第12話

振り下ろされた少女のナイフはアリアの胸に突き刺さる直前で止まった。


「初めからそう言え、死にたくないと」


少女はアリアの上から離れてナイフをしまった。

死を覚悟して固く目を閉じていたアリアは恐る恐る目を開き自身がまだ生きているという事実に安堵した。

その後に湧き上がってくるのは疑問だ、なんで殺されなかったのか?


「なん・・で?」


涙でグチャグチャになった顔を拭うことなく嗚咽まじりの弱々しい声を発する。


「試しただけだ、お前が本当に死を望むかどうか真意が知りたかった。本物だったなら私は止めはしないがお前は死にたくないと言った、死に瀕して出たあの言葉こそお前の本音だろう。そこがお前の限界だ、死を追い続けるだけで決して触れることはできない、向こうが近寄ってくれば今度は自分が逃げる、完全に墜ちていないお前に出来るのはそんな子供染みた遊びだけだ、お前は死ぬつもりなんて初めから無かった、そんなくだらない事してる暇があったら普通に生きろ」


少女はそれだけ言って立ち去ってしまった。




一人残されたアリアは泣いた。

この涙は死にかけた恐怖からでも生きていたことに対する安堵からでもない悔しさゆえに流れる涙。

少女の言葉はアリアにとってあまりにも辛辣だった。

アリアが散々苦しんだ挙句出した死ぬという答え、そのために何度も何度も痛い思いをして繰り返してきた行為をくだらない事とあっさり切り捨てられた。


「あんたに・・・何がわかるのよ」


憎々しげに宙空に怒りを吐く。

分かるはずない、あんな理不尽に飲み込まれた人の気持ちなんて誰にも分かるはずない。

そうやって人の言葉も親切も憐れみも全て拒絶してきた。


「可哀想に」、「大変だったね」、「生きてればきっといいことがある」、「天国のお父さんとお母さんが見守っている」・・・・。

両親を失って家に戻ってきたアリアを待っていたのはそんなくだらない言葉の羅列。

そっとしておいて欲しいのに度々やって来てはいらない親切の押し売り。

どいつもこいつも可哀想な人が見たいだけだ。

鬱陶しかった、どんな言葉もアリアを苛立たせるだけ。

だから、かけられる言葉全てを“あんたに何が分かる”と塗り潰してきたのに少女の言葉は消えてくれない。


消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ・・・・・。


呪詛のように何度も何度も心の中で呟いた。


でも消えてくれなかった。


少女がアリアに言った言葉は最も聞きたくなかった言葉だったからだ。

心のどこかでアリア本人も気付いていたこと、でも必死で違うと目を逸らして直視しないでいた。


しかし思い知らされた。


自分は


それに今完全に気付いてしまった。






自分の中にたった一つだけあった強い思いを失った喪失感かひとしきり泣き終わった後もアリアはその場を動かず床に寝そべり何も無い天井だけを見続けた。

どれくらいそうしていただろう? とにかく長い時間だ。

はっきり見えていた天井も暗く不鮮明になってきた。日が落ち始めたんだろう。

まあどうでもいい。

泣き疲れたのかアリアは静かに目を閉じるとそのまま眠りに落ちた。



夢を見た。

お母さんと一緒に料理をしている夢。

私がどうでもいい事で話しかけてお母さんはそれに笑いながら返事をしてくれる。

一見私が邪魔しているように見えるがそうじゃない。

私だってしっかり手伝っている。

お母さんほどでは無いが私だって料理はかなり得意だ。

きっかけは無理矢理手伝わされたのが始まりだが続けているうちに上達した。

そうして出来上がった料理を私とお母さんとお父さんとで一緒に食べる。

料理を口に運ぼうとしたところで現実に引き戻された。


気付けば自分の部屋のベットの上にいた。おかしい、両親の部屋の床にいたはずなのに。

それになんだかいい香りが鼻腔をくすぐる。

これはシチューだ。お母さんがよく作ってくれた料理。

その香りが家の中を漂っている。

でも誰が?

