4 囚われの鬼子

 4 囚われの鬼子


 じめじめと陰気に陰る、城の地下。重苦しい錠の掛かった戸を前に、貴条は呟いた。


「……まだ、来ていないようだな」

「はい。どうされるのです、貴条様」


 傍らの陽はそう尋ねる。すると貴条は、思案顔で腕を組む。


「……陽。その者、真に攫うと言ったのか?」

「はい、間違いなく」

「なぜ攫うと?」

「そこまでは…しかし、しきりに熊屋の神那の名を出しておりました」

「神那……」

「人を呼びますか?」

「いや……必要ない。悪戯に吹聴する必要はない。誰も呼ばず、誰にも話すな。俺がここにいよう。お前は着替えてこい。泥だらけだ」

「あ……はい!」


 指摘されて初めて自分の格好を思いだしたか、陽はすぐさま頷き、駆けて行った。

 そして、その背を見送った末に、貴条は錠の掛かった扉を眺めた。


 この向こうには、商品がいる。北へと売られ往く商品が。


 ここは浄土、法も国も無く、裁きもない。だが、裁かれぬからといって全てが許されるべきではない。まして人を売る―貴条も、陽も。かつては売られて、この場に来たのだ。


 そして、才条に自由と名を与えられた。その才条が、売ろうとしている―悪女にたぶらかされて。

 恐らく、本意ではないだろう―あるいは、既に意など無いか。なれば……。


「……居るのであろう、人攫い」


 貴条はそう声を上げた。すると、物陰からひょいと、犬の面が顔を出す。


 そして犬の面―雫は、大仰に身振りしながら名乗りを上げる。


「よくぞ見抜いた!我こそは怪しき怪しき人さらいにして別にまったく熊屋の看板娘であり容姿ばかりが光輝く悪女にして女郎、神那様とは関係のない者だ!」

「神那?……そうか。それで、人を攫いに来たとか」

「いかにも!」

「攫ってどうする」

「ふむ……売られるくらいだからな、銭も無かろう。神那様の事だから、こき使うのでは無いか?少なくとも投げだしはせんだろう。いや、違う。神那様はまったく関係していないぞ!だから是非とも、懲らしめて欲しくなんかないぞ!」

