4 ゆるりゆるりと落ちて往き…
4 ゆるりゆるりと落ちて往き…
「待たせました。……沙羅?どうしたのです」
神那は石段を下りた―と、その先では沙羅が雫に持たれかかっていた。
どうやら、寝ているらしい。
「うむ。少しな……待ちくたびれたのであろう」
何があったか応えず、雫はそう答える―その手には脇差しがあった。縁日の夜、雫に刺さっていた刃―狐面の物が。神那は思い出す―墓には既に、花が添えられていたと。
「神那様。嫌なら答えずとも良い」
脇差しを眺めながら、雫はそう前置きした。
「何か?」
「この脇差し、誰のものかの?覚えがあったのだろう」
狐面―神那はそう答えようかと思った。けれど、雫の聞きたい答えはそれでは無いだろう。答えずとも良いとは、そう言うことだ。
結局、神那はごまかさなかった。
「……恐らくは、兄のものでしょう」
「そうか。兄上はどんな人であったのだ?」
どんな人―思いだすのは背中ばかりだ。いつもおわれていた背中―
「何事も、負い過ぎてしまう人でした。責務も、願いも、罪も……何もかも。そして……」
神那はその先を言わなかった。雫は無理に促さず、呟く。
「そうか。誇り高き者だったのだな。わしとは違うのう」
「ええ。まるで似てはいませんね。貴方は存外、辛抱強い」
「かつて師匠に絞られ、今や誰かに絞られている。諦めでもせねばやっていられぬわ」
雫はそう文句を垂れる―。
「……良いのですよ。無責任に出て行ってしまっても。その気になれば羽織くらい簡単に奪い返せましょう。食事の分は、十分働いて頂いたので」
気付くと、神那はそんな事を言っていた―何故そんな事を言ったのか。
本当にもう十分だと思ったから。違う―逆だ。まだいて欲しいから―出て行って良いと言ったのだ。きっと、そうはしないと期待して。
結局、行かないといって欲しかっただけ。あるいは少し泣きつけば済む類の、そんな話だ。
縁日―命日、兄の話。神那は自身で知らず、弱っていたのかもしれない。だから、墓参りに雫と沙羅を連れ出してきたのか―。
雫は驚いたように神那を見上げ、それからふんと鼻を鳴らした。
「うむ。ま、その内の。今出ていけば幼子が泣くであろう?」
「沙羅も連れて行かれては?」
「それでも、泣く子がおろう。正直、これまではようわからんかったが、今、漸くわかった気がするの。とどのつまり、背伸びしておったのだな」
背伸び―曖昧な言葉だ。だが、確かに本質のような気もする。背伸びだ―偉ぶるのは、わがままの背伸び。涼し気な顔は、弱さの背伸び。とにかく、内心を隠してしまう―神那の本質は幼子なのだろう。
だから、神那はまた背伸びをした。
「なんのお話ですか?」
「可愛げの話よ。さて、起きるのだ、沙羅。神那様が甘味をくれるぞ」
そう言って、雫は沙羅の身をゆする。眠い目をこする幼子は、ぼうと神那を見上げた。
「……おかし」
「はい。買いに往きましょう」
*
貴条が天手から降り、庭に向かうと、陽はまだそこでぼうと佇んでいた。
「まだ、悩んでいるのか、陽」
貴条の声に陽はわっと驚きの声を上げ―けれど貴条の顔を見ると首を傾げた。
「……貴条様。どうかされましたか?」
険しい顔でもしてしまったか―仕方がない。気楽に振舞う余裕は今の貴条にないのだ。
天秤に掛けられた―神那と鬼の子か、あるいは陽か、と。
しかも問題は、どちらを選んだ所で何ら意味は無く、結局、杏奈の手元に全てが揃いかねない事である。
神那と鬼の娘を攫ったとして、杏奈が陽を見逃すとは限らない。また陽を差し出したとして、杏奈は貴条の他の人間を使って神那と鬼の娘を攫わせるだろう。
八方塞がり―あるいは杏奈を切ってしまえば済むはないかもしれんが―あの様子では才条が抵抗するだろう。才条は恩人、彼無くては今の貴条はない―切る気にはならない。
手は無いか―そう考えて押し黙った貴条を、陽は不思議そうに眺めていた。
その手には櫛がある。そう。まずは陽の安全を確保しよう。この城から離し、誰かに託してしまう。
その上でなら、神那と鬼の娘を攫うにしろ、あるいは貴条が切り捨てられるにしろ、杏奈の思惑の通りにはならない。
「その櫛を渡した者、腕は立つか?」
貴条はそう、陽に問いかけた。顔も何も知らぬ相手だが―物を贈ったのだ。陽の事を嫌っているわけでは無いだろう。ならば、頼れるはそれだけ。
「はい。狐面と渡り合う程ですので」
狐面―人切りとなった今は知れんが、かつて義賊であった頃なら、貴条もその男を見知っている。酷く腕の立つ者だった―それと同格であれば、達人と呼んで相違ないだろう。
ならば、託せるか。
「その者の居場所はわかるか?」
「はい。……その、熊屋におります。鬼の娘を攫いに来た方ですので」
少し照れた様子で、陽は言った。その言葉に、貴条は衝撃を受ける。
「そうか……あの面の男……そうなるのか。ふふ、ははは……」
貴条の口から笑いが漏れた―笑うしかないのだ。まさか、熊屋の者―これから貴条が攫いに行く場所の男。神那と鬼の子を攫っておきながら、陽の身は頼む―そんなわがままも言えたものでは無い。どの面さげて頼めというのか―。
「貴条様?」
笑い出した貴条を、陽は不安げに眺めていた。
―あるいは全て、杏奈の謀略か。そんな事を思ってしまう。どこまで考えているのか、わかったものでは無い―あの悪女の楽し気な笑いが聞こえてきそうだ。
頼ることは出来ない―否、頼るなど甘えだ。選ぶべき―貴条が、己の意思で、どれを切り捨てどれを守るか。
それが、自由という事。よそに判断を委ねる事は出来ない。
「……ついて来い、陽」
「はい。…しかしどちらへ?」
神那と鬼の子を攫う―それをすればあの面の者は抵抗するだろう。恐らくは雌雄決し、勝った所で陽には怨まれるだろう、思い人を切るのだ。負けたら死ぬのみ―身勝手に全て押しつけて。その段なれば、断られもしまい。
どちらも蛇―されど貴条は選んだ。どう転んでも一つは守れる―一つだけは、必ず。
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