2 雑貨屋の世間話
2 雑貨屋の世間話
布に着物。櫛、簪、包丁やら鍋やら、果ては金品宝石の類―神那に連れられてたどり着いたその店の棚には、売れる物なら何でもとばかりに、ありとあらゆる品が並べられていた。
「…なんと節操のない店構え……」
呆れて呟く雫の横で、神那は店の奥へと声をかけた。
「金成殿。おられますか」
その声に呼ばれて、店の奥から太った小男――金成が手をすり合わせながら現れた。
「おお、これはこれは、神那殿。良くお越しくださいました。何が入用で?」
「聞きたい事がございます」
「ほう、それはまた?」
「守人衆が珍しい品を仕入れたとの事。知ることがあれば、教えていただけませんか?」
その言葉を聞いた途端、金成の眼が鋭く細まった。
「ほう、耳ざとい。流石、神那殿。どこで聞かれたので?」
「先程、小耳に。では、真の話と?」
「……わしもまた流言を聞いたに過ぎませぬ。ただ、守人衆が人まで売るようになったと」
「人を売る……そうですか」
何やら二人は話を進めているが……。
そこに聞き慣れぬ名があり、雫は声を上げた。
「何やら物騒な話ですな、神那様。ところで、守人衆とは?」
「……かつてここに国があった頃、城に使えていた者達の集いです」
「む?かつて、国と?」
その問いには、金成が答えた。
「わしが子供の頃の話。ここには太刀守という名の国があったのです」
「太刀守?浄土では無いのか?」
「それは国無き後に呼ばれだした名。かつて不浄に満ちるも、汚れをぬぐい取った場所」
「ふむ……かつての国が悪かったという事かの?」
「違います。良い国でしたよ。小さくも賑わいのある交易の道。北の大国とも、南の小国が集いとも交流があった。だが、それが災いして滅んでしまった」
遠く昔を懐かしむように、惜しむように、金成は語りだした。
「北の大国、南の集い。その二つが戦をはじめた。太刀守が国は板挟みの憂き目にあい、両の陣営から参戦を強いられた。だが、時の城主はどちらにも応えずにいた。すると今度は、両の陣営から刃を向けられたのだ」
「ふむ。……まあ、良くある話だな。それで?」
「抗うか、頭を垂れるか。その選択の時において、城主は何を決めたのか……それはわかりませぬ。城主は討たれたのです。腹心が手によって」
「ほうほう」
「城主は倒れ、もはや抗う事も出来ず、その機に南北はこの場所に踏み込んだ。戦場の一つとなり、多くの血が流れ、かつての平穏は蹂躙された。しかし、それより程なく戦は終わりました。いや、一時止まった、か。鉾を収めた両陣営は、接点であるこの場所から距離を取り、ここは国も法も主も無い乱れた地として残された。…あの頃は酷かった。あるいは、戦が起きていた頃よりも。この世の地獄、不浄なる地と呼ばれたのはその頃。戦場を失ったならず者や法の元に居場所のない鬼畜の類が集ったのですから」
「不浄のう。しかし、さような者おるのか?」
「表裏二つに治めるものが現れたんですよ。一つは守人衆―かつての国を守っていた者達が声を上げ、弱者に手を差し伸べ、あるいは南北両に口を聞き、この地に再び商いを芽吹かせた。そして同じ頃に義賊が現れたのだ。闇夜に紛れ悪を討つ人切りの男。悪戯に刃を振りかざし、弱者をなぶる鬼畜を切り、あるいは人の道を逸れた商いに手を出した畜生を切り、やがて悪人は恐れるようになった。その義賊、狐面を」
「狐面とな。……あれは人切りではないのか?」
「今は、そうなってしまいました。だがかつては志ある者だった。少なくとも虐げられていたこの身から見上げる限りは。とにかく、昼には守人衆が、夜には狐面が、この地の穢れを正した。故にここはもはや不浄では無く浄土。国も法もなく、けれど規律ある一つの集落となったのです」
「ほう…む?まて、聞けば守人衆とは良い者たちの様ではないか。だが、それらが人を売ると言っておらんかったか?」
「ご乱心か、はたまた隠れた野心が芽吹いたか。この一年、守人衆が頭、才条様がおかしくなったそうでして。かつて自身が憎んでいた類の商いに手を出すようになったのだ。…思えば、狐面の乱心も一年ほど前。義賊が消えて野心がましたか、あるいは色香に惑わされたか。とにかく凶兆はあるやもしれんな…」