確認するために向かったキッチンにいたのはあの人だ。

あの子をこの家に送り込んできた女性。

その人は私に気付くと温かい笑みを浮かべてこう言った。


「ようやく目が覚めたか、しかしひどい顔だ、よっぽどの目に遭わされたようだな」


「なんでここにいるの?」


「帰ってきたあの馬鹿者に話を聞いてな、それで少し心配になって来て見たら床の上で安らかに眠るお前を見つけてわざわざベットまで運んでやったというわけだ。そのついでにこうして料理までしてやってるんだ感謝してくれるのは構わんが不法侵入だの何だのという非難は受け付けん」


それだけ言って女性は料理に戻る。

お鍋の中を覗いてかき混ぜるだけ、もうほとんど終わっているようだ。

いつもの私なら出て行ってとそれだけ言って部屋に引きこもっていただろうが今はそんな気分になれない、それにあの後にこれではたかだかこの程度と思ってしまう。

顔見知りとはいえ他人だ、そんな人が勝手に家の中で料理しているのに・・・・私の感覚は少しおかしくなっているのかもしれない。

それでも強いて一つ文句を言うとしたら「汚い」だ。

女性が使用したであろうキッチンは荒れていた。

野菜の残骸があちらこちらに散らばって使用した調理道具はそのまま放置。

私が指摘すると女性は悪びれる様子なく、


「仕方ない事さ、私は料理は得意ではない、普段やることもないからな」


開き直った。


「じゃあなんでこんな事?」


「気まぐれさ」


気まぐれね、まあいいや。

私は見るに耐えないキッチンの片付けに取り掛かる。

よくもまあここまで汚せるものだ、お母さんとはまるで違う。

違うのにどうしてもその女性とお母さんの姿を重ねてしまっている。

さっきあんな夢を見てしまったせいかもしくは自分が弱っているせいか。自分を殺すという歪んではいたがかろうじて自分を支えていた芯をあの子に取り除かれた。今はもう何も無い目標も無い抜け殻、だから何でもいいから心の拠り所を求めているのかもしれない。


「どうした?」


女性が不思議そうに聞いてくる。

すっかり手を止めて女性をじっと見てしまっていた。


「別に・・・」


すぐに視線を外し片付けを再開する。




そうして片付けも終わり出来上がったものを女性と二人机に向かい合って食べる。


「どうだ?」


自信満々といった表情で女性は聞いて来た。


「美味しくない」


人を気遣うなんていう優しさも余裕もすっかり無くしてしまった私はあっさり本音を漏らす。

しかし女性は一つも動じない。私の言ったことは単なる嘘だと捉えたようだ。


「そんなはずはない、お前の母親から教わったレシピ通り作ったんだ」


そう言って女性もスプーンですくって口に運ぶ。

散々口の中で味わってやがて口から出たのは「失敗だな」という潔い結論。


「しかし何故だ? 完璧にレシピ通りに作ったはずだが何が違うというんだ・・・・・」


「心じゃない」


と思ってもない事を言ってみる。

すると女性は唐突に笑い出した。


「はっはっはっ、まさかお前の口からそんな言葉が出るとはな」


「何よ、私が言ったらおかしい?」


「ああ可笑しいさ、人の心も、ましてや自分の心さえまともに見ようとしなかった奴が使う言葉としてはそぐわない」


「何を言って––––––––」


「–––––だったら答えてみろ、どうして私がここに来たと思う?」


「そんなの決まってるじゃない、あなたが勝手によこして来たあの子が私を殺そうとしたからそれを謝りに来たんでしょ!」


「ハズレだ。言っただろう私はお前が心配だから来たんだ、他意はないよ」


嘘だ、心配なんかしてるはずない。この人も他の人と同じ物珍しさに惹きつけられてるだけ。


「嘘ばっかり」


「ほらな、お前は人の心を見ようとしていない。勝手に決めつけて勝手に傷ついて何とも悲観的な生き方だな、お前の両親は自分の子にまともな生き方すら教えなかった愚か者なのか?」


女性は冷ややかな笑みを浮かべた。


「やめて!!」


叫ぶように言いながら机を激しく叩いて立ち上がった。

そのせいでコップは倒れて水が溢れ、シチューも飛び散った。しかしそんなもの目にも入らずに女性だけを刺すように鋭く睨みつけた。


「適当なこと言わないで」


声は怒りで震えていた。


「分かってるさ、お前の両親は立派だよ。会ったことがあればそれは分かる、だがな何も知らない人間はお前を通してお前の両親を見る、先程私が言ったような事を思う人間もいるかもしれないぞ」


