新しい出発 もじゃもじゃの話

 トスカを埋葬すると、そこからは早かった。

 修道院の物はすべて持ち出された。地代を回収する地主が残っていた建物や小物、孤児達の行き先も全部差配することになったのだ。ゴッチェの食事をしたテーブルも、粗末ながら毎日食事を載せた皿やコップも。孤児達は年齢別にいくつかの組に分けられると、少ない荷物を持たされ奉公先に向かわされることとなった。修道女達の方が身の振り方に困っておろおろとしている様を見て、ゴッチェはあまり同情心の沸かない自分に気が付いた。

 修道女達は確かに自分をここまで面倒見てくれた。それは感謝している。だが、彼女たちはゴッチェとは違い大人なのだ。そして少なくともトスカよりは健康な身体であれば、何とかして生きていく道を見つけられるはずなのだ。そう自分に言い聞かせながら、差配役の手配した大人につれられて、ゴッチェ達、年上の少年達は奉公先となる隣町の酒場まで歩いていくことになった。


 その道中はゴッチェにとってさほど辛いものではなかった。ゴッチェの足取りは軽かった。すこぶる軽すぎて、一行の歩みを遅いと感じるほどに。それは日頃修道院の手伝いという名の労働が彼の筋力を鍛えていたことが理由かもしれない。初めて見る村の外という刺激に輝いてた少年達の表情がだんだん曇っていき、生気が無くなっていくのをよそに、ゴッチェは興味深く辺りを見回しながら歩いた。ヘイリーよりも自分の方が体力がありそうだと考えると、少し誇らしい気持ちがあったのは否定できないが。

 抜ける予定の森は深くはないものの、一晩野宿を強いられた。先導してくれた男は中年くらいで、疲れた顔をしていた。自分の名前も明かさないだけか、その無精ひげのある顔からは子供を嫌っている様な雰囲気が常に感じられた。子供が好きな様子をみせて変に懐かれないようにするためかもしれない。ゴッチェはその姿勢を公平だと思った。

 男は森の中で目印となる傷の付いた木を確認しては、片手にもった短剣で新しい傷を幹につけていく。ゴッチェはその様子を見ながら、いつか自分が森を歩く時のことを考えた。

「ここらで夜をやりすごそう。近くに水場があるから、お前汲んでこい」

 男が声をかけた。短いながらも的確な指示を出す姿に、ゴッチェは再度好感をもった。

「えぇっ、お、おれがですか?」

 ヘイリーは水汲みを指名されたのを喜んでいいのか、一人では荷が重いと思ったのか、曖昧な笑いを顔に張り付けていた。ゴッチェには親切にする理由が無かったので、無視して薪を集め始めた。片手一杯に薪を集めて戻ると、まだヘイリーが立ち尽くしているのに気づいた。ヘイリーはバケツを握りしめたままだ。よく見ると足が小さく震えている。疲れなのか、怖いからか、今までの悪ガキぶりからは想像できない姿だ。先導役の男はいらだちを隠さずにヘイリーを怒鳴った。

「なんだ、お前。俺のいうことが聞けないのか?水を汲みに行けと行ったはずだぞ」

「そ、そういう訳じゃなくて・・・」

 ヘイリーはもじもじした。奴は森という場に戸惑っているのだろうか。それともこれまで徒党を組んで遊び回っていた分一人になる事にびびっているのだろうか。いずれにせよゴッチェは少し愉快な気分になった。自分は怖くない。一人で仕事をこなすことくらい、へっちゃらだ。

「良かったら、俺行ってきます」

 ゴッチェは男に申し出た。中年の男は不満そうに鼻をならすと、ヘイリーに渡したバケツを取り上げ、ゴッチェに渡した。そして水場への道順を教えてくれた。

 暗くはなってきたが、天気は良かったので、水場への往復は楽しい物だった。鳥の声が響き、薄闇が虫たちの営みを優しく引き出してくれる。ゴッチェは修道院にいたときよりも、今の方がよっぽど寂しくないことに気がついた。全員の水筒に水を満たし、最後に水を汲んでくると野営をする場所には真ん中に焚き火がついていた。バケツを男に返すと、ゴッチェは自分の荷物を置いた場所に戻った。しかし荷物は無かった。

