか、よく覚えていない。ただ、ラスコーは結局空が白み始めるまで一緒に起きていてくれたので、ゴッチェと少年たち全員は翌朝野営地を出発し、無事に隣町に到着することができたのだった。
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