3 義賊ごっこ

 3 義賊ごっこ


 城――堀に囲まれ、積まれた石垣の上に鎮座する高根の屋敷。きらめいているのは残雪が故か。どうも、天守閣の周囲ばかりが城として残っているらしい。

 入り口、門は一つのみ。そこには番の兵もいる。何やらぶしつけに雫を睨んでいる。

 そこそこな広さのその周囲をぐるりと歩んだ末に、雫は呟いた。


「流石に、門番もおるか。ふむ。押し入っても良いが…やたら切るのもな。まずは探りか」


 そう言って、雫は周囲を見回す。そして、目をつけたのは一か所。


「…掘か。枯れきってはおらぬな」


 言うが早いか、雫は堀の底へと飛び降りた。影には積雪が固まり、地面はぬかるんでいる。水は引いているが、元々はけも悪いからか、所々に濁ったたまりとして残っていた。


 汚濁なれど、水溜まり。その一つへと雫は歩み寄り、水に触れる。


「…水とはわが目であり、耳である」


 その言葉と共に雫の佩いた太刀―妖刀が僅かに震え、目には別の場所の景色が、耳には遥か遠くの音が聞こえてきた。

 陶器に汲まれた水から見上げる城内の様子、そこに居る人の話し声。庭の小池から見上げる城の様、研鑽に励む武者の気合い。


 そして――見つけた。残雪から垂れた水滴が窓の真横にたまる場所。


 そこは天手の窓――部屋の内には三人が座している。堂々と胡坐をかく老人、その肩にしなだれかかっている派手な装束の女。そしてその二人と向かい合い、かしずいている若い男。


 雫はその様、話し声に意識を集中させた。


 *


 ぴしゃ……水滴が垂れる音に若い男は窓を見た。何者かの気配を感じたのだ。

 しかし窓の向こうにあるのは見下ろす浄土が町並みのみで、人の姿はようと知れない。


「どうした、貴条」


 胡坐かく老人はそう問いを投げかける―その声に若い男、貴条は頭を下げた。


「いえ……誰かに見られていたような。気のせいでしょう。お騒がせしました、才条様」


 老人――才条は気に留めた様子もなく、どこかぼうとした様子で応えた。


「よい。して、貴条。話とは?」

「は。…出来れば二人で腹を割ってと」


 その言葉と共に、貴条は面を上げる。睨むは才条にしな垂れている女―派手な装いの異国の女だ。女―杏奈はその視線に楽し気に目を細め、それから才条の耳元に囁いた。


「あら、まるで私が邪魔だと言いたげに。酷いお人。ねえ、才条様」

「うむ。貴条よ。杏奈がいては出来ぬ話とは言うまい?」


 才条は守人衆の主にして、貴条の恩人でもある。かつて浄土に秩序を生んだ男―杏奈が寄り付くようになり、露骨に様相が変わったといえ貴条にはその言葉を無下には出来ない。


「いえ…。わかりました。では、本題に。才条様。あの鬼の子、どうされるのです」


 貴条は才条を見て問う―すると才条は傍らの杏奈にそのまま問いを流した。


「ふむ……どうするのだったかな、杏奈」

「もう、言っていたではありませんか。北に売ると。その為に仕入れたのでしょう?」

「おう、そうで、あったな」


 才条への問いには杏奈が答える――そこに才条自身の意思は感じられない。いつの間にやら、そんな操り人形の様になってしまった――しかしそれでも、貴条は才条に言葉を投げた。


「売るとおっしゃるのですか?……人を売るなど、人の道に外れた行い。最も悪しきことと憎んでいらっしゃったはず。ここには法も国をもなきが故に、よそよりも気高き規律をと。買うまでは良い。されどその後は自由を与えよと貴方は―」


 貴条の言葉はしかし、杏奈に遮られた。そんな戯言、聞きたくないとでも言いたげに。


「それは昔の話。ねえ、才条様」

「うむ」

「ほら、才条様もこうおっしゃる。南で人を買い、北に売る。あちらは未だ身分が全て―底辺の小間使いは重宝される。まして鬼の子―価値は高い。この取引がなれば、北も才条様を良き仕入先と見るでしょう。南は良き買い手とも。ここに交易の点が生まれる―栄える土地は常に交易の中心。これがなれば昨日より良い暮らしができるのよ。ねえ、才条様」

