2 あるいはまた囚われの鬼子

 2 あるいはまた囚われの鬼子


 熊屋の定食、焼き魚を前に沙羅は目を輝かせ、無心に食らいついていた。

 その様を柔らかな微笑みと共に眺め、神那は尋ねる。


「美味しいですか、沙羅」


 沙羅はこくりと頷いた。


「それは良かった」


 神那はまた微笑む。と、その様を熊狩が何やら険しい顔で眺めている事に雫は気付いた。


「どうしたのだ、熊狩殿。何やら怖い顔をして」

「…いや、あの子をどうする気かと思ってな」

「ふむ。宛があるならそれも良し。ないなら引き取るのではないか?……そうだ、聞いていなかったな。沙羅」


 雫が呼びかけると、頬に米粒をつけた沙羅は顔を上げた。その米粒を、神那は優しい顔で取ってやっていた。


「宛はあるのか?家族は?家はどの辺りかの」


 その雫の問いに沙羅は首を傾げ、それから彼方を指差して言った。


「……あっち」

「ほう。道はわかるか」

「しらない」

「ふむ……そもそもだ。なぜ捕ま…痛!?何をするか!」


 尋ね掛けた折に盆で叩かれ、雫は涙ながらに神那を睨みつける。だが、神那は文句などどこ吹く風と涼し気に、諭す様に言った。


「雫。誰もが貴方のように能天気に生きているわけでは無いのです。謂れもなく虐げられる者も世にはおります。やたらと詮索するものではありませんよ」

「……わしをおいてどこにいわれなく虐げらえているものがおるというのか」

「黙りなさいな、ただ飯食らい。それに、貴方の思惑は読めています。どうせ沙羅を連れ帰すと言う大義名分で貴方自身をも自由を得ようというのでしょう?」

「ぐぬぬ…なんと悪事に鼻の利く……流石、悪女は違いま痛い!?」

「さて、沙羅。話が出たので聞きましょう。家へ帰りたいですか?道がわかるなら、他に案内を立てて送り届けさせますが」


 神那に問われ、沙羅はまた首を傾げ、その末に言った。


「わかんない」

「道がわからぬと。では地名などはわかりませんか?」

「……なんだっけ?」

「わからぬのですか。それでは、送りようもありませんね。仕方がありません。では、ここにおりますか?いずれ思い出す時まででも」


 そう言われて、沙羅はこくりと頷いた。神那は手を合わせ、満面の笑みを浮かべる。


「それは良かった。……では、そうと決まれば、沙羅。この世には良い言葉があります。働かざる者食うべからず、と」

「…子供の仕事はあそぶこと」

「おお!良いぞ沙羅!言い勝ったでは痛い!?」

「沙羅。貴方はお幾つですか?」

「……なんだっけ?」

「そう、忘れる程長く生きていると。では、子供ではありませんね」

「神那様!それは幾らなんでも横暴が痛い!?殴り過ぎではないか!?」

「駄犬をしつけているのです」

「まだ犬と呼ぶか!ぐぬぬ……どうです熊狩殿!この仕打ち、沙羅の教育に悪い!やはりここはわしが責任を持って送り届けるべきでは!?」

「その送る先がわかんねえんだろ?」

「わかるまで送れば良い、悠々と諸国漫遊し、いずれ辿り着くその日を願う――素晴らしい日々よ!と言うわけで神那様!わしの羽織を痛い!?」

「沙羅。食事が済んだら働いて頂きますよ?」


 神那にそう言われて、沙羅は露骨に顔をしかめた。


「…めんどくさい」

「考えてみなさい、沙羅。その着物は誰が与えた物か……その食事は?私は施したつもりはありませんよ?」

「む……子供相手になんと大人気のない……」

「何か言いましたか、雫?」

「なんでもございませぬ!」

「そうですか。では、沙羅。働いていただけますね?」

「…いやです、あねご」

「姉御ではありませんよ、沙羅」

「すいやせん、あねご」


 姉御―どうも神那はそう呼ばれるのが嫌らしく、呼ばれるたびに苛立ち募り、そして当たる先は一つ。


「……まったく、粗野な言葉を。どこで覚えたのでしょうか、ねえ雫」

「いや、わしは別にそんな言葉遣いを教えておらんぞ。ここへの道すがら言い聞かせたわけでは無いからな!本当だぞ!今度ばかりは本当だぞ!……本当、本当なんです。嘘ついてないんです、わしは別に教えてないんです!本当です神那様!嘘ではないんで―」


 ごん、と良い音と共に雫はまた盆で殴られた。


「さて、沙羅。食事はすみしだい、そう、手始めに皿洗いでもしていただきましょう」


 どうしても、働かされるらしい。そこで沙羅は、牢より出される時に雫に言われた言葉を思いだした。


「あにじゃ。ここいや。連れ出して」


 嫌ならどこへなりとも連れ出すと、雫は確かに言っていたはずである。しかし、頭を抑えてうずくまる雫は口を濁すのみ。


「…そうしたいのは、山々なんじゃが…」

「…話がちがう」

「そんな目で、見んでくれ…」


 *


 神那に色々と口を出されながら、沙羅は嫌そうに食器を洗っていた。何やら姉妹のようで微笑ましいし自分の雑用が減るやもしれんと雫は笑って眺めていたのだが、しかし熊狩は未だ難しい顔でその様子を眺めている。

 雫は尋ねた。


「ふむ。一体、何が気に入らないのだ熊狩殿」

「いや、守人衆も落ちたものだちな。人を売るなど……かつては守り、買っては逃がしていたはずがが」

「買っては逃がすと?」

「ああ。才条の爺さんが主導してな」

「才条とは、守人衆の頭か。知り合いか?」


 その雫の問いに答えたのは神那だった。


「父上は昔、ここに国があった頃には臣下として勤め、諸国に響く達人であったのです」


 達人―その言葉に雫は声を上げる。


「なんと、では熊を狩ったとは真か。ぜひ、手合わせ願いたいのう」

「やめてくれ。妖刀なんだろ、それ。勝てねえよ」

「む。わしは妖刀を同じく妖なる者にしか使わんぞ。故なくば、だがの」

「………故あれば使う、か。殿とは違うな」

「殿とは?ここのかつてあった……太刀守と言った国の?」

「ああ。……多くの妖刀を持った国の主。妖刀持つが故の、太刀守。……戦えば勝てただろうに、な」

「ふむ。戦に、か。だが、妖刀があるから勝てるという話では無かろう?」

「そうでもねえさ。あったんだよ。その一振りで戦に勝ちかねない妖刀―覇者の太刀が」

「覇者の太刀、とな?」


 雫がそう問いかけると、熊狩はどこか遠くを睨みながら答えた。


「そうだ。他に比類なき最強の妖刀。太刀守の名の由来にもなった一振りの太刀。ま、どこにあるかわからないからほとんど伝説みたいなもんだけどよ……あったんだよ。確かに。あるはずなんだ。それがあれば、勝てたはずだ……」

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