1幕 辻切り狐面

1 文無しの少年武者と冷笑の看板娘

 1 文無しの少年武者と冷笑の看板娘


 浄土。国なきこの地は、そう呼ばれていた。

 北には、大国がある。絶対的な力、権力以上に逆らう事を許さぬ力を持った主を筆頭に置いた、紛うことなき大国。

 南に、大国はない。あるのは小国の群れ。ただし、血の繋がり、意図して重ね合わせたそれをして、ついには大国と比肩しうるだけの小国の群れだ。


 北はそれを嫌い、あるいは南もまた、大国を嫌っていた。この地が生まれた故はそれである。相対する一大勢力、続く戦乱の果てに生まれた、戦の空白。休戦。


 北は北、南は南。互いの敵は、互いだけではなかった。さればこの終わりなき戦乱は、一時決着を待ち、死する民を他へと回すが有益と、両の国は考えた。故に、契りを結んだ。互いを攻めぬ事。互いの領地、その狭間に空白を形作らん事を。


 そここそが、この場所、浄土である。


 *


「良い場所だのう、ここは」


 ただ一人の旅路、浄土を訪れて数日。少年はそう笑った。

 未だ幼さの残るあどけない顔立ちに、差して高くも無い背丈。着古し、汚れ、継ぎ接ぎこそなくも襤褸と大差ない着物に身を包み、しかしその肩には、襤褸とは口が避けても言えぬ様な美しく上等な、深紅に染められた羽織を掛けていた。

 脇には太刀、少年が背丈には些か以上にも大きすぎる刃が立ててある。


 彼がこの土地を良い場所と呼んだからには訳がある。

 目の前に食事が並んでいるのだ。


 米、汁物に、焼き魚。上等な食事である。宛の無き旅路の果てに辿り着いたこの浄土、確かにならず者もいるらしいが、存外に栄えてもいるらしく、故にこうして、食事処までもある。