「奴隷として扱うと?」

「む?ふむ……まあ、それに近いのかの。だが、食事は美味い。ここで食うものよりはな」

「……確かに」


 そう呟いて、貴条は雫へと振り向いた。雫は太刀の柄へと手を伸ばし、問いかける。


「止めるか?良いぞ、一戦交えるか?」

「俺は何も見ていない」

「む?」


 意外な言葉に首を傾げる雫の前で、貴条は何かを床に落とす。


 しゃり、とこすれる音と共に落ちたそれは、鍵の束だった。


「気付けば賊が攫っていた。どこかで鍵を落としたらしい。まったく、俺の目も節穴だな」

「…通すというのか?何故?」

「……俺もかつて買われ、だが救われた。商いも良いが、節度はある」


 その返事に、雫は太刀から手を離し、鍵へと歩みだした。


「ふむ。中々に自分勝手な男よ」

「賊に言われたくはないな」

「確かに。ではありがたく頂戴するとしよう。礼を言う」

「いらん。……いずれ返して貰うとしよう」


 その言葉を残して、貴条は歩み去っていく。


「…話せる者もおるのう」


 そう呟きながら、雫は鍵を拾い上げた。そして眺める、重苦しい錠、閉ざされた牢を。


 *


 扉の向こう―地下の牢には窓もなく、明かりは一つ、開いた戸より揺れ入りこむ灯のみ。

 明かりを背に影を伸ばしながら、雫はその内へと踏み込んだ。


「だれ?」


 足音に気付いたか、牢の内の誰かがそう声を上げる。酷く、幼い声だ。


「降りしきる雨の下、雫だ」


 面を顔の横へとずらしながらそう答え、それから雫は声の主を見た。十にも満たない幼い娘が、隅にうずくまっていた。

 身につけている物はただのぼろ、食事が悪いかやせ細り、怯えるように身をすくませて、雫を睨みつけていた。


 その額には角がある―飾りでは無く、本物の角が生えているのだ。


 鬼の子―そう言っていた事を雫は思いだした。けれど、驚くこともない―雫には、鬼に知り合いがいるのだ。だから雫は普段通りに問いかけた。


「そちらの名は?」

「……沙羅」

「そうか。良い名だな」


 そう言うと、雫はかちゃりと鉄格子の鍵を開ける。

 その音に沙羅はびくりと身を震わせ、怯えるように言った。


「…私にふれると呪われる」

「そうか。中々良い嘘では無いか」


 そう、嘘であると雫は知っていた。聞いていたのだ、鬼の知り合いから。

 鬼は不思議な術を使う―それは真の話であり、人の世で良く言われる噂話でもある。だからこそその嘘―運悪く人に掴まった時は、身を守るためそう嘘をつくように鬼の子は言いきかされるのだ。酷い目に遭わされないように。だから、それは嘘―実際の鬼の術は人を癒すものだ。


 雫は更に歩み寄った―するとまた、沙羅は言う。


「だから、呪われる…」

「そう怯えるでない。わしは取って食ったりせんよ。それに嘘も通じん。鬼に知り合いがおってな。お主を連れ出しに来たのだ」


 その言葉を、しかし沙羅はまだ疑った様子だった。


「…買う、の?」

「盗むのだ。ここよりは幾分ばかりか良い場所へ。さあ、」


 そう言って、雫は沙羅へと手を差し伸べる。だが沙羅は怯え、その手を掴もうとしない。


「む。…確かに、怯えるもしようがないな。はてさて、どうしたものかのう…」


 雫は腕を組んで、うんと悩んだ。それから、どっかりと腰を下ろし、胡坐をかく。


 沙羅と目線の高さを合わせて、雫は言った。


「ま、すぐにどうこうという話でもないかのう。うむ。来る気になったら言ってくれ」

「…盗みに、来たのに?」

「うむ。無理に連れだせばここの者らと同じであろう?それは良くないからのう」

「…あなたも、捕まる」

「確かに。そうか、そうだのう。では、こうしよう。出る気になったら、そこいらの水に触れて出たいと言うが良い。その時に改めて連れ出すこととしよう。どこへなりとも現れて、連れだしてしんぜよう」

「…うそ」

「嘘では無い。わしは嘘の時はわかるようにしか言わんからな」


 そう言った沙羅は、しばし雫をしげしげと眺めていた。


「ここより、良い所?」

「うむ。幾分かはな」

「…もし、そこがいやだったら」

「なれば、わしがまた連れ出そう。良き機会としてな!」


 その言葉を吟味するように、沙羅はまたしげしげと雫を眺めた。

 そしてやがて、おずおずとその小さな手を雫へと伸ばす。


「む。往く気になったか?」


 雫の言葉に、沙羅はこくりと頷いた。


「では、行こう」


 その言葉と共に、雫は幼い手を掴み取った。


 *


 衣を着替え、廊下を地下へと走り―その中途で、陽は向こうから歩んでくる貴条と出くわした。途端、陽は声を上げる。


「貴条様!賊は?」

「……陽。誰にも言っていないな」

「はい。それは勿論」

「……では、何も知らない事にしておけ」

「は?それは…どういう……」

「人を売るなど許せるか?」

「それは………」

「義賊もまた良い。この件は、俺の失態。俺だけの失態だ」

「しかし、」


 尚も言い淀む陽の頭に、貴条はぽん、と手を置いた。


「何も言わねばばれはせん。攫われてから知った事にせよ」

「……わかりました。貴条様がそうおっしゃるのなら」


 *


「なんて事にはならないのよね……。本当、あつかいやすい子達」


 天手、才条の耳元で、杏奈は不意にそう笑う。その言葉に、才条はちらと視線を向けた。


「ん。どうしたのだ、杏奈」

「いいえ、なんでもありませんわ、才条様。お気になさらず…」


 囁く杏奈の口元には、笑みが張り付いていた。

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