「えっ?なんでだ?」

 ゴッチェはガサガサと周りの草むらも探した。焚き火の明かりが照らしてくれるだけに、見逃したとは考えにくい。そこまで小さいものでもないからだ。

「俺の荷物がないっ」

 ゴッチェは混乱する頭で大声を上げた。焚き火に集まる子供達は大声に肩をびくつかせたものの、取り合おうとはしなかった。先導の男だけがゴッチェの傍らにやってくる。

「なんだ、どうした」

「水汲みに行っている間に、無くなったんだ。最後に水汲みに行くまでは確かにここにあったのに」

「ふぅむ」

 男は無精ひげをじゃりじゃりとこすりながら、焚き火とその周りに集まる子供達を見やった。

「おぅい、おまえ達、こいつの荷物を誰かみたか?」

 男の声に誰もが首をふる。ヘイリーもだ。いや、ヘイリーはぶんぶんと音を立てるように首を振っている。そして一瞬口の端がゆがんだのを、ゴッチェは見逃さなかった。

「ヘイリー、お前っ!」

「何だよ、急に」

「お前、俺の荷物とっただろう!」

「俺はそんなことしねーよ!」

「さっきまでそこにあったはずだ!」

「あんなみすぼらしい毛布、誰がいるかっ!」

 ゴッチェはその瞬間に自分の荷物を隠したのはヘイリーだと確信した。そしてその確信は怒りに火をつけた。腹のなかを轟々と音を立てて燃えさかる怒りで、ゴッチェの拳は固くなり、気づいた時にはヘイリーの顔に一発お見舞いした後だった。

「うるせぇぞっ!静かにしろ!」

 ヘイリーが尻餅ついた地面から立ち上がり、ゴッチェに反撃しようとした瞬間に男の一喝がその場を支配した。

「なんでだよ!こいつが先に殴ってきたんじゃ・・・」

 ヘイリーの文句は尻切れトンボになった。男の放つ威圧感が最後まで言葉を継げなくしたのだ。ヘイリーは口のなかでぼそぼそと、だって、やっぱり、と呟いた。

「ここでは俺が主だ。俺が法律だ。俺に逆らうなら出て行ってもらう。出て行って、自分が自分の主になるんだな。命の保証はしない。俺はお前等を隣町に連れて行くことしか言い遣ってないんでな。一人くらい欠けていても、それは森の獣にやられたことにするさ。それが嫌ならおとなしくしていろ」

 その言葉は二人に向けられた言葉ではあったが、ゴッチェは男が自分を助けてくれたように感じた。そこでぶつぶつと文句でのどを詰まらせているヘイリーをわき目に、ゴッチェは頭を下げた。

「すいませんでした。荷物が見つからなくて、カッとなりました」

「ふん、次から気をつけろ。作業の間に荷物がなくなったとしたら、お前の気配りがたりなかっただけだ。誰か自分の代わりに荷物を見張っておくように、頼む必要があったな」

「はい、気をつけます。次は同じこと、繰り返しません」

「よし。いいだろう。毛布がないからお前は火に近いところに座れ」

「な、なんでだよっ!そいつ俺のことぶったのに!」

「そうそう、水汲みご苦労だったな」

 男はヘイリーに返事もせずに自分の荷物の場所に戻ってしまった。ヘイリーは握った拳をどうしようか迷ったあげく、ゴッチェを睨むだけにとどめることにしたようだ。他の少年達はそれまでのやり取りを見て、ゴッチェだけでなくヘイリーも遠巻きにするようになった。ゴッチェは修道院にいるときよりも安心を覚えた。これが幸せというものかな?自問自答しても答えはない。でも幸せの先っぽであることは、なんとなく分かった。

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