4幕 縁日騒動

1 ばれた悪事

 1 ばれた悪事


 がららと熊屋の戸を開ける―すると、いつもならば閑古鳥の鳴いているその店の内が、今日に限って賑わっていた。


「おう、賑わっているな…」


 小太りの男、金成はそう呟くと手近な席につく。


 珍しい喧騒―その故は、ある噂が回っている事である。かく言う金成もその噂を確かめに足を運んだ次第であり、そして座った金成の元へ、噂の種がてこてこと歩み寄った。


「ご注文」


 角のある娘―沙羅は不愛想に金成へとそう言った。その姿に、金成は声を上げる。


「おう、角が。噂の通りですな……しかし愛想が無い。それでは、客が逃げてしまう。良いですかい、鬼の娘よ。商売とはまず…」

「決まったら呼んで」


 へきへきとした様子でそう言うが早いか、沙羅は逃げるように去っていった。

 そして入れ代わるように、神那は歩み寄ってくる。


「あら、金成殿。その節はどうも」

「いやいや、わしは噂を言っただけの事。礼は期待しますが。で、あの娘が?」

「ええ」


 鬼の娘が店先に立っている―それが噂の内容だ。鬼の子は珍しい―気味悪がる者も中にはいようが、しかしてそれより好奇が勝り、こうして熊屋は繁盛しているのだろう。


 そしてその噂が流れ出したのは、丁度神那に人が売られると話した日の後―


「鬼の娘とはな。いや珍しい」

「お陰で、こうも賑わっていて、目の回る忙しさです」


 そう言って、神那は厨房に視線を向けた。


「ひい、忙しい。…ぐぬぬ神那めさぼりおって……なぜわしばかり馬車馬の如く……」

「黙って洗えただ飯食らい。溜まる一方だぞ」

「ひい!」


 と、悲鳴を上げながら、雫は目を回し今にも倒れんばかりに駆けずり回っていた。明らかに、一人だけ仕事に量がおかしいように見える。

 その様子に、金成は同情し、呟いた。


「……一人だけ、な。あれでは倒れ兼ねんのでは?」

「幾ら萎びようと水をかければ飛び起きるのです」

「だから濡れているのですか。…難儀な」

「あれでいて覚えが良い……本当に良いめしつか……こほん。忠犬です」

「言い直してもまだ犬とは……難儀な」


 と、そこでまた店の戸が開き、同時に神那は呼びかける。


「あら、お客様ですよ、沙羅」

「へい、あね……」


 あからさまに嫌そうな顔をしながらも沙羅はそう答え、しかし来客に目を向けた所でその口は閉ざされた。そして沙羅はとことこと駆け、雫の背に隠れる。


「む?どうしたのだ、沙羅?」


 雫はそう問いかけ、それから沙羅の視線の先―来客に目を向ける。


「ほう、あれは守人衆の……」


 雫はそう呟いた―その声に、神那もまた合点する。思い返せば、来客に見覚えがあった。


「守人衆?ああ、そう言えば見た顔ですね。確か、貴条殿でしたか?何ようで」


 微笑みを崩さぬまま、しかし僅かに警戒をはらんだ声で神那は言った。店先に立てた以上、いずれ守人衆が来るのはわかっていた。そもそも情報の出どころは杏奈―今や守人衆を牛耳ている女。隠し立てなど土台無理な話だからと、開きなおって店先に出したのだ。


 そしてついにやって来た―問題はその用向きである。貴条は僅かに鼻を鳴らした。


「物見のついでに食事に来ただけだ。……本当に神那の元にいるとはな」


 沙羅を眺めて、呆れた様子で貴条は呟く。


「……杏奈に言われて取り返しに来ましたか?」


 神那は持って回るのも面倒だとばかりに前置きもなくそう言った。わざと盗ませ、捕らえに来るというのも妙な話だが、しかし杏奈の事。無駄に見えても意味のある悪だくみと言えない事も無い。あるいは何も考えず、ただからかっているだけかもしれないが。


