第11話
少女はそれから毎日のようにアリアの家に向かう。
朝食、昼食を半ば無理矢理食べさせて、それ以外は話をする。
そうはいっても少女の方から話を振ることはしない、「話せ」と言って押し黙る。
アリアが何も言わなければ何も喋らないじっと座ってこちらを見続ける、端正な見た目も相まってその様は人形のようだ。その手の人形の愛好家に売りつければ高値で売れそう。
しかしこれは人だ、でなければ呪われた人形か。
アリアの動きに応じて行動する。アリアが動けばそれを追うように頭を動かし、部屋を出れば後ろをついてくる。
正直言ってかなり怖い。
初めのうちは会話なんて無かった、ならばとアリアが眠ろうとすれば少女はすかさず邪魔をする。そのおかげでアリアの夜の日課は何度も行えなかった。
朝と夜が反転していたアリアの生活は徐々に矯正され始めた。
鳥の鳴き声と草木がそよぐ音、時折聞こえる人の話し声、そんなものだけが流れる部屋の中で沈黙しているその時間の流れは嫌になる程緩やかだった。ぼうっとしていても本を読んでいても結局頭の中ではあの日の出来事がよぎる。私が一人生き残ったのは幸運でも奇跡に助けられたのでもない、これはきっと呪いだ、呪いに生かされたんだ。私が最も苦しむようにとかけられた呪い。今もこうして続いている。
その苦しみから逃れようとアリアは少女と話すことを選んだ。
話せば多少は気を紛らわせると思ったから。
そんな日々は意外にもアリアにとってそれほど心地の悪いものではなかった。
それはきっと少女と一緒にいる間だけは自身の自殺衝動が薄まっていたからだ。
何も喋らない少女を前にして必死で話題を考えた、だが必死で考えた話もこの少女相手では全く続かずまた必死で考える。
そうやって他の事に頭を使っていれば大分楽だった。
でもやはり薄まっているだけで消えたわけじゃない。
どうしても耐えきれない時が不意にやってくる。
それはいつものように少女が側にいた時、夕日が空を赤く染める中。
「ねぇ、私を殺してくれない?」
自殺衝動に負けてポツリとそんな言葉を漏らす。
死の欲求、それはアリアの心の底にある本音、息するのと同じように常に内側に湧いている感情。
今日はそれが強かったようだ。
こうなってしまうととにかく死のうとしないと落ち着かない。
だからすぐ近くにいた少女に依頼した。
それは自分勝手な願いだというのは承知していた。他人に押し付けることじゃない。自分の手で死ぬべきだ。
それでも自然と口をついて出た。
アリアはこれまでの経験から学んだ。自分で自分を殺す事の難しさを、だから他人に頼ろうとふと思ってしまった。
こんな願い叶えてもらえないのは分かっている、断られたらそれは失敗、いつも手首を切って死ねなかった時と同じ一旦衝動は収まってまた次となる。
「お前はそんなに死にたいのか?」
「ええ死にたい、殺してくれるのならお金だっていくらでもあげる。私結構お金持ってるの、欲しくもないのに親がお金だけは沢山残していったから」
「そうか・・・・・・・・分かった」
––––––––––––––––––えっ?
聞き間違いだろうかとアリアは聞き直す。
「今なんて?」
「分かったと言った。お前の望み通り殺してやる」
殺してやる、少女ははっきりとそう言った。
そして服の下にでも隠していたであろうナイフを手にした。
それはてらてらと光って獲物であるアリアの心を威圧する。
「嘘・・・でしょ?」
アリアの問いに少女は行動で示した。
風が吹いたような感覚が顔のあたりを過ぎ去った後首のあたりに感じたのは、
痛い。
そこに触れれば赤い何かがこびりつく。
何コレ?
あまりにも一瞬の出来事に頭が動転した。
痛みの後に流れる赤いもの、そんなの考えなくてもすぐ分かるのに。
それが分かってようやく切られたんだと理解した。
アリアの首元を這うように流れる血液は衣服の胸元を赤く染める。
「すまない、外した。次は確実に殺してやる」
本気だ。少女は本気で殺しにきている。
すぐそこまであれほど待ち望んだ死が迫っている。もうすぐ死ねる。
心臓が激しく鼓動を打つ。
高揚している。
目の前に欲しい物を差し出されている子供のように。
–––––––––––違う。
この胸の高鳴りはそんな純粋なものじゃない。
これはきっと––––––––
–––––––––––怖いんだ。
私は死ぬのが怖い。
咄嗟に後ずさって少女から距離を取る。
「何故逃げる? 死にたいんだろう?」
少女の氷のように冷たい言葉がアリアに突き刺さる。
「死にたい、死にたいけど・・・違う。やっぱり私は自分で死にたい、だからさっきの言葉は取り消す!」
「無理だ、お前は一度私に殺せと依頼した、自分の命を放棄したんだ。その時点でお前はもう死んだも同じ蘇りなんてありえない、お前の死は確定している」
ナイフの刃先をアリアに向けて少女は無茶苦茶な理論を展開する。
何を言っても無駄だと直感したアリアは逃げた。
死なないために逃げた。
それが今までの自分の行為に対してどれほど矛盾している行動なのか分かっていながらそれでも必死に逃げた。
そうして辿り着いたのは両親の部屋だった場所。
鍵なんて付いていない、他に逃げ場所もない、逃げるには最悪の場所。
それでも無意識にきてしまった。
両親の香りがまだ残っている、ここにいれば守られているように感じる。
しかしそんな幻想はゆっくりとした足取りで入ってきた少女という存在に一瞬で消される。
「来ないで!」
アリアは手近にあったものを投げて応戦するも少女は軽々しく躱して何の意味もない。
やがて少女はアリアの胸元を掴み乱暴に地面に組み伏せる。
そのまま仰向けに倒れるアリアの上に馬乗りになりナイフを逆手に持ち替えた。
「安心しろ、なるべく苦しまないように殺してやる」
夕日に照らされ鮮明に浮かび上がる少女の顔は今までと何も変わらない。
こんな時でもやはり無表情。
それはまるで死という概念が人の形を成したもののように感じた。
「お願い、やめて」
そんな願い虚しく少女はナイフを握る手を振りかざす。
手を振り下ろす、そんな簡単な動作でアリアは死ぬ。
死に直面してアリアの目からは涙が一筋流れた。
「嫌だ、嫌だ、死にたく・・・ない、死にたくない、死にたくない! 死にたくない!!」
悲痛な叫びが響き渡る。
それに伴いかろうじて涙を抑え込んでいたダムは決壊し目から次々とこぼれ落ちていく。
しかしそんなもの死の前では意味を成さない。
涙が落ちるのと同じようにかざされた少女の手も落ちてきた。
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