6幕 雨天の浄土
1 偽りのみを重ねて
1 偽りのみを重ねて
「父上…どこに行こうと言うのです?」
雨の中―熊狩に手を引かれ駆けながら、神那は問いかける。
「城だ」
熊狩は振り向かず答えた―向かう先は確かに城。しかし、
「城?何故です?」
わざわざ逃げ延びる先が城である理由がわからないのだ。
「覇者の太刀を使う」
「それは、……」
覇者の太刀―この浄土にかつてあった太刀守の国、―その名の由来ともなった一振りの太刀。最強と呼ばれるそれを、使うというのか。
「狐面が負けたんだ」
そう言われた途端、神那は押し黙った。
「あいつより腕の立つ者はこの浄土にはいない……ならば、貴条を止めるすべはもはや、覇者の太刀しかなかろう」
「ですが、あれは……」
「皆、死ぬぞ。雫も、沙羅も、この浄土にいる者は皆貴条に殺される。止める術がありながら、見捨てるのか」
「しかし、……場所がわからぬのでは?」
国が滅すると共に覇者の太刀は失われた―神那はそう聞いているのだ。
「いや、場所はわかっている。封をとくすべもある―神那。お前だ」
「私……」
「太刀守の血筋……国絶えどまだ民はあり、血もある……責務があろう」
やがて、熊狩の目的地……城へ二人はたどり着いた。
雨の中でありながら、濃い血の匂いが漂ってくる。その香りに神那は足を止めかけるが、しかし引く手は立ち止まる事を許さなかった。
城に踏み入る―途端、神那の目には惨状が映し出される。
そこら中に躯が転がっている―耐え難い腐臭が鼻を突く。
「これ、は……」
「貴条がやったのだろう。急げ、……放っておけば。浄土の全てがこうなる」
呆然となる神那の手を引いて、熊狩は迷わず進んでいった。回廊進み、段を登り―辿り着いた先は天手だ。そこにもまた、躯が転がっていた。首のない躯が―。
その場で、神那は立ち止まった。
「神那。……皆を救うのだ。血筋の責務の元、皆を救う為に、覇者の太刀を」
皆を救う。血筋の責務―兄が妖刀を手にした様に。
「父上……私は何をすれば良いのですか?」
「覇者の太刀を引きだせば良い。後は俺がやる。窓だ。外に手を伸ばせ」
神那は頷き、天手の窓へと近付いていった―浄土の全てが見渡せるその窓から、神那は手を伸ばす。すると―その先の光景が揺らめきだす。
雨の中、見えない布がはためくように、段々と景色が変わっていく。
宙に、祠が浮いていた。何に支えられることなく―だが中空に箱が。
「これは…」
「望め。手を伸ばせ。太刀守の血筋なら開くはずだ―覇者の太刀はそこにある」
熊狩の言葉―神那は更に手を伸ばした。すると、それに呼応するかのように、祠がひとりでに開き、その中身が晒される。
一振りの太刀―傍目で見れば何の変哲もない太刀が、その祠には収められていた。
「こちらへ」
神那は囁く―その声に呼ばれるように、太刀は浮き上がり、神那の両手へと収められた。
途端―祠は消え去る。不可思議な力も失せ、太刀の重みに神那はそれを取り落しかけた。
「やはり、太刀守の血筋であれば……」
熊狩は呟く。その声へと、神那は振り返り、問う。
「…これで、浄土は救われるのですか」
神那の問いに、熊狩は頷く。
「ああ。俺が救おう。貴条を切り伏せて」
「では、……頼みます」
そう言って、神那は熊狩に太刀を―その重さを手渡した。
途端、熊狩の顔に笑みが浮かぶ。酷く醜悪な笑みが。
「これは………そうか。そうなるのか…」
見た事も無い熊狩の表情―。
「父上?」
「ああ、ありがとう。……神那。これが、覇者の太刀か……」
するりと、熊狩は太刀を引き抜いた―そして見事なその刃紋に笑みを浮かべる。
「聞いた通り、良く切れそうだ…試し切りが必要か」
どうでも良いことのように、熊狩は囁いて―その瞬間、太刀は翻る。
「え……」
神那は声を上げた―その身体を痛みが襲う。視界には血―他ならぬ神那自身の血が舞っている――――切られた?
