3 物見の先に狐面
3 物見の先に狐面
城の周りには人垣が出来ていた。けれど、誰も踏み入ろうとはしない。
首が落ちているからだ。
当然の如く死相と腐臭を放つ老人の首……それを気味悪がり、誰もが遠巻きに眺めるのみ。
その人垣の中から、雫は首を伸ばした。
「ほう……あれは確かに天手におった。ふむ…切られたは真か」
そう呟いて、雫は一端人垣を離れる。別段、その門から堂々と入って行ってしまっても構いはしないのだが、やたら目立つ必要もない。
水を介して城の中を探るか―否。それでは探り切れんだろう。もはや残雪も無いのだ。
空を見上げる―曇り空。淀んではいるが、雨は降っていない。であれば……。
雫はやたら目立たぬように、ささと堀へと下りた。そして、水溜りに手をつく―
「水とは我が目であり、耳であり、身体である―」
ぴしゃり、と水が鳴る。その直後―雫の身体は堀から消え失せていた。
*
――掴め。引きずれ。落として殺せ。全ては躯。共にこの暗がりの底に―
水の音が聞こえた―その音に、狐の面は顔を上げた。
――掴め。引きずれ。落として殺せ。全ては躯。共にこの暗がりの底に―
そしてずるりゆらりと立ち上がる―吐き気を催す腐臭は甘美。
――掴め。引きずれ。落として殺せ。全ては躯。共にこの暗がりの底に―
ゆらりゆらりと歩む―向かう先は音の元。庭、小池、―――そこに現れた何者かの元へ。
向かってどうするのか―。
――掴め。引きずれ。落として殺せ。全ては躯。共にこの暗がりの底に―
*
雫は顔をしかめた。場所は城が内、庭の池の真横―耐え難い腐臭が香る。
黒かった―そこら中に変色した血が、口始めた躯が落ちている。
「これを狐面がやった、のか?あるいは貴条か、はたまた別か……」
とにもかくにも、杏奈の躯を探すとしよう―そう考えて歩もうとした雫だったが、しかし不意にずるりという音が聞こえた。
場所は回廊―何者かが庭へと歩んできている。雫がその姿を確認しようとした途端―重く大きな何かが雫へと飛来してきた。
「む!?」
雫は飛びのき、それを交わす。それは雫の背後、池へと落ち、そしてぷかりと浮き上がった。
しぶきに強い腐臭が混じる―それは躯だった。守人衆の者だったのだろう躯が、池に浮いている。何者かが、死体を投げつけてきたらしい―。
「なんと罰当たりな事を……」
呟き、雫は躯を投げた者へと視線を向けた。
白い面―狐の面が、物陰から雫を見ていた。手には太刀―妖刀だろう。その姿は見えている、身体も、刀も雫の目に移りこむ。
だが―どうにもその半身が暗かった。見えないわけでは無い、ただそこに、枯れ井戸の底でもあるかの様に。
「狐面?……いや、偽物か」
狐面は真っ等になっているはず―それにその妖刀の力は姿を隠すというものだったはず。影がこびりついているような、今目の前にいる誰かとは違う。
それに、狐の面に傷も無い―別の者が狐の面をつけただけ。
「まあ良い。そなたがこれをやったのか?」
雫は問いかける―けれど偽物は何も答えなかった。かわりにゆらりと、歩み寄る。
「話をする気はないか?」
尚も雫は問いかける―その途端、偽物の身体に纏わりついていた暗がりが、形を持ち動いた。それは腕―何本かの黒い腕がその暗がりからのび、落ちていた躯を掴み上げ―投げつけてくる。
雫は身を交わした―顔をしかめながら。
「これが返事か。良かろう……罰を与えてやろうぞ」
そう言って、雫は太刀を抜き去った。同時に、偽物は庭へと降り―太刀を構える。
顔の横に鍔―八双の構え。身に沁みついたのだろうその動きは静か―覚えのある佇まい。
「む?……まさか。しかし、何故……」
脳裏に去来する影に、雫は構えを忘れ―その間に、偽物は動いた。踏み出し、振り下ろす―単純にして淀みのないその一閃。それはまさしく昨夜見たものと同じ―
「く!」
咄嗟に雫は太刀を上げた。昨夜は見とれたが、しかし一度見た。太刀筋も、速さは知っている―。
ぎりぎり間に合った雫の太刀は、偽物の一閃へと滑り込み、金の音を鳴らし―けれどうけとめきれなかった。
太刀筋、速さは知ろうとも、重さまでは知らぬ―。
滑り込んだ太刀事押し込まれ、雫の肩に、偽物の太刀が食い込んだ。
「ぐ、ぬう……痛いではないか!」
