第22話 嘘と本当
昼休み、俺は購買でパンを買いに行くべく、チャイムと同時に立ち上がる。
だが、教室を出る前に、何者かに腕を掴まれて引き留められた。
振り向くと、やっぱり丸がいた。
「じゃん!」
丸の手にあるのは布に包まれた二つの弁当箱。
「作ってきたから、食べよ! 食べて!」
授業が終わってすぐということは、必然的に教室内にはほぼ全ての生徒が残っている。
つまり、丸が俺に弁当を作ってきたことは周知の事実になってしまった。
昨日の今日で丸がこんなにも積極的にくるとは思っていなかったので、完全に不意を突かれた。
そんなに俺を困らせて楽しいのか、丸は屈託のない笑顔で俺に弁当箱を押しつけてくる。
俺はそんな丸を引き摺るように教室の外へと連れ出す。
人目の少ない場所まで連れてきてから丸と向き合う。
「こんなに人前でベタベタする必要ないだろ。俺だって嫌じゃないけど、こんな見せつけるのはどうなんだ?」
「うー……だって、たいちゃんが言葉だけじゃ信じられないって言ったんだもん。
だから好きっていっぱい伝えたくて……」
俺が怒っているように聞こえたのか、ふてくされたようにぶつぶつと呟いている。
丸は俺と二人きりの時は饒舌だが、本来は人見知りだし、人前でこういうことができるタイプじゃないはずだ。
丸は丸なりに俺のことを考えてしてくれていたと思うと、申し訳ない気持ちがふくれあがってきた。
「すまん、俺も怒ってるわけじゃないんだ。手を繋ぐとか弁当を作ってきてくれるとかはすごい嬉しい。でも、公衆の面前だと不愉快に思う人もいるかもしれないだろ?だから、できるだけ二人きりの時にやろう」
「本当に怒ってない?」
「本当だって」
「じゃ、じゃあ、じゃあ、怒ってないって証明して?」
丸がそっと俺に体重をかけて寄り添ってくる。
そして、俺の方を見ると、精一杯背伸びをして目を閉じた。
俺はつま先立ちをしているせいでぷるぷると震えている丸の頭を軽く叩いた。
「お前は俺の言ったことを一ミリも理解してないな」
「うー……」
丸は頭をおさえて唸っている。
教室から出たとはいえ。ここは廊下だ。人目は少ないけれど、決してないわけじゃない。
そんな大それたことができるわけがない。
「屋上で弁当食べるぞ、そこでなら証明してやるから」
こんなことを言うようになってしまったのかと、我ながら恥ずかしくなった。
◇
「帰ろうぜ」
放課後、俺は帰りに丸を誘う。
確か今日は料理研究部の活動はないはずなので、一緒に帰れるはずだ。
「ごめん、今日は無理」
「何か用事でもあるのか?」
「演劇部の活動に出ようと思って」
俺は思わず耳を疑った。
あんなことがあったのに、まだ演劇部の活動に参加しようと思うなんて正気の沙汰じゃない。
「本気で言ってるのか?」
「うん……」
丸はちょっと躊躇ってから小さく頷いた。
「なんでだ?」
「私が演劇部の活動に参加しても、参加しなくてもあの人の思い通りなわけだから、同じかなって思って。折角あんなに練習したんだから、大会に出ないにしても最後まで練習しておきたいの」
確かに、あのまま演劇部を続けても、辞めてもあの人の手のひらの上であることに何の違いもない。
それに、丸は必死で練習していたし、続けたいという気持ちがあるのは理解出来る。
「そうか、お前がそうしたいなら止めないけど、俺は行かない」
でも、俺はあの人の近くにいたくはなかった。
「それに……私は、あの言葉が双日先輩の本心だとは思わないの」
「あれが嘘だとでも言うつもりか?」
「確信はないけど、多分嘘……なんじゃないかな?」
「そんなわけないだろ。あれは絶対に嘘じゃなかった。だって――」
「だって?」
丸が促すように首を傾げるが、俺は口を閉じた。嘘が分かるから嘘じゃないなんて言えるわけがない。だけど、赤くない言葉は嘘じゃない。それは俺にとって何よりも確実な証拠。
「いや、辻褄が合ってただろ。俺だってあの人の言葉がその場で作ったような出鱈目なことだったら、嘘かもしれないと思った。だけど、あの人の今までの行動と照らし合わせると納得できるんだ」
「それはそうかもだけど……でも、私は嘘だと思う。だって、あの時ね、私達が講堂から出る時。一度双日先輩の方を振り向いたんだけど、少しだけ辛そうに見えたんだ」
