4 恨みと遊び

 4 恨みと遊び


 赤い派手な色合いの傘を、雨が叩き続ける。その音を聞きながら足速に歩むは異国の女。

 杏奈は苛立たし気だった。死こそ美徳などと言いかねないあの決着が、気持ち悪かったのだ。もっと皆に苦しんでほしかった―杏奈にはそれが一番楽しい。

 死に面して笑うでは無く媚びるべき―それこそがあるべき姿。


 だから、熊狩は嫌いだったのだ―枯れきったようなその心意気が。

 それでも、熊狩を介して好きな者達を苦しめられる―だから手を貸したというのに。


 いや、それだけでは無い―苛立ちの強い理由はもう一つ。


「ただの、太刀ですって……何よそれ。拍子抜けがすぎるわ」


 覇者の太刀―音に聞く妖刀。それが真実、なんの力もないただの太刀だと言う―それが気に食わないのだ。腕だけは確かな熊狩が、覇者の太刀に呑まれでもすれば、それはそれは楽しい阿鼻叫喚が見られたろうに。


 随分と労力を払った―その結果がこれ。途中確かに楽しみはしたが、結末に流れる血がこの程度などと……納得できるものでは無い。


 だが―納得できないならできるまで続ければ良いのだ。


「そうよ。まだ、終わりじゃないのよね。終わりにはしないわ。弱みはあるし……」


 だから杏奈は雨の中歩んでいる―熊屋へ向けて。


 こういう時の為に、鬼の子を攫わせたのだ―わかりやすい弱みとして。この結末に向かうまでにその札を直接使うことは無かったが―長く手元に置いた分、雫も神那もさぞ気に入っていることだろう。可愛そうな身の上の幼子の事を。


「あの鬼の子を手中に収め、神那と雫を脅して…ふふ。まだまだ、遊びようはあるわねえ」


 どうしてやるのが良いか。あの鬼の子を攫い、腕の一本でも熊屋に送りつけてやって―適当な嘘を並べて無辜の他人を散々殺させてみるのも面白いだろう。あるいは、極めつけに神那を切らせるか。


 杏奈は笑った。確かに、手塩にかけたおもちゃは一つ無くなった―けれど全てなくなった訳では無い。


 おもちゃは無くならない―この世ある限り。


「まだ遊ぶか……ならば、相手は俺が務めよう」


 不意に、背後から声が聞こえた―その途端、何かが杏奈の身体を這いまわり、掴み―縛り上げる。杏奈の身を掴むは暗がり―形を持った手の影だ。


 直後、杏奈は背から腹を貫かれた―血まみれの刃が、杏奈の腹から生えている。


 ごふ、と口から血が溢れ、赤い筋が唇から零れ落ちる。けれど杏奈は微笑んでゆっくりと後ろを向いた。


 杏奈を貫いたのは、半身を暗がりに包み、それよりも尚昏い目をした男。


「貴条様。まさぐって、さんざん突いて……こらえ性の無いお方……」


 貴条は答えず、太刀を回し傷口を広げ―ずるりと太刀を引き抜いた。縫合出来ない傷口を腹に、杏奈は雨の中崩れ落ちる。


「たまになら、責められるのも良いかしら……でも、やはり好みではないの」


 そう囁いた杏奈の真横に貴条は回り込み、太刀を構えた。八双の構え―腹を抑えうずくまる杏奈を見下ろす貴条の瞳に容赦は微塵も無い。


 その瞳を見つめ、縋るように杏奈は貴条へと手を差しだした。


「……全て諦めます。平伏し、謝りもします。なんでも、言う通りにいたしましょう。どんな事でも、望む通りに……だから、許して下さらない?」

「断る」


 貴条は太刀を振り下ろした。差し出された手ごと、杏奈の首を両断する。杏奈の身体は崩れ、首は転がり―並々流れる血の沼、雨受け波立てる赤い溜まりに落ちる。


 しかし、転がった杏奈の顔は、笑っていた。


「残念……じゃあ、次の遊びね」


 杏奈の首はそんな事を言った―直後、その首が消える。崩れおちた身体も、流れる血さえも消え去った。


「幻、か……」


 呟いた貴条の耳に、けれど杏奈の声は尚響く。


「鬼ごっこをしましょう、貴条様。私は逃げる。貴方は追う。私のせいで、貴方は恩人を切った。罪のない多くの人をも切り伏せた。憎いでしょう?殺したい程に。良いのかしら、私を野放しにして。待っていますわ、またまみえるその時を」


 貴条は周囲に視線を走らせる―手傷は負わせたはずだ。最初の突きには手応えがあった―深手はおったはず。


 血は落ちていた。点々と、雨に消されながらも傷負った者が歩み去っていった跡が。


「ああ。……切り伏せてやろう」


 そう呟いて、貴条は血を追って歩みだした。


 杏奈がどこへと逃げるつもりかはわからない。その足跡は、どうにもこの浄土を離れようとしている風に見える―ならばそれを追うことは貴条としても本望。


 切ったのだ。恩人を、仲間達を…その責ありながらのうのうとこの場に居続けることなど出来ない。仮にこの浄土に戻るとしても、それは杏奈を切り、始末をつけてからの事。


 一つ、陽の事は気がかりではあるが―しかし頼んではいるのだ。


 途中確かに狂いはしたが、回り回って立場は変わらぬ。

 貴条が始末をつける―その間は頼む。ただのそれだけ―。


 貴条は赤い足跡追って、雨の中、陰りの中へと姿を消した。

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