第25話 嘘を分からない俺と――
いつからか俺は人の嘘が分からなくなった。
丸と付き合い始めてからか、それとも双日先輩と和解してからか、細かい時期は分からない。
実際の所本当に分からなくなっているのかは確かじゃない。
もしかしたら、周りの人が俺に嘘をついていないだけかもしれない。
確かめようと思えば確かめられたけど、俺はそうしなかった。
◇
「たいちゃんおはよ!」
今日も丸が俺を迎えに、家に来た。
俺も丸が来る時間は分かっているので、それに合わせて支度を終えている。
革靴を履いて外に出ると、そこには丸と紅さんが待っている。
紅さんの手術は無事成功し、術後も良好だったので、すぐに退院し学校へ復帰したのだ。
「いつも思うんだけど、私邪魔じゃない?」
「変な気を遣わないでくださいよ」
入院する前は、丸と紅さんの二人は一緒に登校していた。
なので、退院後も同じようにしているらしいけど、紅さんは俺と丸を二人きりにさせたいのか、乗り気じゃなさそうだ。
「まあ私の前で仲良さそうな二人を見るのもいいんだけど、ちょっと妬けちゃう」
「え、お姉ちゃんもまさか……」
丸が恐る恐る聞くと、紅さんは優しそうに笑って丸の頭を撫でた。
「大丈夫、丸の帝人くんをとったりしないから。そうじゃなくて、私も恋人が欲しいなって」
「紅さんならすぐできますよ」
「でた、強者の余裕だ。あーあ丸一筋の帝人くんみたいに、私一筋の男の子はいないかなあ」
余裕とかじゃなくて、多分紅さんの学年には紅さんのことが好きな男子生徒は二桁はいるだろう。
「えへへ」
「何笑ってんだよ」
「だって、たいちゃんが私一筋って言ったから」
「ねつ造するな、そんなこと一言も言ってない」
それは紅さんが言ったんだ。
「じゃあ、私一筋じゃないの? 浮気するの?」
「しないって」
「私一筋?」
上目遣いで俺を見る丸。
その丸い瞳は何かを期待しているかのようにきらきらしている。
「なんでお前はちょいちょいそういうことを言わせようとするんだ」
「耳が幸せになるから」
「私も帝人くんが丸に甘い言葉言うの好きだよ。ギャップ萌え?」
にへらと頬を緩める丸の横で、紅さんも意地の悪い笑みを浮かべている、
俺だって言いたくて言ってるわけじゃない。
丸がことあるごとに言わせようとするんだ。
「もういいません」
「嘘嘘、冗談だよ」
紅さんが退院してから、毎日のようにからかわれるようになった。
けど、二人が楽しそうならば、俺が多少からかわれるくらい安いものだ。
◇
「三井くん」
「なんですか?」
「次の地区大会の脚本はまだか?」
部活動の休憩中、双日先輩が俺を詰めてきた。
演劇部の活動に参加するつもりはなかったんだけど、前回大会の脚本の執筆者として紅さんが俺の名前を出したため、部員として活動せざるを得なくなってしまった。
大学の推薦にも影響するからやってくれと学校側からも頼まれたのだ。
「まだかって言われましても、この前の大会からまだ一ヶ月しか経ってないのにぽんぽんできませんよ」
「しっかりしてくれ、来年の全国大会では君が舞台監督になるんだから」
「やるなんて言いましたっけ?」
「君が次の地区大会で私の補佐をするって言ったじゃないか」
確かに言った。
それは双日先輩が大変そうなので手伝ってあげようと思った俺の親切心だ。
まあ紅さんが戻ってきたのでそんなに大変じゃないだろと高を括っていたんだけど、予想以上にこきつかわれていた。
「それと次の全国大会の舞台監督をすることに何の関連性があるんですか?
というより、なんで次の全国大会に出られることが確定してるんですか。貴方と紅さんがいなくなるんでかなりきついですよ」
「その代わり丸と君が入ったんだからとんとんじゃないか」
「どんぶり勘定すぎます。それと、次の大会に出ないつもりって本当ですか?」
紅さんが退院してすぐに双日先輩と紅さんが今後の演劇部に役者として関わるつもりはないと宣言した。
その宣言は演劇部内にかつてない衝撃を与え、一部の部員はもう終わりだと絶望していた。
そして、早々に部長は江守さん、副部長は岡谷へと引き継がれ、最上級生の二人は部活にこそ参加しているけれど、前みたいに仕切ることはなくなった。
「本当だ、紅と話し合って決めたことだ。私と紅はこれから卒業まで裏方に徹する」
「理由を聞いてもいいですか?」
「次の大会は来年の全国大会の予選だ。私は留年でもしない限り次の全国大会には出られない。それなら、今回から来年を見据えてやることはそうおかしいことじゃない」
演劇部は一つの公演をするのに時間がかかるからこそ、他の部活とは違い特殊な大会スケジュールが組まれている。
来年の全国大会の予選は今年行われるのだ。
これは大会が連続すると、時間的にそれぞれで別の題目を用意できないからだ。
「でも、他の学校は最上級生を出しますよ? そんな縛りプレイをする必要あります?」
「私達がいないくらいで勝てないようだったら来年の全国大会だって勝てないさ」
「私達がいないくらいって言いますけど、四番とエースが抜けたら普通無理ですよ」
1960年代の巨人だって王と堀内がいなかったら、あんなに優勝できなかったはずだ。
ただでさえ双日先輩と紅さんに頼っている分が大きかったのに、急に出ないなんて、下級生からすればたまったものじゃない。