そこで、それまで黙っていた神那が口を開いた。
「昔話はもう良いでしょう。人を売っているという話。真か否か聞かせて頂きたいのです」
「先も申し上げましたが、わしも流言を聞き及んだのみ」
「金成殿なれば、守人衆にも客はおりましょう?その売られ往く人は今、いずこに」
「……城に囚われているとか。城のどことまでは聞き及んでおりませぬし、どのような人かもまた流言にはない」
「城ですか。…わかりました。いずれまた、熊屋へ。このお礼はその時にでも」
「ほう、それは楽しみな限りですな」
そして神那は去りかけて、中途でぽん、と手を叩く。
「そうだ、それから……面を一ついただけませんか?」
「へい。何の面が?」
「そうですね。雫。嫌いな動物を教えて下さいな」
「それは勿論、神那さ……」
「雫?言葉はよく考えてから口にするものです」
「ぐ、ぬ……いや、屈せぬぞ!思えばこの浄土に来て数日、もう食事が分の働きはした!わしが嫌いな動物、それは……」
「金成殿。この店に刃物は置いてありますでしょうか?」
「……犬が嫌いです」
「ほう、それは良いことを聞きました。では、金成殿。犬の面を下さいな」
*
犬の面を手に、神那は金成の店を後にした。そんな神那に、雫は尋ねる。
「狐面に守人衆、人を売るとな…。して、神那様。それを聞いてどうしようというのです?」
「乱れがあれば正すべきでしょう」
「なんと、素晴らしき心意気。流石は神那様。わしも感服いたしました。では、ご武運を祈っておりますぞ!」
言うが早いか雫は立ち去ろうとして、しかしその首根っこを神那は捕まえた。
「お待ちなさいな、雫。どこに行こうというのです。行き先はあちらですよ」
そう言って神那は指さす。この店よりほど近い場所にある荘厳な屋敷――城を。
「…しかし、神那様。わしは熊狩殿に頼まれごとが…」
一抹の不安と一縷の望み、その両方に背を押され、雫はそう口にする。だが、
「後になさいな」
まるで意にも留めず神那は切って捨てた。
「…ぐぬぬ」
「良いですか、雫。あの城のどこかに人が囚われているとか…。不浄とはかつての名。浄土において法はなくともその行いはご法度。だから、雫。こらしめてやって下さいな。行って、人を救うのです。では、吉報を待っていますよ」
「吉報を待つ、とは……まるでわし一人で行けとも言わんばかりでは無いか……」
「そう言ったのです、雫。まさかとは思いますが、こんな身目麗しい娘に荒事の場に出ろというのですか。それでは、どんな目に遭うかわかったものではありません。ああ、怖い」
「自分で身目麗しと言い切るとは……流石、性根が腐―こほん。自信を持つのは良いことですな。流石神那様!よ、傾国の美女!……痛い!?」
「雫。傾国は入りませんよ?それではまるで、私が生粋の悪女のようではないですか。これから良き事をしようと言うのに」
「しようではなく、させようではないか……。悪女め……いい加減わしにも辛抱が―」
「あら?不思議と、上等な羽織を裁断したい気分になってきました」
「く……足元を見おって……」
「では、雫。任せましたよ。夕刻までには吉報と共に戻るように。それからこれは、私からのささやかな餞別です」
そう言って、神那は雫に身を寄せて、その顔にたった今買ったばかりの面をつけた。
「まあ、これは。とても良くお似合いですよ、雫。流石、犬の面だけのことはある」
「……まるで嬉しくないのだが」
「ああ、そうだ。大切な事を忘れていました。雫、良いですか。もし捕まろうとも、ゆめ、私の名など出さぬ様、お願い致しますね」
「ぐぬぬ……」
「雫?返事が聞こえませんよ?」
「よ、喜んで!」
「良い返事です。では、ご武運を」
そう言い残して、神那は背を向け歩み去っていった。本当に一人で行かせる気のようだ。
「ぐぬぬ……。はあ、羽織を楯にされては、しようもないか」
歯噛みが後に肩を落として、それから雫は城を見上げた。
「せっかく山を下りたのだ。……義賊ごっこも、また良かろう」
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