5 橋上の対峙

 5 橋上の対峙


 がら、と熊屋の戸を開けて、神那達は熊屋へと戻った。

 店内は静か―客は二人いるが、押し黙っている。

 熊狩りもまた難しい顔―その雰囲気に神那は僅かに首を傾げながらも、とにかく客に頭を下げる。


「あら、貴条殿に陽さん。いらっしゃい。……どうか、されましたか?」


 神那の問いに、陽はちらりと貴条を見上げ―貴条は太刀に手を伸ばした。

 途端、雫は神那と沙羅をかばうように前へと進み出る。


「貴条殿。……どういうつもりかの?ご乱心か?」


 雫の問いに、太刀から手を離さぬまま、貴条は冷たく答える。


「……守人衆が商いに手を出した責を負わせに来た」

「貴条様、何を……」


 未だなにも聞かされていないのか、戸惑いの声を上げた陽を、しかし貴条は冷たく睨む。


「口を挟むな、陽。黙ってそこに居ろ」

「責とはまた、いかようなものかの」


 雫は尋ねる―どうも、少々懲らしめるでは済まぬ責の様だと。


「鬼の娘を返してもらう。それから神那。お前の身もこちらに。それが責…売られて貰う」

「貴条殿、どうされたのだ?見逃したのはそちらであろう」

「……確かに。俺も同罪……だからこそ、俺がやらねばならん。答えを聞こう。黙ってついてくるか、あるいは手荒に引っ立てられるか」

「ふむ。……誰をも連れずお引き取り願おうかの」


 そう言って、雫もまた太刀に手を掛けた。尋常ならざる貴条の様子―その面持ちには覚悟を決めた風があった。何があったかはわからぬが―間違いなく切る気ではあるだろう。


「貴条様!貴方も、なぜこんな……おやめ下さい!」


 陽がそう声を上げた―その声に、ちらと貴条は陽を見る。


「……ここではなんだ。場所を変えぬか?」


 雫はそう言った。切るにしろ話を聞くにしろ、どうにもここでは貴条がやりづらそうだ。


「…良かろう。陽。お前はここに。この神那と鬼の子が逃げぬよう見張っておれ」

「しかし……」

「頼む。聞きわけてくれ」


 太刀から手を離した貴条は、言い淀む陽にそうとだけ告げて、足早に熊屋を出て行った。


 それを見送った末に、雫は軽い調子で言う。


「と、言うわけで、帰って早々だが行ってまいりますぞ、神那様」

「雫。何やら訳ありなご様子でした」

「うむ。良きにはからいましょう。では、行ってくるぞ、沙羅」

「あにじゃ、平気?」

「うむ。何とかなろうのう…」


 そんな風に呟いて、それから雫は貴条の背を追って熊屋を出て行った。


 *


 浄土が外れ、夕陽に輝く小川が上にかかる橋。そこで長い影を踏みながら、貴条は足を止めた。


 雫もまた立ち上がり、そして口を開く。


「さて、貴条殿。訳を聞こうか?」

「訳も何もない。お前を切り、あるいは熊狩殿を切り、神那と鬼の子に責を問う」


 そう言って、貴条はすらりと太刀を抜き去った。


「前と言っていることが違っておるぞ。見逃したのではないのか?」

 雫はそう問いかける。だが、もはや貴条は応えず、ただりんと太刀を構えた。

 顔の横に鍔のある構え―八双。いつか陽がしていたものと同じだが、その静かな佇まい、気押されんばかりの雰囲気は陽とは比べものにならない。


 静かにして苛烈―口を利く気は無いらしいと、雫は一端諦める事にした。


「そうか。なれば、後としよう。神那様も沙羅も、座して渡す訳にもいかんしのう」


 そう呟いて、雫もまた太刀を構える。中段の構え―切っ先を貴条へと真っ直ぐ向けて。


 睨み合い―せせらぎのみが耳に届く。お互い動かない―機を待ち隙を待つ睨み合い。我慢比べ―その火ぶたを切ったのは貴条だった。


 ざ、と地を蹴り、貴条は雫へと迫る。そして、その太刀を大きく振り上げた。


 その振りはあまりにも大雑把で隙だらけ―がら空きの胴を、雫は切って捨てる事も出来る。否、そうしろと言わんばかりの隙―


 ごう、と太刀は振り下ろされる。その太刀筋もまた荒い。子供の様に腕だけで、雑に太刀を振るっている―――構えの佇まいからは考えられぬような稚拙な一閃だ。


 雫はその一太刀を受け止めなかった―ただ自身の太刀の腹で、貴条の太刀を横から叩くのみ。すると、ただのそれだけで、いともたやすく太刀は逸れ、雫の身体を掠めもしない。

 うまく雫がはじいたのか―否貴条が己から逸らしたようにも思える。そして、太刀を振りぬいた貴条の姿勢は、まるで首を差し出すよう―簡単にその首を撥ねる事が出来よう。


 だからこそ、雫は拗ねて、構えを解いた。その様子に、貴条は問いかける。


「……切らぬのか?」


 雫はふん、と鼻を鳴らす。


