2 覚えなき流言
2 覚えなき流言
ちゅんちゅんと鳥が囀る―今日は曇り空だ。
気候も漸く暦においついてきて、肌寒さはなく陽気が漂っている。
そんな家屋の内、奥舞った畳の上に、埃を被った陽は申し訳なさそうに座していた。
部屋の中は酷く散らかっている―それをひょいと片付けつつ、雫はぶうと文句を垂れた。
「まったく、片付けを、したほうが、乱れるとは、どういうことか!」
そう、確かにこの部屋は元々散らかっていた。
半ば蔵のように雑多に使わない物を押し込んでいた部屋の為であり―今日手始めにと、陽はその部屋を片付けるよう言い使ったのだが―その結果より散らかってしまったのである。
とりあえず場所を開けようとあらゆるがらくたを隅に積み上げたのが運の尽き。どんがらがっしゃんとはまさにあの音の事。
「申し訳ありません……」
そう陽が頭を下げるも、雫はぶうと文句を垂れ続けた。
「まったくだ!片付けの片付けをさせられるわしの身にもなってみよ!」
「申し訳ありません…」
せめて手伝えれば陽もまだ気が楽だったが、勘弁してくれと言われてはただ座しうなだれる他になかった。
と、そこで向こうから神那の声が通る。
「雫」
「なんでございましょうか!」
大声で返事をした雫―そこで神那はひょいと顔を見せた。
「店が忙しくなってきました。そちらへ回って下さいな」
「喜んで……」
うなだれながら、雫は店の方へと歩んでいく。どうやら、こき使われているようだ。
「あ、あの、私もなにか手伝えることは…?」
陽はそう声を上げた―さっきのはただの失敗。幾らなんでも、常に失敗し続ける訳がない。
けれど神那は笑顔と共に断った。
「ありがとうございます。心意気だけ頂きましょう」
「しかし……」
尚も陽は言い淀む。しかし神那はぴしゃりと言い放つ。
「座っていなさい」
「はい……」
うなだれる陽を置いて、神那もまた店の方へと戻って行った。残された陽の前には、半端に片付けられたがらくたの山。
座っていろと、言われはしたが。
「先程はただの偶然。私も、片付けぐらい……」
*
熊屋は盛況―春になり皆出歩くようになったからだろう。沙羅が嫌そうに駆けずり回っている様に、雫もどこかげんなりしながらも働きだそうとした―ちょうどその時に、店の戸が開き新たな客が入ってきた。
「いらっしゃい。む?おう、金成殿ではないか」
やって来たのは金成―その顔を見て、雫はすぐさま近寄っていった。
噂を流さねばならない―後で時間を見つけて金成店に赴こうと思っていたのだが、向こうから来て切れた。これは手間が省けた…。
「そうだ。のう、金成殿。実は耳寄りな話があってな…」
席についた金成にそう言うと、金成は驚いたように声を上げた。
「お、既に聞ていたのですかい?」
「む?」
既に聞いていた―その言葉に雫は首を傾げた。雫が流そうとしている噂の出所は雫しかあり得ない。
まさか貴条自身が切られたと吹聴するはずも無いのだ。
であれば、金成が言おうとしているのは別の話か。
「なんですか、おかしな顔をして。狐面の話では?」
「狐面、とな?また出たのか?」
雫がそう問いかけると、金成は浮かない顔で頷いた。
「ええ。しかも此度は、前とはまるで話の大きさが違う」
「ほう?それはどう言った?」
「うむ。実は…才条様が切られたそうで」
「は?」
金成の言葉に雫は首を傾げた。
「昨夜の話。遅くに何者かが城へと乗り込み、城に残っていた者達を残らず切り裂いた末に、才条様まで切り捨てたとの事。まだ、噂は回っていないが…すぐにでも大騒ぎになるでしょう。実質、守人衆が壊滅したのだから」
「む……狐面がやった証左は?」
「他に誰がやると言うので?守人衆相手に喧嘩を売り、一夜の内に切り捨てたのですぞ。そんな事が出来るのは、妖刀持つという狐面くらいではないか」
「そうか……」
雫は考え込んだ。狐面がやった、という証左は無いらしい。ただこれまでの行いから疑われているだけと。
そも、狐面は真っ等に戻ったはずだ。また妖刀に食われるにせよ、幾ら何でも速すぎる。
なれば、真っ等になったが故に守人衆を襲ったのか。それは何故か……そもそも、本当に狐がやったのか。
思い起こすは昨晩の事、貴条の事だ。狐面がやったのではなく、貴条がやったのではないかとも思える。が、才条を切ったともいうし、散々恩人と語っていた才条を、貴条が切ったりするだろうか。
第一、噂が回るまで待つ―その位の頭は回る男だろうに。
とにもかくにも、そう、一つ尋ねるとすれば―。
「杏奈殿はどうなったのだ?」
「杏奈?ああ、才条殿の。……聞き及んでおりませんな。何分わしも先程聞き及んだのみ……誰が切られたかはまだ判然としておりません。公に調べるにも、やられたのはその役目を負っていた守人衆故……。気味悪がって誰も探りに奥まで入ってはいない」
「ふむ…」
杏奈の安否は不明。貴条が杏奈を切りに行き、止むを得ず才条を切ったか。
「否。奥まで調べていないというのに、なぜ才条は切られたと?」
「首が晒されてたからですよ。城の前に」
晒す―なればますます貴条とは思えない。やはり狐面か、あるいは別の何者かか……。
「で、雫殿。そちらは何を言おうとしたのかな?何やら、別の噂の様だが」
「うむ……そうだのう」
貴条と陽を切った―その噂を流そうとしたのだが、どうにも状況が変わり過ぎているように思う。一体全体、どうしたものか。
「暇を出した覚えはありませんよ、雫」
話し込む雫を見とがめて、神那は歩み寄る。
「む。うむ……」
しかし雫は文句を言うでも無くさっさと謝るでもなく、曖昧に頷くのみ。
「何か、あったのですか?」
神那は首を傾げた―その問いには金成が答える。
「噂の話をしていてな。狐面が守人衆を切った、と」
「狐面が?」
聞いた途端、神那も思案顔になる。神那とて昨夜貴条が来たことは知っているのだ。誰が怪しいかをも。
「杏奈はどうなりました?」
「同じ事を聞くんですな。わかりませんよ。誰も詳しく調べてはいない」
「そうですか。……では、雫。見て来てくださいな」
「は?しかし…」
雫が城の様子を見に行けば、当然熊屋は空く―手薄になろう。状況もよくわからない以上、あまり危ない橋は渡りたくないのだが―。
「虎穴に入らねば、知らぬまま。父上もおりますし、人目がある内は躊躇もありましょう。見て来なさい、雫」
「だがの……」
尚も雫は言い淀んだ。
しかしそこで、不意に、どんがらがっしゃんと言う轟音が家屋の奥から響いてきた。
「なんですか、今の音?」
金成が驚いて呟くと、神那は嘆息と共に呟いた。
「大きな鼠がおりまして。では、雫。城を見に行くか片付けを―」
そう神那が言い掛けた頃には、雫は姿を消していた。
片付けを押し付けられるより、城を見に行く方を選んだのだろう。
「なんと、逃げ足の早い……」
呆れて呟く金成の横で、神那は一つ嘆息した。
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