「そ・・そんな事・・・!」


「そろそろやめ時じゃないか、何故お前が生き残ったと思っている?」


「それは・・・・呪い」


「呪いか、物は考えようだな。確かにお前の立場からすればそれは呪いに近いのかもな、その年で親をいっぺんに失うのは酷だろう。一緒に死ねたらどれほど楽かと思うのも仕方ない。お前はあの瞬間の記憶が曖昧になってるんだろう、初めからよく思い出してみろ、お前に生き残るよう呪いをかけたのがだれか」


女性の言う通り曖昧だ。結果だけが頭に大きく焼き付いて他は曖昧。

覚えていないわけじゃない、思い出そうとしていないだけ。

だって過程に意味なんて無い、あの残酷な結果だけで私を絶望に叩き落とすには十分すぎる。

思い出したところで無意味どころか余計な傷しか作らない。


一瞬女性から目を逸らしてまた戻す。

女性はずっと黙ってこちらを見続ける。

急かすでも強要するでもないその眼は真剣だった。

だからか分からないけど私も思い出さなければいけないように感じて・・・・思い出した。




私があの場で死ねなかったのは親のせいだという事を。



お父さんが私の前に立ち塞がって、お母さんが私を胸に抱いて。

激しい銃弾の嵐から私を守って死んでいったんだ。


「思い出したか?」


タイミングを見計らったように女性は聞いてくる。

当たり前か、これほど顔に出ていれば。

目の端に溜まった涙は次の涙に押し出されるように一雫ずつ溢れていく。

今日は泣いてばかりだ、本当に情けない。自分が情けなさすぎて嫌になる。


大事な記憶に蓋をして、死ねもしないのに何度も馬鹿な事をして、それをよく知らない子に叱られ、今更になって気付かされた。


ただの抜け殻だと思っていたけど私には生きる意味があった。

助けられたこの命を無駄にするなんて最悪の親不孝だ。

生きなきゃいけない。


「詰まるところお前を生かしたのは呪いでもなければ奇跡でもない、ただ子を思う親の心だ。それを純粋に受け取ってやれ、でないと報われない」


「・・・うん、うん・・・・」


涙交じりの声で返事をした。







それから女性は私が落ち着くまで一緒にいてくれた。

女性の帰り際聞いたのはあの子の事。


「あの子はまた来るの?」


「いや、もうここには来ないよ。どうした? 一発仕返ししておきたかったか?」


「違う、そんなんじゃない・・・・ただ、あの子って一体何なのかなって気になって?」


「あいつか? あいつは・・・・・」


女性はそこで言い淀んだ。

目線を落とし言葉を選ぶようにして女性は告げる。


「私の助手だ」


女性はそれだけ言って帰っていった。

それは私の聞きたかった事じゃない、だけどそれ以上聞くのはやめた。

それしか答えなかったと言うことはきっとあまり触れて欲しくないことなんだと思ったから。


でもあの子はただの助手ではないと思う。

そう思うのには訳がある。

私とあの子は一度会っているからだ。あの場所で。




親に救われなんとか生き残った。

けどそれだけじゃ私の死は変わらなかった。

あの時、銃撃が止んだ後、目の前の現実に気が動転して何も考えず動いた私は生きてることが気付かれて銃口を向けられた、でもその直後誰かがやって来て犯人をあっさり殺していった。

ナイフを手にして長く伸びたボサボサの黒髪を振り乱しながら殺しを行う。その合間、前髪の隙間から垣間見えたのは緋色の眼。

ここで何日も一緒にいたあの子と同じ綺麗な眼。


あんなの普通の人間に出来る動きじゃなかった、躊躇いもなく人の喉にナイフを走らせる。

普通の生活をしている人間は多分ああはならない。

きっとその子は私では想像も出来ない生き方をして来たんだろう。


でも私がその子に抱く感情は嫌悪でも恐怖でもなく感謝だ。


私を救ってくれて私を殺してくれた。

死だけに依存して他は何も受け入れようとしなかった弱い私を殺してくれた。


私は決めている。次会った時はちゃんと「ありがとう」と感謝を告げようと。

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