5幕 平穏の対価

1 吞まれ、惑い…

 1 吞まれ、惑い…


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


 墓があった。墓地でも無く、管理する者もなく、銘が刻まれているわけでも無く……ただ伽藍洞の社―否、もと社だった廃屋の横に。

 そこに眠るは亡国の主―かつて天手に座したが故に、亡き後にすらろくに弔われはしない―主亡き国にはその余裕すらなかった。


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


 混迷収めるには、力が必要だった。血にまみれていようとも、あるいは人で無くなろうとも、力でしか収まらぬ世もある。


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


 血筋がある―責務もある。


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


 不意に、墓の足元に花が現れる。


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


 狐面が浮いていた。姿無く―面だけがぼうと、墓の前に。


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―

 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―

 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


「うるさい……うるさい……」


 狐面は呻く―静かな墓前で、うるさいと―


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり。ただそれだけが望み。ただそれだけが―


「うるさい!」


 狐面は叫ぶ―苦痛の声で。


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


 空を見上げる―曇天。雨は降ってはいない―だが、いずれ。


「雨の、日……」


 ―切れ。切り捨て、名をはせよ。我はここにあり―


「雨の日であれば……切ってくれるのか……」


 *


 城の庭―水面を眺めて、陽はぼうとしていた。縁日から数日―どうにもぼうとしてしまう。

 故は一つ―櫛だ。頂いた櫛を取り出して、陽は呟く。


「…私が、頂いて良かったのか…」


 櫛を貰った事は嬉しい―中々贈り物などされない。まして恩人から、素直に喜べれば良いのだが、しかし問題は、これについて尋ねた時の雫の視線である。


 神那を見ていた―これは彼女に贈るものでは無かったのか、そう思ってしまうのだ。それを、折悪く彼女の前で返そうとしてしまった―だから雫は、決まり悪く陽に櫛を押し付けたのだろう。

 ならば、やはり返すべき―けれど、返したら返したで困らせてしまうだろう。

 いや、あるいは、返したくないだけか……。


「陽。何をしている?」


 突然そう声を掛けられて、陽は飛び上がらんばかりに驚いた。


「うわっ…貴条様!これは、その……」


 しどろもどろになりながら、陽は櫛をしまおうとして、手を滑らせて落としてしまう。

 貴条はその櫛を拾い上げた。


「……櫛?縁日で買ったのか?」

「い、いえ。そ、それは……」

「なら、贈られたか?」

「はい。いえ、……その。これは、私に贈るはずではなかったのでしょう。少し間が悪く、私が拾ってしまっただけです」

「拾った?そうか。なら、返しに行けば良いんじゃないのか?」


 陽に櫛を返しながら、貴条はそう言った。


「それは…その通りですが……」


 言い淀む陽を見て、ふいに貴条は笑った。


「どうされたのですか?」

「いや……珍しく悩んでいるようでな。色恋か?」

「な……違います。私は―」

「隠さずとも良い。しかし、陽がな。時が経つのは早いものだ」

「貴条様。その様な…」

「良くわからんが、貰ったは貰ったのだろう?いらないなら返せば良い」

「いえ、いらないわけでは……」

「なら、貰っておけば良いだろう」

「しかし…」


 言い淀む陽の頭を、貴条はぽん、と撫でた。


「まあ、好きなようにすれば良い。悩むも良し、行動してしまうも良し。何をするも自由―もう商品ではないのだから。俺を真似て無理に太刀を佩く必要もない」

「無理など……」

「太刀より櫛の方が似合っている。そう思ったからその者は櫛を渡したのではないか?」

「私が太刀を持っていては、邪魔ですか?」

「いや。邪魔ではないが……見ていて危なっかしいな」


 怪我をするぞ―と再三言われた。


「似た事を言われました」

「そうか。気にかけられているな。良かったじゃないか」


 笑みと共にそう言って、貴条は去っていった。


「良かった…のでしょうか…」

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