浄土にて太刀霞む

蔵沢・リビングデッド・秋

序幕 残雪の剣戟

 序幕 残雪の剣戟


 夜半、降りしきる白雪に足跡を残し、傘をも差さず、二人の男は歩んでいた。二人共に上等な衣に身を包み、一人は太刀佩く大男、一人は揉み手の小男だ。


「しかし今年は良く降りますな。もう暦では春の頭だと言うのに」

「暦など関係はなかろう、降りたい時に降る。わしらと同じだ」

「さすが旦那。こんな時にまでも太刀を離さぬだけの事はありますな」

「ふん。狐面など恐れて、なぜこの浄土に住まう事ができよう。狐面など、この一刀で切り伏せてくれるわ」

「それはそれは、心強い限り。雇ったかいがあると言うもの。この土地柄、金など持てばすぐ狙われる。わしとてここ数年余り、眠れぬ夜を過ごしておりましたがしかし、旦那のおかげでこの通り、夜な夜な飲み歩くまでにもなりましたわ」


 そう言って、二人は笑った。しかし、太刀を持つ男は、不意にその足を止める。


「旦那、どうかしましたか」

「うむ」


 太刀を佩く男は雪降る道の先、続く狭い路地が先を睨んだ。雪積もるその先、何者の姿も無い。しかし奇妙な事に、その誰をもおらぬ雪道に、ただ点々と、足跡が現れておった。


 一つ、一つ。足跡は歩む。二人の男へと歩み寄るかのように。

 やがて、その足跡は止まった。そしてその足跡が上の暗闇に、ぼうと面が現れる。


 白い、狐の面。それを身につけた者の姿は無く、ただ足跡と面だけがそこに現れ絵いた。


「旦那…あやつは、」


 小男の声に太刀佩く男が応える事はなく、しかしその場には、寒さに震えるような、低い声が響いた。


「…汝、我が問いに応えよ。強者たり得るか」


 太刀を佩く男は堂々と、闇夜に浮かぶ狐面を睨みつける。


「噂通りの文言よ。ふむ、いつかは見えたいと思っておった。おい、こいつを切れば、さらに金を積むか」

「ええ、それはもちろんの事!狐面を切ったとあらばその名轟き、旦那の価値もまた、跳ね上がることでございましょう」

「なるほど、それは良い。下がっておれ」


 小男は怯えた様子で頷き、腰を抜かす様に身を退いた。それを横目に、太刀佩く男はすらりと太刀を抜き放った。低い声は再び、問う。


「汝、強者たり得るか」

「試してみるが良い。雪を染め上げた後、その答を思い知るであろう」


 大男は雪を踏みならしながら、その太刀を正眼に構える。

 途端、狐の面が揺れた。続いて低い嗤いが響く。


「ハハハ、されば、それを示すが良い。我が望み、汝が手でかなえてみせよ!」


 りん、と鍔が鳴り―狐面が足元、その足跡が蠢く。大男のように雪を踏み慣らすことはなく、ただただゆらりと地に着いた足を摺らせていった。


 どちらともなく、雪を散らし歩む。じりと距離が詰まって往く。大男は周囲の雪を蹴り飛ばし、狐面は流麗に雪に線を残す。


 風の仕業か。一時、その一角だけ雪の止んだその途端、先に動いたのは狐面だった。


 不意に、狐面が沈んだ。深く、低く。そこは、おおよそ一歩分、未だ大男の間合いの外であり、太刀を振るった所で狐面へと届きようのない距離ではあった。

 しかし、歴戦の経験、その自負に違わぬ戦いを常勝で制してきた大男は、その僅かな動きに、いち早く反応した。

 沈む面、それは下段からの切り上げを意図したもの。そう断じた大男は、迷う事なく、太刀を振り抜いた。天から地へ、叩き落すかの様にその太刀を振り下ろす。


 必殺の威力を秘めた一閃。しかしその太刀が狐面の男、姿なきその者が身体を貫く事はなく、また狐面が振るったはずの下段からの一刀にすら、当たる事はなかった。


 誘われたのだ。歴戦の勘を逆手に取られ、張り詰めた神経を嘲笑うかのように、その狐面は悠々と、最後の一歩を詰めた。

 大男はすぐさま、空を切った太刀を再び構え直す。しかしその僅かな時間は、既に致命的なまでの隙となっていた。


 狐面が嗤う。表情などあるはずも無いその面。


 構えた腕、その先が失していた。両の腕から撒き散らされる鮮血が、降りしきる雪を赤く染め、大男は悲鳴を上げる暇もなく、狐面が返す刀によって、その常勝を失った。


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