「ちち、うえ……」
その呟きと共に、神那は崩れ落ちた。壁にもたれ、止めどなく血を流して。
その意識が落ち込んで行く―。
「許さずとも良い。神那。いつまでも俺を怨め」
返り血を浴びた熊狩―神那を見下ろしたその顔は酷く冷たく、何の表情も無かった。
*
「あらあら。10年、娘だったのでしょう?」
いつの間にやら、天手には杏奈が現れていた。その顔は呆れたようで―しかし楽し気でもある。
「容赦が無いのねぇ、九織様」
「10年も待ったんだ。助かったよ。この太刀を手に入れたのは、お前のおかげ。…礼だ」
そう言った瞬間、熊狩は太刀を振るった。目的は達した―もう杏奈はいらないと。
しかし、その一閃は空を切る。何かしらの怪し気な術で、逃れたらしい。
「あら、これが礼なんて、本当、九織様は不器用な方ね」
五体満足なまま、熊狩の間合いの外に杏奈は姿を現した。
「……俺もお前の術中でないと限らないからな」
「何をおっしゃるのかしら。言ったでしょう。貴方のことは嫌いだと。嫌いな方をたぶらかしてどうすると言うの?」
「ふん……」
鼻で笑い、熊狩は太刀を収め、歩みだした。
「どこに行くのかしら?貴条様はもう切られたわよ。悲しい事にねえ。大好きだったのに」
「ほう……ならば、貴条を切った奴を切ろう。せっかく手に入れたのだ。それなりの相手で試したいだろう?」
それだけを言って、熊狩は立ち去って行った。杏奈はその背を見送った。
「覇者の太刀と言うからには、持てば立ちどころに狂うと思ったのだけど……意外とまとも。いえ……まさか、ねえ。そんなのってないわ」
つまらなそうに呟いて、けれどすぐに杏奈は笑った。
「……まあ、私は血が見られるならなんでも良いわ。退屈しないし」
一人その場に残った杏奈は、倒れ伏す神那に視線を向ける。血を流している―一応まだ息があるのは情か。
「残念ね。もう少し、苦しんで欲しかったんだけど……まさか、私に治させようって言うんじゃないわよねぇ。だとしたら……良くわかってるわ。お人が悪い…」
そう言って、杏奈は窓を見上げる。雨が、降り続けているその空を。
と、その窓が不意に遮られた―片腕のない少年がそこに立っている。
妖刀の力―雨の日はよほど無理が効くらしい。
「神那様……」
すぐさま、雫は神那へと手を伸ばし―そこで雫は杏奈に気付いたらしい。
「杏奈殿。何をする気だ」
「何をする気もないわ。治して上げようと思って」
「……信用できんな。死んでも構わんと言っていたろう?」
「あの時は、ねえ。だって、貴条様が止まると思わなかったし……貴条様が神那を切ったら、貴方は貴条様を憎むでしょう?それはそれで血が見られそうじゃない。苦しむ子もいるし。でも、貴条様が止ってしまった今、この先の血で苦しむのは神那。なら、神那には生きていて欲しいでしょう?せっかく始めたんだから、目いっぱい楽しまないと」
「何を言っているかわからんが……信用できない事に変わりはない」
「その考え方は正解ねえ。良いと思うわ。私、貴方のこと好きよ」
「冗談はいい加減にしてもらおうかのう。…わしは今、余裕がないぞ」
「あら、怖い顔。本気だのに……じゃあ、邪魔はしないわ」
「……一つだけ聞く。熊狩殿をたぶらかしたか?」
「いいえ。これは、あの方の意思よ」
「そうか」
次の瞬間、雫の姿が消え去った―倒れ伏す神那の姿と共に。
「ふうん。まあ、良いわ。どっちでも……」
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