あまりにも頼りない根拠。辛そうに見えたなんて、丸の主観でしかない。それに、それこそ演技かもしれない。
「丸には悪いが、俺にはそうは思えない。あの人の言葉は本当だった。面識の殆どない俺に告白する理由なんて、一つしかないだろ」
「うん、私が好きでやってることだから、たいちゃんは気にしないで。一番傷ついているのはたいちゃんだから、私としても無理に向き合って欲しくない。私が代わりに双日先輩の本心を探るから!」
丸はくせっ毛をぴょこぴょこと動かしながら両手で握り拳を作る。
「なんでお前はそんなにあの人を信じられるんだ?」
真意がどうであれ、岡谷を煽動して丸に告白させたことに関しては間違いなくあの人の仕業なのだ。そんなことをする人間を信じようと思える丸が俺には信じられなかった。
丸の言葉は全て本当なのだ。強がりでもない。
「うーん……そんなこと言われても、うまく説明できないよ……。ただ私は……双日先輩と過ごした一ヶ月の全てが嘘だったとは思いたくない」
そう強く言い切った丸の姿には、ずっと俺の後ろに隠れていた頃の面影はなかった。
「大会に出られるといいな」
正直演劇部に良い思いはない。
それでも、紅さんが作った部活だし、大会で良い結果を残して欲しいとは思っているし、そこに丸が関わるのであれば更に良い。やりたいことを見つけた丸の足を俺が引っ張るわけにはいかない。
「うん! それと、お姉ちゃんが手術すること決めたから、会いに行ってあげてほしいんだ」
「紅さんが? いつ?」
そろそろ紅さんの手術のタイムリミットは迫っていて、日程を決めないとまずい時期なのは知っていた。
紅さんは心残りがあるからまだ手術は受けたくないと言っていたはずだけど、どういう心境の変化があったのだろうか。
心残りがあろうがなかろうが手術を受けないという選択肢はないので、諦めたのか。
それとも、心残りが解消されたのか。
「早ければ今週末にはやるみたい」
奇しくもその日は演劇の大会がある日だ。
「じゃあ、今日行ってくる」
考えたくないが、もし手術が失敗した場合は、今後紅さんに会えなくなる可能性がある。
それに、いくら紅さんとはいえ手術前は色々大変だと思うし、俺にできることなんてないかもしれないけど励ましてあげたい。
「ありがとう、お姉ちゃん絶対喜ぶよ!」
◇
病室に行くと、紅さんが半身を起こして俺を出迎えてくれた。
前に来たときよりもやつれているが、その瞳は変わらず強い輝きを帯びている。
「
「当たり前じゃないですか」
俺はいつものように持参したギフトカードをベッドについている台みたいなものの上に置いた。
紅さんの病室はいつも誰かが持ってきた見舞いの品が所狭しと並んでいる。
俺が入院しても、身内を除けば丸と紅さん以外にお見舞いに来てくれる人なんていないだろうと悲しいことを考えてしまった。
「あれ? 丸は?」
「あいつは演劇部の活動で来ませんよ」
「残念、付き合い始めた二人を見たかったのに」
紅さんが言葉通り残念そうに目を伏せた。
これが最後になるとは思わないけれど、紅さんには二人で会いに来ればよかったなと今更ながら後悔した。
なんて言葉をかけるべきか悩んだ末、俺は言いたいことをそのまま言うことにした。
「手術すること決めたんですね」
「うん、もう時間ないし、心残りもなくなったからね」
「心残りってなんだったんですか?」
あの時は教えてくれなかったけれど、今なら教えてくれるかもしれない。
ただこのタイミングで決意したということは多分丸のことだろうと予想は出来ていた。
「丸が帝人くんに気持ちを伝えることだよ」
「俺に?」
半分予想通りで半分はずれていた。
俺と丸が付き合うことが心残りなんじゃないかと思っていた。
それなら、あの時俺に心残りがなんなのか伝えなかったことに合点がいく。
それに紅さんはことある毎に俺と丸をくっつけようとしていた。
でも、自分の病気を盾にして、俺と丸に交際を迫るようなことは流石にしたくなかったからこそ言わなかったんだと思っていた。
「付き合うかどうかは別にして、二人の関係はそろそろはっきりした方がいいってずっと思ってたの。丸は全然気持ちを伝えようとしないから、いつか帝人くんに丸以外の好きな人が出来ちゃったときに絶対後悔するだろうって。それに、帝人くんは帝人くんで丸以外に好きな人がいても、あの子がずっと近くにいたら恋だってできないでしょ?」