「手を抜きおって、面白くもない。その位わかるわ、舐めるでないぞ。切られたいなら真面目にやれ」

「……それでは、俺が勝ってしまう」

「何たる自信か。舐めおって。なぜ切られたがるのだ?」

「……俺が死ねば、一応の面目は立とう。才条様にも、あるいはお前に対しても」

「面目、のう。面倒になって投げ出そうとしているだけではないか?」

「……かもしれんな」


 図星だったか貴条はそう笑い、身を引いた。数歩分だけ後ずさり、それから貴条は言う。


「では、言おう。逃がした責を問われ、神那と鬼の子を攫って来いと言われた」

「それは聞いたぞ」

「攫わねば陽を身代わりに、商品として北に送るとな」

「それはまた難儀な。で?死に目に陽殿の身でもわしに頼もうと思ったか?」

「ご明察……嫌とは言えまい?」

「普通に頼めば良かろう。どちらにせよ嫌とは言わんぞ。まあ、お主が守れば良かろうとは言うがの」

「才条様には恩がある。俺は、刃を向ける気はない」

「だから死のう、と?ふむ、つまらぬのう。そもそも、そうしてお主を追い詰める者が恩人と呼べるのか?否、真に才条とはやらの意思でそう言ったのか?誰ぞに操られているのではないか?」

「知っているのか?」

「杏奈殿だろう。あの御仁、いささか以上に怪しすぎよう。そも、わしが沙羅を盗んだきっかけもまた、あの悪女がそう告げたからだろうしのう」

「杏奈が?……なるほど。そこから計略が始まっていたわけか」

「持って回って嵌めようとしたのではないか?それに抗いもせずのるのか、貴条殿は。一矢報いようとは思わんのか?」


 貴条は何も答えなかった。悩んでいるらしい―その中核は恩義、そして恐らく陽の身。


「はあ、もう良い。わかった。貴条殿。お主を切ろう。それから、陽殿も切ろう」

「何?」

「死人に責を負わせる事など出来んだろう。二人諸共、わしが切った―そう噂を流そうぞ。その上で、陽殿は熊屋にかくまう。それなら一応、陽殿の身は安全であろう?神那様も、投げだしはせんだろうしな。貴条殿については知らん。好きにするが良い。逃げてしまうも良し、始末をつけに行くも良し。……全て投げ出し自刃するも良い。とかくお主が死んだと聞けば、杏奈殿にも隙は出来よう。何やらご老体にひっついておった様だしな。うむ、あのご老体が羨まし……くなどないわ!」

「俺の面目は」

「犬が食った」

「ふん……しかし、確かに上策か。陽の身は、確かに守るか?」

「うむ。いつぞや、見逃された借りもあるしな」

「では、礼はいらんな。最初から、頼めば済んだ話か…」

「だからそう言っておろう。持って回りおって。面倒な男よ。まあ、それはそれとしてだ」


 雫はそう言って、太刀を構えた。中段―切っ先を貴条に向けて。


「なんのつもりだ?」

「おのれ貴条め、わしを舐めおったろう?腕たつと示し、安心させて見せよう。殺す気で来て良いぞ?わしは死なんでな」

「……良いだろう。腕前、見せて貰おうか、」


 貴条は口元に笑みを浮かべ―また、八双に構えた。


 睨み合い―けれど此度は長くなく、貴条が早々に動く。動作は先程と同じだ―迫り、太刀振るう。


 しかし、その動きはまるで違っていた―一切の淀みも隙も無く、流麗にして苛烈、八双から無駄に振り上げることもなく、流れるように振り下ろされる刃。


 雫はその動きに見とれていた―否。動くことが出来なかった。


 それほど速く、鋭い一閃―その刃は、動かぬ雫の首、その寸前でぴたりと止まった。


「なんだ、今度はそちらが手を抜くか。それともよもや、動けなかったとは言うまい?」


 貴条は雫をそう笑った。


「ぐぬぬぬぬ……そ、その通りよ!今のは手抜き、手ぬき返してやったわ!さあ、故に次こそ雌雄決しようぞ!」


 そう意気込んだ雫だが、貴条は応じようとせず太刀を収めた。


「……それで、本当に狐と渡り合ったのか?」

「ぬ!馬鹿にするでないぞ!あの面ひっかいてやったし、逃げ延びてやったわ!まあ、完全にわしの負けだったがな!」

「まったく……それで本当に陽を守れるのか」

「うむ、そこは信用せよ。死なせはせん。だから、振り返らず好きに動くが良い」


 そう答え、雫もまた太刀を収めた。


「好きに、か。そうさせて貰おう」


 最後にそう言い残し、貴条は雫に背を向けて、夕陽の中歩み去って行く。


 その背を眺め、雫は一つ嘆息した。


「やれやれ、どうなっているのだここは。腕が立つ者が多過ぎぬか?まったく、全ては師匠が雑用ばかりさせ、ろくに稽古もしてくれんから…」


 そうぼやきながらも、雫もまた、その場に背を向けた。

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