2 立て札と騒ぎ

 2 立て札と騒ぎ


 三日の後に縁日を催す―――そんな立て札が、通りの一角に立てられていた。その周囲には人垣ができている。

 どうやら、陽が大変と言っていたのはこれの事らしい。


「縁日?…何を急に。俺は何も聞いていないぞ。……理由は?」


 貴条にそう問われ、傍らの陽は札の文言を読み上げた。


「はい。……今年の春は遅れに遅れ、未だ残雪留まる始末。故にこそ春風招かんが為、これより三日の後を春来る祭日とする。……だそうです」

「春が来ないから、祭り?」

「その様です。才条様の名で触れが出されていますが…」

「十中八九、杏奈の仕業だろう。……何を企んでいるのか、まるで読めんな」

「しかし、縁日ですか。良い機会ではないですか、貴条様。狐面が人を切り、皆心の内では落ち込んでおります。分かりやすい楽しみは必要でしょう」

「狐面?……そうか。しかし、その為に。……確かめねばな」


 そう呟くと、貴条は何やら考え事をしながら、歩みだした。


 その横で陽はもじもじと、照れたように自分の足元を見ながら言う。


「縁日など久しぶりです。たまの遊び、どうです、ご一緒に」


 そう言って、陽は顔を上げる―するといつの間にやら隣には貴条では無く神那がいた。


「お断り致します」

「な!神那殿!なぜここに……貴条様はどこに?」


 そう言って、陽が辺りを見回すが、貴条の姿は無い。どうやら置いて行かれたらしい―


「さあ、どちらにいかれたのか。しかし……ふふ。見上げようとも気付かれぬとはなんとも悲しいお話」

「な、違う!邪推するな!貴条様は、私の恩人で……」

「隠さずとも良いではないですか。そんな楽しい話は」

「だから違うと……もう良いです!」


 陽はそう言って、貴条の姿を探して人垣を離れた。

 それと入れ違いとばかりに、人垣に近づく者がいた。


 雫と沙羅だ―流石にもう四つん這いでは無く、今は肩車して札へと寄っていた。


「何やら札らしいな。どうだ、沙羅。読めるか?」


 雫は頭上の沙羅にそう尋ねる。しかし、返事に彩は無い。


「よめない」

「む?そうか。では近付こう」

「そうじゃない」

「ん?」

「見える。けどよめない」


 見えるが読めない―そも字が読めないのだろうと合点して、雫は札へと首を伸ばした。


「おう、そうか。字が読めんか。どれどれ……ふむ。あれはな、さん、ひのあとに…みどり!ひ、をいすずめす!と読むのだ」

「いみわからん」

「意味はな、三日後に神那様に罰が下ると―」


 神那はいないと調子に乗って雫はそう言い掛けたが……。


「ほう、では、貴方への罰はいつ下ると?」


 聞こえてきたその声に雫は硬直した。そして、沙羅は、巻き込まれてはたまらないとばかりにしれっと雫から降りる。


「……今すぐに」

「良くわかりましたね。これは、褒美です」

「痛い!?」


 ごん、と盆で叩かれて、雫は頭を抑えてうずくまった。その頭を、沙羅はよしよしと撫でる。そんな沙羅に、神那は言った。


「沙羅。あれは、三日後に縁日を行うと書いてあるのです」

「えんにち?」

「はい。普段より多く人が出歩き、些細な遊戯に興じる日です。しかし、沙羅。字が読めぬとは……良ければ教えましょうか」

「……良いの?」

「ええ。読めて困る物でもありません。逆に読めぬとどこぞの駄犬の様に恥を晒し、だけでなく罰まで下るのです」

「なに!わしが字を読めぬはずなかろう!三日の後に緑日をイ雀すだぞ!寧ろ秀でているが故、あえての間違いではないか!」

「お黙りなさいな、雫。貴方にもおりを見て教えてあげましょう。犬としての正しい在り方を。そう、つまりしつけです」

「……いつもとかわらぬでは痛い!?」


 また叩かれ、雫はうずくまった。どうも近頃、叩かれる頻度が上がっている気がする…。


「さて、いつまで油を売っているのです雫。犬の分際で店を空けるなど、恥を知りなさい」

「…神那様が、行けと言ったのではないですか……」


 不条理に気を落とし、雫は両手を地について自身の身の不幸を怨んだ。


 *


「では、狐を狩るおつもりと」


 城に戻った貴条は、その足で才条の元へと赴き、縁日を催す訳を問い掛けた。

 そして、その答えが、狐面を狩る為、というものだ。


「そうだ。闇夜太刀佩く武人が前に、ぼうと現る狐面……。夜闇に騒げば現れよう」


 才条はそう語る。上辺だけをなぞる言葉―それに、杏奈が肉をつける。


「人垣の中現れれば、騒ぎも起きる。追うも捕らえるもたやすい。まあ、人並みに紛れやすいとも言えましょうが、それはそれ。とかく、未だかつての狐面を慕う者も、暴挙を見れば心を変えるでしょう?」


 ある意味、筋の通っている話である。


 狐面は神出鬼没―いつ、どこに現れるかはようと知れず、しかも現れたと知るのはいつも夜が開けてからだ。しかし、縁日と銘打ち夜半まで通りに人を満たせば、どこに現れようと騒ぎは起きる。

 あとは縁日の中に手の者を適当に割り振れば、騒ぎの場に出くわし、狐面とまみえる機会も多くなろう―問題は、そもそも狐面が出るかどうか分からないこと。出た後、面を取る知恵があれば人並みに紛れるも容易な事。

 そして何より―


「…無用な被害も生むかと」


 狐面はどこに出るかわからないのだ。最初にあった何者かはまず切られる―それが守人衆の者であればまだ良いが、まったく関係のない者の前に現るとも限らないのだ。


 しかし杏奈は、それがわかった上で―それでも構わないと思っているのだろう。


「だから、貴方達が働くのでしょう、貴条様?目を光らせ、堂々と太刀を晒せば、貴方達の誰かを狙うかも。なれば、そこで切ってしまえば良い。それに札はもう立ってしまった。今更やめようと言ったところで、どうせ騒ぎは起きますわ。ここは浄土、法も主も無い平穏の地。皆が望めば、騒ぎは止まらない」


 そう。守人衆は規律を求め、あるいはこの浄土の警護もしてはいるが―権力ではないのだ。民に命ずる権利があるわけでは無い。


「……才条様もそうお考えで?」

「そうだ」


 才条はすぐさま頷いた―やはり人形。

 騒ぎは止まらない―ならば貴条は、その中で最善を尽くす他ない。


「わかりました。では、その様に」

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