「うむ。……杏奈の言う通りである」


 杏奈の言葉に、才条はただただ頷いていた。


「もはや、骨抜きか」


 貴条は呟く。わかっていたこととは言え、無念の思いは拭えない。


「……考えをかえるおつもりは?」


 最後に貴条は問いかけた。才条へと。けれど、答えるは杏奈だ。


「ないわ。用が済んだら去りなさい」

「……失礼致します」


 その言葉を残し、貴条は歩み去っていく。どこか打ちひしがれた様子で。


「真面目な子ねぇ」


 貴条が去ってから、杏奈はそう呟いた。


「うむ。血こそ繋がっておらぬが、わしの息子よ。…はて、貴条は何を言いたかったのだ」


 一瞬だけ才条の目に光が宿った。しかしその途端に杏奈は才条の首に腕を這わせ、更にその肢体を寄せる。


「そんな事は良いではないですか、才条様。それよりも、鬼の子は今、どこに捕らえているのだったかしら」

「……地下の牢におる。それを聞いてどうするのだ」

「いえ、鬼の子なんて、珍しいでしょう?後で、見物にいきましょう?」


 そう言った杏奈は、窓を見ていた。そこを垂れる水滴、残雪溶けた水溜まりを。


 *


 一部始終を眺めた末に、雫は水溜まりから手を抜いた。途端、見えていたここでない景色、聞こえていたここにない音がぶつりと途切れる。


「地下の、牢か。…しかし杏奈殿、わしに気付いておったか?……ふむ。何ぞ謀略の匂いがするの。やはり悪女か。まあ、良い。とかく、羽織の為羽織の為……」

「そこで何をしている!」


 不意にそう、鋭い声が耳を差し、雫はちらと声を見上げた。


 見上げる先に居たのは少年である。線細く、腰に佩いた太刀が酷く不釣り合いに見える少年。

 その少年は、堀の底へと滑り下りてくると、まっすぐと雫を睨みつけた。


 守人衆の者だろうか。何やら、見とがめられたらしい。


「む。……うむ。蛙がいたのでな。大声を出すから逃げられてしまったではないか」


 雫がそう適当な事を言うと、少年はまた声を荒げた。


「蛙?……見え透いた嘘を。あからさまに怪しい奴!」

「怪しいとな。どこがだ?」

「変な面をつけている奴が怪しくないはずも無かろう!」

「変な面?おお、忘れておった」


 そう言えば、神那に犬の面をつけられたまま、外していなかった。それを思い出して、雫は面を外しかけ―


「む。取ってはいかんな」


 悪だくみの最中であったと思い出し、その手を止めた。そしてその仕草は、より疑いを強めたようだ。


「なんと怪しい仕草……目的はなんだ!」

「だから、蛙を捕まえようと……は!?否、ばれてしまえば仕様もない。ふふふ、そうわしは怪しい者。怪しかろう!」

「最初からそう言っている!」

「わしの素性はあかせん。だが、これだけは言っておく。神那様は無関係だぞ!」

「なに?神那?」

「そうだ!熊屋の神那様は一切まったく関係していないぞ!別に売られる人の子を攫って来いとか言われておらんぞ!」

「熊屋の神那……あの娘の差しがねか!」

「そうだ!……あ、違う間違えた。違うぞ!別に神那様に言われたからやっているわけでは無いぞ!」

「どっちなんだ……とにかく怪しい奴!ひっ捕らえ、貴条様の下で悪事を暴いてやる」


 そう言うが早いか、少年はすらりと太刀を抜き去り、鍔を顔の横―八相に構えた。


「たあああああ!あああ!?」


 そして裂ぱくの気合と共に雫へと駆け出し―その中途で泥に足を滑らせて転んだ。


「おう、大丈夫か。とにかく、太刀は収めよ。怪我をするぞ?」

「ぐぬぬ…馬鹿にして!」


 そう叫ぶや否や、少年は勢いよく立ち上がり、今度こそ転ぶ事なく雫へと切り掛る。


「おう!?やめよやめよ、自分を切るぞ!」

「舐めるな!」


 少年の振るう刃―どちらかと言うと重さに振り回されている風におぼつかないそれを、雫は器用に交わし続けた。


「なんとすばしこい……ちょこまか避けるな!」

「うむ……そう言われてもな…」


 そう呟いて、雫は足を止める。それを好機と見て取って、少年は上段から思い切り太刀を振り下ろした。


 しかしその途端、雫は前に出る―少年の懐へと飛び込んだのだ。そして振り下ろされる刃、それを握る少年の手首を掴み、その一閃をやすやすと受け止めて見せた。


「離せ!」

「やはり、軽いの。腕だけで振るってはいかんぞ。ましてこの細腕……む?」


 そこで雫は、逃れようと暴れ回る少年の顔をしげしげと眺めた。


 少年―確かにその者は少年の格好をしている。太刀まで帯びて、その装束は立派な武芸者。しかしその腕は極めて細く、その顔はどうにも……。


「もしや、お主…」


 そう呟きながら、雫はおもむろに手を伸ばした。少年の、胸へと。


「な!?何をする!触るな!」


 途端、少年は更に慌てだすが、雫は意に介す事なくわきわきと手を動かした。その指が沈み込んでいた。着物の向こうの柔らかい感触に、雫は手を止める事なくうんうんと頷く。


「む……やはり女。そうか、ふむ…では尚更、腕だけで振るべきではないぞ。重かろう!」

「……いつまで、触っているのですか!」


 悲鳴にも似た声と共に、少年―否、少女は太刀から手を離し雫の面を張った。


 先程までのおぼつかない太刀さばきが嘘のような鋭い張り手を雫は交わす事が出来ず、無様に泥の中へと突っ伏した。


「ア痛ッ!?……面が、面をしておるが故に痛い………しかし、不利な体勢でありながら、なんとするどい一撃。今の感じで振ると良いぞ!」


 まったく懲りた様子のない雫に、少女は顔を真っ赤にしてわなわなと震える。


「……馬鹿にするな!」


 そうして、少女は再び太刀を振り上げ―しかしそこで、声が投げ掛けられた。


「陽。何をしている?」


 その声に、少女―陽は視線を上げる。城を後にする所だったのか、堀の上から、貴条が陽を見下ろしていた。


「貴条様!はい、今そこに怪しい助平が…………」


 そう言って、陽は倒れている雫を指差す―だがしかし、つい今しがたまでそこに倒れこんでいたはずの雫の姿が霞と消え去っていた。


「消えた?……なんと、逃げ足の早い」

「陽。怪しい助平とは?」

「はい。……今しがたまでそこに。何やら、売られる人を攫いに来たとか、妙な仮面をつけた奴が……」


 その言葉を聞いた途端、貴条の顔が険しくなる。


「攫いに?……ついて来い、陽」

「はい!」


 *


 足早に城へと戻って行く貴条、堀を這い上がりその後を追う陽―雫はその様子を離れた物影から眺めていた。


「ちょうど良いのう。地下と言われても探り切れんし…楽で良い。しめしめ、しめしめ…」


 しめしめと言いながら、雫はまた物陰に姿を隠した。

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