 自分であれこれ準備せずとも、食う物がある。彼がこの浄土を良い場所と呼んだ故は、ただのそれだけだ。


 少年は満面の笑みを浮かべ、次から次と料理に箸をつけていく。

 やがて、空になった茶碗を持ち上げると、店の娘へと言った。


「おかわり!」


 店の娘はすぐさま、その茶碗を受けとった。少年と同じ年ごろだろう娘、端正なその顔に浮かんでいる表情は呆れだった。


「旅のお方、良く食べますね」

「うむ。食える時に食っておかねばならんからな。飢えて倒れるのは嫌だ」

「それはそれは、お辛い旅路のようで」

「否、気楽な物だ。目的も無く気の向くまま歩んでおるだけよ」


 米の入った茶碗を受け取り、かき込んでいく。

 そうしている内に、やがて満腹になったのか、少年は立ちあがった。


「うむ、うまい飯であった。馳走になったのう」


 それだけを言って、少年は立ち去ろうとした。しかしその背を、店の娘が呼び止める。


「お待ちを。未だ、お代を頂いておりません」

「お代?ああ、金か。無いぞ」


 それを聞いた途端、店の娘の笑顔が凍った。


「お金を、もっていないと?」

「うむ。そんな物無い」

「文無しだのにあれだけの量を食したと?」

「うむ。うまかったぞ!」

「…お代を持たぬと言うのならば、代わりのものを置いていってもらいましょうか」


 それを聞いた途端、少年は目を丸くした。


「なんと、見た目に似合わず山賊のような事を言うな」

「賊はそちらでしょう。とにかく、何ぞ金目の物を置いていっていただきましょう。そうですね、その刀は」


 店の娘が少年の太刀を指差すと、途端少年はその身体で太刀を隠すように後ずさった。


「駄目だ。これを手放すわけには行かん」

「では、その上等そうな羽織は」

「これも駄目だ。これは師匠から拝借した一張羅。これを失いでもすれば、わしは師匠に殺されてしまう…」

「…では、どう致しましょう。下に着ているその着物は、些か汚すぎますし…。何か他にお持ちではないのですか?」

「他といわれても…。は、そうだ。ふんどしはどうだ!ふんどしならやれるぞ!」


 そういった少年はいたって真面目な様子だった。冷え切って視線で、店の娘は言う。


「…着物を汚いといっているのに、ふんどしがまかりとおるはずがないでしょう?」

「ふんどしを馬鹿にすると言うのか!このふんどしは旅路を共にし歴戦を潜り抜けわし色に染め上がった戦友だぞ!」

「ただ着古して垢がついているだけでしょう」


 歯噛みした少年はきっと店の娘をにらみつけると、自分の着物へと手を伸ばした。


「何を!その目に焼き付けるが良い、我がふんどしの赴きある色合いを…」


 その瞬間、店の娘は手に持っていた盆で少年の頭を思い切り殴りつけた。


「ぐわッ、何をするか!」

「…脱がないでくださいな」


 その冷え切った視線に心底怯え、少年は頭を押さえたまま縮み上がった。


「う、うう…」

「で、他に金目のものは?」

「…もっておりません」

「では、身体で払ってもらうこととしましょうか」

「か、身体で…」


 少年は縮み上がりおびえた表情のまま、店の娘を見上げた。

 店の娘は少年に、冷ややかな笑みを浮かべ続ける。


「わしを遊郭に売り飛ばす気か…鬼畜!…かくなる上はこのふんどしで!」


 自らの着物に手を伸ばした少年に、店の娘はすぐさま盆を振りかぶった。


「ふんどしに価値はありませんよ」


 ごん、と鈍い音が鳴り響く。


「のぅ!」


 強く頭を殴りつけられた少年は素っ頓狂な声をあげ、白目をむいて倒れこんだ。


「まったく…」


 溜め息をついた店の娘に、鈍い音を聞きつけて奥から現れたひげ面の男が声をかけた。


「おい、神那。一体何を騒いでるんだ。ずいぶんな音が聞こえたが」

「あら、父上。ご覧ください、ほら」


 店の娘―神那は気絶した少年を指差して、どこか嬉しそうに言った。。


「労働力を確保致しました」


 *


 冷たい。痛い。寒い。まるで寒空の下投げ出されその上雨にでも打たれているかのような急激な寒さに、少年はうっすらと意識を取り戻す。


「う~ん、起きませんね」


 その声と共にばしゃりと水の塊が弾ける音が聞こえ、少年はその寒さをさらに強めた。


「寒い!」


 今度こそ飛び起きた。

 未だ雪の残る道、目の前には腕をまくり、桶一杯の水を振りかぶる神那の姿があった。


「あら、やっと起きましたか」


 そう言って、神那は再び桶の水を少年に浴びせかけた。


「痛い!寒い!酷いではないか、もう目覚めていると言うのに水を浴びせかけるとは!」

「中々目覚めぬ貴方が悪いのでしょう?怨むのならば自身の懐の寒さを怨んでくださいな」

「何処までも涼しげな顔で!」


 少年がきっと睨みあげるも、神那はただ無言で桶を盆と持ち替えた。


「ひい!待て、止めてくれ!殺さんでくれ!」

