森の夜 もじゃもじゃの話
男は少年達をそのまま寝かせることはなく、順番を決めて見張りを立てた。その癖、自分は外套にきっちりくるまって眠ってしまった。
「なんだよ、あのおっさん、偉そうに」
見張り番をするように言われた少年はぶつぶつと呟いた。
馴れない森歩きで少年たちの顔色は悪い。しかも食事はもらえるものとばかり思っていたが、先導の男が眠ってしまったことで、その希望は完全に費えてしまった。
「腹へったなぁ」
見張りではない少年もお腹を抱えてうずくまった。
「五月蠅ぇよ、分かり切ったこと言うなって」
「だってさぁ、腹が減って眠れないよぉ」
修道院では粗末でこそあれ、毎日毎日の食事をすることはできた。腹一杯にならずとも、食べる心配は無かったのだ。それが一晩の食事がないだけで、こんなに苦しいものだとは。
ゴッチェは火の近くで手をかざしながら少年たちのぼやきを聞いていた。乾ききっていない薪はたまに大きな音を立てて爆ぜた。少しは眠らなくてはいけないのに、眠ることができない。腹が減っているのは同じだが、眠れないのはそれだけではない。彼の内側では興奮が冷めやらなかったからだ。
「あのおっさん本当に寝たのかな?」
「さっきからちっとも動かないよ」
「俺には寝てるみたいに見えるよ」
見張りの少年も横になっていた少年もわらわらと男の周りに集まる。子供達はじろじろと彼を見ながら、少しずつ距離を縮めていった。
当たり前のことだが、そもそも修道院には成人した男がいなかった。もちろん隣近所には男の人がいたし、市場に行けば働く男達は大勢いた。だが、彼らにあまり近付いて見ることはできなかったのだ。男達は仕事に追われていたし、そうでなくとも子供達のことは好きではなかった。それも修道院に養われているだけで、躾のなっていない子供などは特に。
少年達はしげしげと男の様子をうかがった。眉間には皺が深く刻まれ、無精ひげが目立つ。自分たちがいずれこんな大人になることは想像だにしない少年達の視線は遠慮がなく、男の姿を観察した。
日に灼けて、艶のなくなった黒髪はまっすぐで、針のようにぼさぼさだ。厳つい顔つきは太い眉毛だけでなく、頑丈そうな顎から受ける印象だろう。身体は隣近所のおやじよりも締まっていて、足の筋肉は締まっている。
「このおっさん、むさ苦しいよな」
「年とってる」
「なんか臭いような気がするし」
「不細工とは違うけど、かっこよくないかな」
「服が古いなぁ」
「ぼろぼろだぜ、この端っこなんてさ」
少年達の言葉は容赦がない。それは修道院で培われたものだった。その空気に誘い出されたのだろう、隅にうずくまっていたヘイリーがやってきた。
「もしかしたら俺たちが皆寝たら自分だけ食べるつもりなんじゃないのか?」
その場にいた誰も、ヘイリーの問いに「そんなことない」と言えなかった。それほどに少年達は男のことを知らず、信頼もしていなかったからだ。
「そうだよな」
「きっと隠し持ってるよ」
「大人は皆、ずるいもんな」
少年達は自分の曖昧な考えを口々に言い出した。
ー 食料を持っていたとしても、それは男の持ち物だろう?俺たちのために準備されたものじゃないことくらい分からないのか?
ゴッチェは悶々と考えを巡らせたが、どうしても言い出せなかった。ヘイリーの撒いた疑念の種は次々と芽を出し、その触手を張り巡らせていく。自分が反論で一石を投じたとしても、疑いは拡がり続けるだろう。
「探って見ようぜ」
一番近くにいた少年がそっと男の外套を引っ張ると、男の腰に剣があるのを見つけた。
「すっげぇ、本物だよな」
すかさずその剣を引き抜こうとしたが、その少年は何かに弾かれて吹っ飛び、尻餅を着いてしまった。その巻き添えを受けて何人もの少年達が地面に転がった。男に目を戻すと、寝ていたはずの男が立ち上がっていた。少年は男が握りしめた拳によって尻餅を着かされたのだと、誰もが理解した。そして全員の腹の底が凍った。
「二度と俺の剣に手を出すな、このクソ餓鬼ども」
吹き飛ばされた少年の顔は見る間に大きく赤く腫れていった。
「相手の得物にさわろうとするなんざ、命をとられても文句はいえないぞ。俺はこの夜の森におまえ達を置いていっても、別に問題はないんだぜ」
「だ、だったら、そ、そうすればいいじゃないか!威張りちらしやがって」
ヘイリーはさっきの事を根に持っていたのか、売り言葉に買い言葉で応えた。それを他の少年達は真っ青になって見ている。
この夜の森に子供達だけで置いて行かれると、かなりまずいことになる・・・。
そのくらいは誰でも分かることだ。男は夜の森を軽々と抜けていくだろう。しかし修道院で育った彼らには夜の森でどんな危険に会うか、全く分からなかった。第一、道が分からないのだ。男がここまでつれてきてくれた道もほとんどが獣道で、鬱蒼と茂る草木に覆われていた。唯一の目印は木に刻まれていたナイフ痕だけ。それも男が見つけるのを後ろから見ていたから分かっただけで、自分たちで見つけられる自信はまったくなかった。
「ほぉ、じゃ、遠慮なくそうするかな」
「待ってくれ!」
「行かないで!」「子供のしたことだろっ」
「ゆるしてよっ」
ヘイリー以外の子供達は泣き出しそうな顔をしながら男の周りに集まった。
「まずはお前等が謝る方が先だろう。他人の荷物に勝手に触るなんて、性根が腐ってるやつがやることだって気づけよ」
男は顔を赤く腫らした少年の顔をじっとみながら言ったが、ゴッチェには言外にゴッチェの荷物を盗った犯人を詰っているように感じた。それはまさにヘイリーに向けられた言葉だった。それはヘイリー自身も感じているのだろう、顔を真っ赤にさせている。
「相手に許せだの、子供がした事だのとわめくのもいただけない。盗人猛々しいとはこのことだ。お前等はそんなに偉いのか?」
少年達は男の顔を見上げるばかりで、何を言えば良いのか全く分かっていないようだった。ゴッチェはそれを遠巻きに見ながら、自分がどんな態度をとれば良いのかをずっと考えていた。この状況を解決しなければ、自分の新しい出発が悲惨なものになりかねない。だから勝負にでることにした。自分も数歩男に近付くと、思い切り深々と頭を下げたのだ。
「ごめんなさい。俺たちが、どれだけあなたに頼っているのかを、考えていませんでした。お願いです。俺たちを置いていかないでください」
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