ラスコーとの握手 もじゃもじゃの話
男は少年たちにヘイリーから離れないように言い渡し、ゴッチェと自分は焚き火を挟んだ反対側に移動した。ゴッチェは男の顔を直視しないように、必死で焚き火の燃える様を凝視した。時折投げ入れる小枝があっという間に火に包まれ、赤く染まっていくのは見ていて飽きない。
すると唐突に男から声をかけられた。最初は男の声が掠れていたのか、数回咳払いするともう一度男は同じ質問をしてきた。
「お前、名はあるのか?」
「お、俺の名前?」
「ああ、修道院とかではどんな生活かわからん。だからあるかどうか知らないが、名があるなら教えて見ろ」
「・・・ゴッチェ」
「ゴッチェねぇ、ゴッチェか、お前に合った名前だな」
「・・・名前に合う合わないがあるの?」
ゴッチェの問いが余りにも子供らしかったからか、男は思わず吹き出した。大人同士でやるような社交辞令が子供には通じないばかりか、誤解をまねくものになりそうだと今更気づいたからだ。
「そりゃなぁ、一応あると思うよ」
男はそう言ってまた小枝を焚き火に投げ入れた。木が爆ぜる音は前よりだいぶ少なくなったようだ。
「名前ってのはさ、親が子供に与える命以外で初めての贈り物だ。だからそこには意味があると俺は思う」
「・・・どんな意味だよ。親なんか知らないし」
「別にお前の親のことは俺も知らん。知りたいとも思わん。ただな、さっきのお前はなかなか良かった。お前は他の奴らと違う。子供であることに甘えてない。ゴッチェ、自分の足で立つ男の名前としては、悪くない名前じゃないか」
「・・・」
ゴッチェは考えていた。男の言ったことの意味を。それを考えると、ふと自分の心の空っぽさが、少し満たされたように思った。それはかすかな感覚で、はっきり自覚しようとすると、逃げていってしまう。彼は勇気を出して男の顔をまっすぐ見た。
「ありがとう。そんなこと初めて言われた。・・・そういえば聞いてなかったけど、あんたの名前は?」
「俺の名はラスコー。よろしくな、ゴッチェ」
ラスコーは手を差し出した。ゴッチェはよくわからないまま、自分も手を差しだし、二人は握手した。
「な、なに、これ?」
「なんだよ、握手もしたことないのか。これはお互いに相手を傷つけるつもりが無いことを示してみせる、友好の行為だ」
「へぇ、そうなんだ。初めて知った。ラスコーはいつもこうやってるの?」
「いや、握手はほとんどしないな。酒場で親しくなった奴くらいかな」
「友達が多いんだ?」
「その場限りさ。酒場で飲んでいる間は友人だな。俺の仕事は契約した相手に裏切られることも少なくない仕事だから、仕方がない」
「どんな仕事なの?」
ラスコーは小さく乾いた笑いを漏らした。
「お前聞いてばっかだな。ちゃんと話せるもんから、子供だってのを忘れちまう」
ゴッチェはまずかったのかと思い直して口を噤んだ。しかし胸の内にはたくさんの質問がわき上がってくる。これまでの生活ではあり得なかったことだ。聞きたい、知りたい、その気持ちが喉を上り、口から漏れ出しそうだった。
「俺の仕事か・・・。子供を運ぶのが仕事って訳じゃないが、まぁ同じ様なものかな。俺の仕事は用心棒だ。旅人と契約すりゃ安全に旅程を守り、商人と契約すりゃ商人の身の安全を守る。敵に襲われたときに一番に切り離されることはあっても、実入りは多い。命を懸けているからな」
「・・・すっげー」
ゴッチェの言葉は子供らしく幼稚な表現ではあったが、その分男の口元を緩ませるほどには心がこもっていた。
「お前の友人たちはどうか知らんが、お前はちゃんと守ってやるよ」
冗談めかして言うものの、ラスコーの目は笑っていない。ゴッチェは胸の内で、大人というものがどんな風に冗談を言うのか、冗談のように見せて別の意味をにおわせるのかもっと勉強しないと、と呟いた。