「殺しませんよ。ただ、食べた分働いて頂きたいだけです」

「…こ、殺さぬのか」

「ええ」

「売り飛ばしもしない?」

「はい」

「そ、そうか。それは良かった…」

「で、働いて下さりますか?」

「うむ。知らぬ事とはいえ、どうも礼を失したのはわしの方らしいしの」

「そうですか、では改めて。私は神那と申します。あなたは?」

「雫だ」

「…しずく?」

「うむ。降りしきる雨の下、雫だ」

「では、雫。あなたは今日から我が食事処熊屋の下っ端です。使い走りです」

「うむ、仕方があるまいな」


 満足げな笑みを浮かべ、神那は言った。


「ええ。では、立場がわかったのなら口調を改めて下さいな」

「…それは、どういう意味かの?」

「雫。目上の人にはそれ相応の話し方があるでしょう?」


 冷ややかな笑顔に、反抗の余地は無かった。


「あ、ああ。しかしわしは…」

「この浄土。身分も男女もありませぬ。例え太刀を佩いていようとも、あなたは所詮ただの文無し。でしょう?」

「そ、その通りでございます」

「わかっていただけたようで何より。では、雫。水を汲んできてくださいな。思っていたよりも多く使ってしまったので」

「…それは、そなたが…」

「何か言いましたか?」

「いいえ。何も申しておりませぬ……」

「では雫。早く汲んできてくださいな。井戸はあちらです」


 それだけ言って、神那は店の中へと戻ろうとした。と、そこで雫は気付く。自身が着ているのは襤褸だけ―羽織がなくなっていると。


「…のう。わしの、羽織は?」

「ああ、あれですか。あれは担保として預かりました。逃げても良いのですよ?そうなればあれを売ってあなたの食事代にあてるとしましょう」

「…鬼畜め!」

「太刀はまだ手元にあるでしょう?気に入らないのならば切って捨てれば良い。この浄土にそれを咎める者はいませんよ。最も、貴方の矜持がそれを許すのであれば」

「…うう。鬼畜!売女!」


 それを捨て台詞に、桶を拾い上げた雫は先ほど指差された井戸へと駆けていった。


 *


 しばらくして、食事処に両の手に桶を抱えた雫は戻ってきた。

 店先の掃除をしていた神那は、意外そうに言った。


「あら、存外に速いですね」

「うむ!こう見えてもわしは怪力、快速で知られておるのだ!…です」

「それはそれは。頼もしい限りですね」

「姉御!次は何を致しましょうか!」

「姉御?」

「へい。先ほどは鬼畜、売女、怪女に妖魔などとさんざ無礼な事をのたまい申したが、思えばその涼やかで凛とした佇まい、まさしく偉人のそれ。故にわしも敬意を持ち、姉御と呼ばせて頂きたく存じまする!」

「なるほど、漸く身の程を知ったのですね。褒めてあげましょう。こちらに」

「へい、姉御。えへへへへ、」


 桶を持ったまま歩み寄った雫、神那はその頭を撫でた。


「身の程を知るとは賢い事。ですが、」


 箒を振りかぶって、神那は雫の頭を打った。


「痛い!」


 その拍子に、両手の桶から水がこぼれる。


「なぜ、殴るのです姉御!」

「悪口が増えていたからです。怪女に妖魔との言葉、先ほど聞こえなかったのは果たして私の聞き違いでしょうか?」

「誤魔化しきれんかったか…否!姉御が聞き違いに間違いありませ痛い!」

「雫?悪巧みは口に出さぬ方が賢明です?口は災いの元とも言うでしょう。それから、姉御と言う呼び名は止めてくださいな。私は、あなたを弟として迎えた覚えはありませんよ?」

「では、なんと呼べば?」

「神那様とお呼び下さい」


 一転の曇りも無い笑顔で、神那はそう言い切った。


「な、なんと厚顔な…」

「雫?何か申しましたか?」

「へい!矮小な己では直視も出来ぬほど小顔で見目麗しき神那様と申しました!」

「そうですか。では、雫。桶の水がこぼれましたよ。もう一度汲んできてくださいな」

「水はそなたが…く、わ、わかり申した」

「雫。返事が違いますよ。喜んで、でしょう?」

「く、こ、この女朗が…」

「何か、申しましたか?」


 涼し気な顔で睨まれて、正しく雫は蛇の前にいる気分になった。


「喜んで汲んでまいります!」

「それが済んだら掃除もして下さいな」

「喜んで!」


 *


 その後、水汲み掃除、その他様々な雑用を押し付けられ、神那の笑顔と喜んでが飛び交った末、ついに耐え切れなくなった雫は店の中で叫んだ。


「やってられるかぁ!」


 その声を聞きつけて現れたのは神那では無く親父だった。


「荒れてるな、若いの」

「む、親父殿か」

熊狩くまがりって名乗ってる。そう呼んでくれ」

「熊狩殿か」

「ああ、俺も若い頃は武芸に走ってなぁ、昔熊とやりあったから…」

「そんなことより熊狩殿!酷いぞあの女朗!なぜああも涼しげな顔で人の矜持をへし折る事ができると言うのだ!まったく、これではどうして師匠の下から逃げてきたかまるでわからぬではないか!」