そう喚き、雫は偽物の面へと手を伸ばした。正体を暴いてやろう―そう考えたのだがしかし、その手すら届かず、雫の手首は偽物の纏う暗がりに掴まれた。
ぐぎ―中々聞かぬ音と共に、鈍い痛みが腕を這い上がる。ただ握られただけでない。握りつぶされたのだ。
「があああああああ!?」
切られる事には慣れている。だが雫も、潰される事に慣れてはいない。悲鳴と共に雫は崩れ落ち、その肩から偽物の太刀が抜ける。
しかし、雫に倒れることは許されない。その手首は未だ暗がりに握られ―雫の身体はそのまま持ち上げられる。
「ぐう、うう…」
宙づりにされ、呻く雫の目の前で、偽物は再び太刀を構えた―八双に。
今にもその太刀は振り下ろされる―
「お待ちを」
不意に女の声が響いた―そこでぴたりと、偽物の動きが止まる。
庭に面した回廊に、いつの間にやら女が座っていた。
派手な装束、穂積の色の髪―杏奈は楽し気に見物していた。
「杏奈殿……何をしたのだ?」
雫はそう尋ねた―すると杏奈は楽し気に笑う。
「夢中になってもらったの。才条様にそうしたように…。もっとも急いだから、才条様ほどの気品はなくなってしまったけれど」
「怪し気な術を…何を企んでおる」
「別に。ちょっと、血を見たいだけ。たくさんの血を―――戦を。本当にただそれだけ―華は散るから美しい。ねえ、雫。一緒に見物する気は無い?きっと、楽しいわ」
「ふん。駒を増やしたいだけだろう」
「そう、残念。貴方が神那を切ったら、それはそれは楽しそうだというのにねえ。仕様もない―――切り捨てなさい」
杏奈はそう告げる―その瞬間に偽物は動き出す。雫の身を切りさかんと。
太刀迫る―――切り裂かれ、雫は地面に尻もちをついた。右腕がない―釣り上げられていた右腕を切り落されたのだ。それによって雫は自由になる。
狙いを外したのか。否―
「何をしているの。なぜ殺さないの?」
杏奈の問い―偽物は呻く。
「う、うう、あ、うあああああ、」
「お主………また借りだな、」
呟いた雫は、脇目も振らず池へと飛び込んだ。大きな波紋―しかしそこから雫が浮き上がることはない。
「逃げられた?…まあ良いわ。どうせあの傷、しばらくは動けないでしょう…それよりも」
呟いた杏奈は、偽物を見つめた。
「まだ、意に沿わぬと?強情な……でも、賽は投げてしまったしねえ…」
そう呟いて、杏奈は偽物へと歩み寄り、その面にするりと指を這わせた。
「いけない人…けれど、許します。さあ、次に致しましょう。良いですか。神那を攫ってきてくださいな。番犬は今、手傷をおったことですし、容易な事でしょう?」
「う、うあ…」
「お返事はしなくて良いのよ。ただ、示してくだされば…」
その言葉に背を押されたかのように、偽物はゆらりと歩みだした。
意に沿わぬは一瞬の事―大方、手中に収めている。
「殺さずに攫うなんて、うまくできるかしら。まあ、」
去る背中を見送って、楽し気に―妖艶に杏奈は微笑む。
「別に殺してしまっても構わないのだけど…」
*
「神那様を攫う、か…」
城から離れた小川の辺―朽ちた社、石段の近くの川に足付き、仰向けに倒れこんだ雫は呟いた。
右腕はなくなっている―拾う余裕はなかったのだ。その内生えてくると良いのだが―とにかく右腕は今使えない。
また、左腕も肩を深く裂かれたために満足に動きそうにない。
眠気が襲ってくる―深手をおった時にいつも訪れる眠りが。
「攫いたいが、死んでも良いか…。つくづく、なにを考えているかわからんな…」
呟いた雫は、かろうじて太刀を収める。眠気は強いが―。
「もうしばし…」
雫は呟いた―まだ、眠るわけには行かない。
「酷いなりだな」
不意に雫は声を聞いた―閉じかけた目を開くと、曇り空にぼうと、狐の面が浮いていた。
ひっかき傷のついた狐の面が。
「お主の偽物にやられてのう」
「それはそれは…偽物とは許しがたい」
「熊屋に往くそうだぞ」
「そうか。それは良いことを聞いた」
その言葉を最後に、狐面は霞と消え去った。姿を消したらしい。
「やれ、気の速い。…わしも、向かうか」
そう言って、雫は立ちあがる―だがその中途で倒れこみ、川へと突っ伏し、その姿が消え去った。
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