「別に好きな人なんていませんでしたよ」
「でも、帝人くんを好きな人がいたとして、丸が近くにいたら話しかけにくくなるでしょ?」
「そんな人いるとは思えないんですけど」
「いるかいないかじゃなくて、帝人くんの出会いの機会まで奪いかねない状況だったのが問題。あのままずるずる中途半端なままでいることは、丸にも帝人くんにも良くない。だから振られるにしても付き合うにしても、私が手術をする前にして欲しかったの。それなら、もし手術が失敗しても、振られたときは丸を慰められるし、付き合えたときは祝福できる」
「縁起の悪いこと言わないでくださいよ」
「そうだね、二人が付き合うのなら、結婚式を見ないわけにはいかないよね」
「そうですね」
結婚式なんて気が早すぎる。
そう思ったけど、俺はあえて言わなかった。
些細なことでも紅さんの心持ちが明るくなるならば、それでいい。
「そういえば、帝人くんは演劇部の活動休んでいいの?」
「俺は……俺はもう演劇部に関わらないつもりなので」
暗い話題は手術前に言う必要のないことだけど、隠すのも忍びなかった。
紅さんは驚いたように表情を固くした。
「理由を聞いていい?」
「双日先輩と一悶着ありまして」
「双日と?」
「それで喧嘩別れみたいになったんです」
大分端折ったけれど、大筋は間違っていない。
紅さんは当然納得出来ないようで、
「ちょっと想像出来ないな。双日も帝人くんもそんなに怒りっぽいタイプじゃないし、意見が対立しても落としどころを見つけられるはず」
「でも、実際そうなったんです」
「詳しく話してくれない? 私で力になれるかもしれないから」
俺は正直に話すか迷った。
双日先輩は紅さんの親友だ。
真実とはいえども、その双日先輩を貶すようなことを彼女の前で言いたくはなかった。
ただ、もしかして紅さんなら、双日先輩の言動について別の解を見出してくれるかもしれないという期待があった。
結局、俺は一連の流れを紅さんに話した。
「そんなことが……」
紅さんは驚愕の表情を顔に貼り付けている。
「流石にああまで言われて続ける根性はないです。
紅さんの前でこんなこと言いたくないですけど、あんな人と一緒にはできません」
俺の憮然とした言葉に、紅さんは辛そうに顔を歪めた。
失言だった、と後悔するけど遅い。
紅さんは俺なんかより遙かに双日先輩との付き合いは長いから、彼女なりに思うところのあるんだろう。
「帝人くんは双日の言葉を全部信じたの?」
しばらく口を閉ざして考え込んでいた紅さんがそうぽつりと言った。
「どういうことですか?
信じるも何も、それ以外にあの人がやってきたことの説明がつかないんですよ」
双日先輩の言葉は俺には見破れない。
だから、最初の告白が本当でこの前の双日先輩が嘘だという可能性もある。
でも、それじゃあ説明がつかないことが多すぎる。
「双日のことをよく知ってる私からしたら、詰めが甘いかなって思っちゃうんだよね」
「詰めが甘い?」
意味が分からなかったので聞き返すも、紅さんは頭を振った。
「ごめん、気にしないで。帝人くんが辛い思いをしたのは事実なんだよね。私達が卒業した後でも関わるつもりはない?」
「もともと紅さんがいるから手伝ってただけですから。それに、今更実は脚本書いてましたなんて名乗り出るのも変な話ですし」
紅さん以外の部員に名前を伏せていたのは、紅さんが卒業した後には関わるつもりがなかったからだ。
仮に双日先輩のことがなくても関わるつもりはない。
「そう……残念だけど、帝人くんがそう決めたなら仕方ないか」
紅さんと双日先輩が作った部活だからこそ、人一倍愛着があるのかも知れない。
文芸部という幽霊部員しかいない部活に所属している俺には分からない感情だった。
そして、あまり長居しても紅さんの病状に障るかもしれないので、俺は丸との近況を軽く話して病院を後にした。
家に帰った後も、丸の双日先輩は嘘をついているという言葉と紅さんの詰めが甘いという言葉が頭を離れなかった。
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