 などと言いながら、雫の手が止まる事はない。その様子に熊狩は呆れた。


「ずいぶんと師匠に絞られてたみたいだな」

「うむ。師匠は稽古をつける稽古をつけると言うて雑用しかさせんかったのだ!まったく、」

「そんなに嫌なら逃げちまえば良いだろ」

「む!では羽織を返してくれるのか!」


 一縷の希望を見出した雫に、熊狩は笑顔で言った。


「返すわけねえだろ文無し」

「く…この親にして子ありか…」

「まあ、働くのはわかるが、神那にへりくだる事はねえだろ。年も同じくらいだろうしよ」

「む、それもそうだな!よし!文句を言ってくるぞ!おい、神那!」


 言うが速いか、雫は意気揚々と去っていく。


 そして、しばらくした後、大きな「喜んで!」の声と共に雫は戻ってきた。


「熊狩殿。使った食器は何処だ?洗うぞ」

「…駄目だったのか」

「…わしの師匠は女でな。幼き頃拾われてこうまで育てて頂けたのだが、なにぶん高圧的でさながら烈火のごとき恐ろしさでな…」

「逆らえないんだな」

「うむ。どうも女子に高圧的にこられると、…嫌でも言いなりになってしまうらしい」

「難儀だな、その年で…」

「うう!わしは漸く自由を手にしたと思っておったのに…!何がいけないと言うのだ!」

「文無しだからだろう」

「…うぅ、世知辛い」


 と、そんな所で熊屋の戸が開いた。入ってきたのは、立派な着物を着た小男だった。


「もし、熊狩の旦那、いらっしゃいますか?」

「お、金鳴殿じゃねえか。あの、腕自慢の用心棒はどうした?」

「切られましたよ、例の狐面に」

「狐面、か。かつての義賊も今は人切り、ね」

「ああ、それで、また用心棒を紹介してもらおうと来たんですが…そちらは?」


 金成に尋ねられて、雑巾を手に雫は胸を張った。


「降りしきる雨の下、雫だ」

「食い逃げしようとして神那に捕まったんだよ」

「ああ、あの娘に捕まるとは難儀な…」


 同情したように金成は呟く。そんな金成に、雫は問いかけた。


「それよりも、狐面とは何だ?」


 答えたのは熊狩だ。


「うわさになってる人切りだよ」

「人切り?」

「ああ。まあ、この浄土、ただの人切りなら腐るほどいるが、何の意味も無く人を切る愚か者はそうはいない。そんなことをすればすぐさま自分が切られるだけだ。んなもんで、人切りがでても名が轟く前に消えちまうんだが、狐面は別だ。もう何十人もやってるっていうのに、まだその素顔すら割れてねえんだよ。そうだ、あんたはあったんだろ、金鳴さんよ。どうだったんだ?」

「噂の通りだ。闇夜太刀佩く武人が前に、ぼうと現る狐面」

「ほう」

「本当に姿が見えないんですよ。雪道に足跡だけ残って。まさかとは思ってたが、本当に妖術の類を使うらしいですな」

「ってことはやっぱ、妖刀使いって事か」

「ほう、妖刀とは面白い」


 うんうんと頷きながら、雫はそう言った。


「何だ、雫。妖刀を知ってるのか?」

「うむ。妖怪を切った刀であろう。呪われ、この世ならざる力を使う。ふっふっふ、何を隠そうこの我が太刀も、紛うことなき妖刀だ!」


 そう言って、雫は自身の太刀を掲げた。しかしそれを聞いた瞬間、二人は笑った。


「ははは、それは良い。妖刀とは」

「む。本当だぞ!これは妖刀だ!ここに込められた呪いはな…」

「女に逆らえなくなる呪いだろ?妖刀も色々あるな」

「…信じておらぬな!よしならば見せてやろう、この妖刀が力!狐面とか言ったな。そいつを切れば信じるであろう?」

「止めとけ、痛い目見るだけだぞ」

「むむ、言ったな!やって見せるわ!あと、ついでに、その面を切ったらわしを解放してくれ!あの、鬼畜の手から!」

「その鬼畜とは、誰のことでしょうか?」

「それはもちろん神那の女朗…」


 言ってしまってから、雫は恐る恐る振向いた。背後にはいつの間にか、涼し気な顔の神那がいる。


「雫?聞きましたよ、狐面を切りに行くと。悪いことは申しません。お止めなさい。手に負えるとは思えません」

「ぐぬぬ……舐めおって!そう言われて引きさがれるか!目にもの見せてくれるわ」


 そう言うが早いか、雫は足音を鳴らして熊屋を出て行った。


 しかし、雫はすぐさま戻ってくる。


「どうしたのです雫?恐ろしくなってもう戻ってきたのですか?でしたら……」


 カッと目を見開き、雫は言った。


「狐面は、何処にいるのだ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る