目の前では相変わらず焚き火が燃え、その温度が頬を心地よくあぶった。
「火神の機嫌が良いみたいだな」
ラスコーは手近な薪を突っ込むと、一瞬火の勢いは削がれる。その後またすぐに火は手のひらを広げるように薪を包み込んでしまう。火の中には火神が宿っていて、常に何か燃やせないか狙っている。竈の中で燃えて貰うには良いが、飛び火をさせないように気をつけなければいけない。修道院で台所仕事を手伝わされたときに、当番の修道女によく言われたものだ。
「火神は子供と同じで、何をしでかすか分からない。見張っていないと大変な事になる」
ゴッチェは修道女に言われた言葉を呟いて見た。
それをラスコーが不思議そうに聞いているのに気づいた。
「俺たちの世話をしてくれていた修道女が言っていたんだ。台所で火の番をするには、じっと見張っていられる奴じゃなきゃだめだって。何をしでかすか分からない、あんたたち子供と同じだからって」
「確かに火神はそんな姿だと言われるけどな。俺も口は悪い方だが、修道女ってのも案外いけすかない奴もいるのかな」
修道女の悪口を聞かれるのはまずいと思い、ゴッチェは急いで首を振った。恐る恐る火の向こう側を見ると、少年たちは寄り添い、被さり合うようにして眠っている。いまなら大丈夫だろうか。彼は肩の力を抜いた。
「修道女っていうけど、あの人たちも俺達とほとんど変わらないよ。体よく追い払われたんだ。それが子供の内か、大人になってからかってだけで」
だからこそトスカが死んだだけで修道院は解体になったのだ。ああいった施設を運営していくだけの能力が、トスカ以外の修道女たちには無かった。多くは年増になりすぎて、両親が死んで、親族に財産を奪われて、それとも外聞の悪い立場に置かれた者が追いやられる場所。それがあの町の修道院だった。
「へぇ、いろいろあるんだな。それでも飯が食えるなら、ましな方だろう」
ゴッチェは黙って頷いた。胸の内にあること全てを、ラスコーに話す必要はないし、まだ彼は幼すぎて言葉にできそうも無かったからだ。
「ついでに聞くだけだが、お前、五柱神のことは教えて貰わなかったのか?修道院は一応宗教施設だろう?」
「教えて貰ったよ。普通がどうだかは知らないけど、毎日読み聞かせで」
修道院では毎日寝る前に読み聞かせの時間があった。全員が各々の寝床に入った事を確認すると、当番になった修道女が、神々がどうやって世界を作られたのかを読んで聞かせるのだ。
それは短いながらも子供の心に残るものだった。その話が終わった後に、修道女から貰う小言は一つも覚えてはいないが。
「へぇ、そりゃ偉いな。やっぱり貧民窟よりかはましだな」
「でも、役に立たない。神の話をどんだけ覚えても、喧嘩は強くならない。腹一杯になるわけじゃない。修道院もだめになっちゃったし」
トスカの最期が目に浮かぶ。トスカは幸せだったのだろうか?死ぬ間際まで修道院やそこにいる全員の事を心配していた。その心配を神がどれだけ救ったのだろうか?ゴッチェは常に神の存在意義について懐疑的だった。しかし、それは修道院では言ってはいけないことの一つだったのだ。
「そうだな。直接は意味がないだろうな。それじゃ一つ、お前が俺に話して見ろよ。この夜を目を開けて過ごすには、役に立つかもしれないぜ」
「ラスコーは寝ないの?」
「寝るよりも、面白いことがあればな。ほら、話して見ろよ」
ゴッチェは面白くなってきた。
そしてトスカが読み聞かせをしてくれた時の事を思い出しながら、五柱神の物語を語った。
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