 神那の問いに貴条は首を横に振った。


「いいや。見逃すと。まったくあの女狐、何を企んでいるのやら……」


 見逃す……何を考えているのか、貴条もわかっていないらしい。どころか言葉の節々に反感を抱いている風もある。


 神那は少しからかってみることにした。


「あら、大変なご様子。怖い怖い。今にも噛みつきそうで、杏奈も大変でしょう」


 何かしらぼろでも出すか、と期待した神那の言葉だったが、しかし貴条は顔色を変えず逆にからかい返してきた。


「それを言えばお前の犬も大概だぞ。ああも高らかに名を出しながら盗人とは」

「名を?……雫」


 神那は冷たい視線を雫に向ける。途端、雫は色をなしてごまかし出した。


「わしは知らんぞ!ちゃんと神那様は関係ないと言ったからな!別に悪事がばれて懲らしめられれば多少丸くなり可愛げも出ようとかまったく思ってないからな!別に懲らしめに来たかと思って心踊っているわけでもないからな!」

「……しつけが足りなかったようですね。ああ、そうです。思えば、虐げてばかりでまるで褒めていなかった。さあ、雫。こちらへ。褒めてあげましょう」

「褒める!?褒めるだと、わしは知っておるぞ、そう言って更に虐げるのであろう!知っているからな!」


 そんな事を口では言いながら、しかし雫はじりじりと神那へと近寄った。

 その様子に、神那は微笑みを浮かべ、雫もまた微笑み返し―ごん、と盆がなった。


「あいた!」


 雫は頭を抑えてうずくまる。その様子に、貴条は呆れ顔で呟く。


「知っているのに、なぜ近付くんだ?」

「……逃げれば追われる。よれば恐らく虐げられるが一縷のみであろうと褒められるやもしれん……寄るしかないのだ」

「難儀な……」


 貴条は心の底から呟いた。


「師匠が、師匠が全て悪いのだ。師匠のせいでこんな性分に……」


 雫は泣き言を漏らす。と、そんな雫に沙羅はとことこと歩み寄り、その頭を撫でた。


「よしよし」

「おう、沙羅…慰めてくれるか。お前はこんな悪女にならんでくれ。頼むから、な?」

「悪女と言いましたか?まったく、もっと褒めて欲しいのですね。では―」


 再び神那は盆を振り上げかけ―しかしそこで、どんと音を立て、熊屋の戸が開きまた新たな客が入って来る。

 太刀佩いた男装の少女―陽は開口一番、大声を出した。


「貴条様!貴条様大変です!」

「陽か、どうした」

「はい。それが……」

「何!それは大変だ!ちょっと行って確かめてこねばっ!?」


 これは逃げ出す好機と話も聞かずに駆け出そうとした雫だったが、しかし神那がさっと足を駆けた事で勢いのまま無様に倒れこんだ。そしてそんな雫を見下ろし、神那は言った。


「沙羅?逃げるぬよう、のしかかりなさいな」

「へい、あねご」


 沙羅はこくりと頷き、倒れこむ雫の上にちょこんと座り込んだ。


「さ、沙羅!裏切るのか、沙羅!?」

「すいやせん、あにじゃ」

「沙羅ああああ!」


 文字通り尻に敷かれ、雫は喚く。


「……これは…一体?」


 故はわからぬが虐げられている様子と、陽は戸惑う。そんな陽に貴条は問いかけた。


「で、陽。何があった?」

「は、はい、貴条様。実は……とにかく、来ていただけませんか?」

「…わかった。では、食事はまたにしよう」


 そう言って、貴条は陽に連れられ去っていく。そして熊屋にいた他の客達もざわざわと騒いだ後に、ひとり、また一人と二人の後をおって出ていった。


 なんだかわからないが、騒ぎがあるらしい―見物に行こうというのだ。浄土の民は騒ぎが嫌いでは無いのだ。


 やがて賑わっていた店内からは完全に人気がうせた。そんな内を見回して、神那は呟く。


「あらあら。お客様もひいてしまいましたか。騒ぎ、と……なにやら楽し気ですね。さあ、雫。何を寝て居るのです。行きますよ」


 神那もまた騒ぎが嫌いでは無い―一足先に出て行った神那の背を見上げ、雫は呻く。


「…ぐぬぬ……、やりたい放題しおって……。ところで、沙羅。どいてくれぬか?立てぬ」

「行こう、あにじゃ」

「このまま……行けと申すか……」

「わんわん」

「沙羅、そなただけは、犬と呼ばんでくれ……」


 などと涙ながらに呟いて、それから雫は両足を踏ん張り、沙羅を乗せたまま四つん這いになる。そしてその恰好のまま、店の外へはいはいと出て行った。


 店内からは、完全に騒ぎの種が消える。そんな中に取り残されて、金成は呟いた。


「わしの、注文は?…礼とは?」


 そんな金成の肩をぽんと叩き、熊狩は言った。


「今日はただにしてやるよ、旦那」


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