「それに私はフラれ疲れた。劇中でもフラれ、現実でもフラれ、私の心はもうボロボロになってしまった」
「よくもまあ思ってもないことをそれっぽく言えますね」
双日先輩はあたかも本当に落ち込んでいるかのように肩を落とす。
付き合いの浅い人が見れば落ち込んでいると思ってしまうほどだけど、俺には分かる。何度も騙されたからこそ、この人の演技は見破れるようになった。
「失礼な。私だってうら若き乙女だ、フラれれば人並みに傷つくさ」
「そういううら若き乙女とか大袈裟な言葉を使うから先輩は胡散臭いんですよ」
「要するに私は君達に期待してるってことだ」
「雑にまとめましたね」
「君と丸を付き合わせた時点で君達の物語における私の役割は終わった。あとは端役として細々と登場させるくらいでいいだろう」
「そういうわけにはいきませんよ。先輩は俺と丸にとって主要人物の一人ですから」
双日先輩も紅さんも受験を控えている。推薦でも進路は選べるくらいあるはずだけど、難関大学を受験するつもりらしい。
いくら二人の成績がいいからといっても、何もしなくて受かるほど大学受験は甘くない。
江守さんは顔を出してくれるだけでもありがたいと言っていたけど、俺はそうは思ってない。俺を巻き込んだんだから、最後まで付き合わせる。
「そういえば、君は大分明るくなったな」
「前は暗かったと?」
「そうじゃない、すぐ悪い方に捉えるのは君の悪い癖だ。前は何事にもどこか一歩引いている感じがあっただろう」
実は双日先輩以外にも何人かに言われた。
丸だったり、江守さんだったり、クラスメイトだったり。
嬉しいことではあるけど、俺はそんなに根暗に見えていたのかと思うとショックでもあった。
「演劇部に入ったのもそうだ。紅が荒業を使ったとはいえ、君はなんだかんだで躱すんだろうと思っていたよ。部活でも積極的にコミュニケーションをとってるじゃないか」
「最近人と話すのが楽しいんですよ」
「何か転機でもあったのか?」
「もし、嘘が分かる能力があったとして、先輩は欲しいですか?」
突然変わった話の流れに双日先輩は微かに眉を動かした。
「いらない」
「なんでですか?」
「単純につまらないだろう? 嘘にも種類がある――悲しませないための嘘、楽しませるための嘘。そういうのが全部分かってしまったら他人との会話が純粋に楽しめない」
「でも、相手の本心が分からないのはこわくないですか?」
「他人の本心なんてものは分からないのが当然なんだから、こわいとは思わない。それより、全部分かってしまったほうが私はこわい。限られた人間としか付き合えなくなる」
「つまり、そういうことです」
双日先輩は俺が何を言っているのか分からないようで、難しい顔をしている。
当たり前だが、彼女は俺が少し前まで嘘を分かっていたこと、そして今は分からなくなっていることを知らないのだ。
「君の言うことはたまに分からないな。それよりいいのか? 愛しの女性が不安そうにしているぞ?」
彼女の指さす方向を見ると、丸が不安というよりも不満そうな目で俺を見ていた。
俺は双日先輩との話を切り上げ、何か言いたげな丸の話を聞きに行く。
「うー……双日先輩と何話してたの?」
「別に大したことじゃない」
「もしかして浮気? 浮気なの?」
「彼女の前で堂々と浮気する奴がいるか」
俺が彼女と言ったのが嬉しいのか、丸の表情が弛緩する。
「でも、でも、双日先輩美人だから……」
「俺が丸と付き合ってるのはお前が可愛いだけが理由じゃない」
「じゃ、じゃあなんでたいちゃんは私と付き合ってくれてるの?」
丸は付き合ってくれてるなんて言うけど、俺からすれば丸くらい可愛い女の子が俺なんかを好きでいてくれることが奇跡だ。
でも丸は丸で、俺に対して似たようなことを思ってくれてるんだろう。少しだけ自信を持てるようになったけれど、自己評価が低いのは変わらない。それはそれで丸の美点なのかもしれない。
「お前以上に俺を好きでいてくれる人がいないから。勿論俺だって丸のことが好きだ。可愛いし、子供っぽいし、何事にも一生懸命だし」
「子供っぽくないもん」
そうやって唇を尖らせて拗ねて見せるところが子供っぽい。それを言って、そういう仕草を見せなくなってもつまらないので俺はあえて指摘せずに笑ってみせた。
「でも、それだけじゃない。俺が好きな人には、俺のことも好きでいてほしい。
丸が俺を好きでいてくれるなら、お前と別れることはないだろうな」
「本当? 本当に私がたいちゃんのことを好きなら別れないの?」
「俺は嘘はつかない」
嘘が分からなくなっても、俺は嘘はつかない。
言葉なんて所詮何も伝えられない欠陥ツールなんだから、虚飾にまみれさせて何が悪い。
その考えは間違ってはないのかもしれない。
言葉で気持ちが伝わるかどうかは、相手が言葉を言葉通りに信じてくれるかどうかに左右される。どうせ伝わらないと嘘で塗り固め続けるのもいいだろう。
だけど、信じてくれるかどうかは今までどう生きてきたかが大事だ。狼少年になるかどうかはその人次第だ。
「そうだね、そうだよね! それならずっと一緒だね!」
だから、大好きな人が信じてくれる限り俺は俺の言葉を大事にする。
それが信じ続けてもらうための賢いやり方だ。
嘘が分かる俺と嘘をつかない彼女の恋愛劇 ロイ @tinatsu
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