3 朝日の幽霊

 3 朝日の幽霊


 朝日が昇る。

 店の机に頬杖をついていた神那は、窓から入り込むまぶしい朝日に、うんと一つ伸びをした。

 一晩中待っては見たが、結局雫が戻ってくることは無かった。


 逃げたか、切られたか。どちらでも良い。狐を切りに行って帰ってこなかった―それだけの事。待ちぼうけに慣れている。


 と、奥から寝ぼけ眼を擦った熊狩が現れ、たそがれる神那に言った。


「なんだ、神那。結局寝なかったのか」

「ええ」

「なんだかんだ心配か。気に入ったのか?」

「そんな事はございません。銭も無く歩めば、またどこぞに迷惑をかけるのだろうと。ここに寄ったのもまた何かの縁……そう思っただけです」


 そう呟くも、神那はまだ熊屋の入り口を眺めていた。

 不意に、がらりとその戸が開く―帰って来たのか。少しそう期待した神那だったが、しかし入って来たのは小男だった。


「……金鳴さん」

「悪いな、わしで。それで、あの武人はいかに?」

「未だ帰りませぬ」

「そうか。残念ですな。代わりの用心棒が出来るかと思ったんだが、駄目だったか」


 そういった金鳴を、神那はにらみつけた。


「な、なんですか」


 神那はすぐに笑みを浮かべ、言った。


「いえ。ご注文は?仕入れ前ですし、大したものは出せませぬが―」


 そう言って、神那は立ち上がり掛け―そこでまたがらりと戸が開く。


「いや~死んだ死んだ。ただいま戻りましたぞ。おや、神那様。熊狩殿に金成殿も。お早いお目覚めで。いや、さすが商人は違いますな」


 入って来たのは雫である―その姿に、熊狩は目を見開いた。


「…幽霊か」

「否。恥ずかしながら精進足りず、未だ霊魂のみでさ迷う術は持ち合わせておりませぬ」

「じゃあ、何だ。狐面の野郎をやっちまったってのか」

「いや。命からがら逃げ伸びたしだい。嫌々、これでは師匠に笑われてしまう」


 そう笑った雫へと、神那はしずしずと歩み寄る。そして、その頭をいきなりごんと盆で叩き、神那は雫に背を向けた。


「痛い!何をするか!」

「雫。逃げ延びただけの者が大口を叩くとは、恥を知らぬのですか」

「うう、申し訳、ございませぬ」


 歯を食いしばり、雫はそういった。そんな雫に熊狩は尋ねる。


「で、結局どうだったんだ。狐面の野郎は」

「中々でしたな。しばらくは顔も見たくない。まあ、面しかしらんがな!」

「んじゃあ、狐面をやったのか?」

「であわぬまま恥じ入り、あてもなく、今頃になって帰ってきたのでしょう?」

「違うぞ!であったわ!あの狐面、引っかいてやったわ!」

「ほう。ならばあの旦那より腕利きか。のう、ご武人。わしの用心棒をやりませんか?」

「なに?しかし」

「食事代くらいならわしが立て替えましょうぞ」

「うむ。しかしな。これ以上恩を受けるのも気が進まぬ。ありがたい話だが、丁重にお断りさせていただこう。知らぬとはいえ、罪を犯したのはわし。さればその相手の下で精進するが筋であろう。それに、」


 そこで雫は金成と神那の顔をみくらべた。


「小太りの男の顔を四六時中眺めるのはしょうにあわん。性格はどうあれ見目だけは良い分神那の方がましだ」


 それを聞いて、熊狩と金成は大口を上げてわらった。


「わかった。忘れてくだされ」

「うむ」


 頷いた雫を、神那は微笑みと共に眺めた。そして、思い出したように言う。


「雫。良く帰りました」

「おう!」

「それが終わったら水を汲んできてくださいな」

「おう!…………いきなりこき使うと。のう、金成殿。やはり、」

「雫?」


 涼し気な顔の神那に呼びかけられて―雫はやけのように叫んだ。


「喜んで!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る