第20話 本当の告白
俺は演劇部に顔を出すのをやめた。
あそこまで言われて、もう演劇部に行く気は到底起きなかった。
脚本は仕上げていたし、最低限やるべきことはやったんだから文句は言われないはずだ。
双日先輩の本心を聞いてから、俺はあまり人と話さなくなった。
もともと友達は多い方じゃないけれど、数少ない友達と話すことも少なくなった。
相手が嘘をついているかどうか分かるというのは人間関係を構築するにおいて非常に便利な力だった。俺を嫌っている人が分かるので、俺のことが嫌いじゃない人だけと付き合うことができるからだ。
俺は人の悪意にあまり触れたことがなかった。そうなる前に近づかないようにしていた。
全員俺のことが嫌いじゃないという前提のもとに構築された人間関係は俺の精神上とても良い環境だった。
しかし、双日先輩の言葉で、今まで信じていたものが崩れ去っていったような気がしたんだ。嘘が分かるというのは俺がそう思っているだけで実はそうじゃないのかもしれないと疑心暗鬼になってしまっていた。ステータス画面を開いて確認出来るわけでもない、神様にそういう能力だと与えられたわけでもない。
俺が今までの経験から、おそらくそうだろうと思っているだけだ。俺が考えるより複雑な条件の可能性は十分にある。
俺は人に裏切られたことはなかった。自分の周りには自分を嫌っていない人しかいないので当たり前だ。
だから、双日先輩の言葉は思っている以上に俺のメンタルへダメージを与えていた。
これが他の知り合いとかだったら、俺はここまで気落ちしなかったと思う。告白が嘘だったとかそんなのははっきり言ってどうでもよかった。そんなことよりも、双日先輩が利己的な理由で俺を騙していた。その事実が辛かった。
嘘をつかないはずの彼女の嘘だったからこそ、余計に痛かったんだ。
友達だと思っていた伊藤だって、内心では俺を嫌っているかもしれない。
丸や紅さんだって、俺のことをどう思っているのかなんてもう分からない。
唯一の拠り所であったはずの言葉というものが、俺の中で揺らいでしまっていた。
昼休みも放課後も俺はずっと屋上にいた。誰とも話したくなかった。
そして、今日も今日で俺は放課後屋上にいた。
放課後なんだから帰ればいいんだけど、俺は屋上で本を読んでいた。
家に帰ったら帰ったで人はいる。まさか、両親が俺を嫌っているなんて考えたくなかったが、あまり人のいる場所にいたくなかった。
屋上に俺がいることなんてほとんどの生徒や先生には知られていない。
双日先輩が今更俺の目の前に姿を見せるとは思えないので、今誰かが屋上に来るとしたらあいつだけだろう。
なんてことを考えていたら、控えめなドアの開く音が聞こえた。
「たいちゃん」
「どうした?」
はっきり言って丸とも話したくはなかった。
かといって、邪険にするわけにもいかないので反応はする。
「これ、お菓子、食べて食べて!」
丸はにっこりと満面の笑みで俺にお菓子を押しつけてくる。
見たところチーズタルトのようだ。
こいつだって傷ついているはずなのに、あれから俺の前では馬鹿みたいに明るく振る舞っている。
好意的に解釈すれば、俺を慰めるためなんだろうと思う。
俺は丸の作ってくれたチーズタルトを一口で頬張る。
外のタルト生地は香ばしくサクッとした食感で、中のチーズ生地は良い具合に柔らかく口当たりが良い。
「うまい」
「えへへ、そうでしょ? そうでしょ?
これね、これね、タルト生地を――」
「悪い、今は本を読みたい。部活に戻ってくれ」
嬉しそうにチーズタルトの話をしようとしていた丸の声を遮る。
丸の気持ちは嬉しかったけど、今の俺の精神状態では丸のことすら信じられなくなっている。
丸が俺を嫌っているわけがない。今までの付き合いの長さがその証明だ。
でも、それでもこれで丸までと思うと、不安に押しつぶされそうになる。
何か裏があるんじゃないかとどうしても勘ぐってしまうのだ。
「ずっと一人でいたらますます落ち込んじゃうよ」
丸はそう言って、いつものように俺の隣で体育座りをした。
「別に落ち込んでない」
「本当に? 私の目を見て言える?」
丸い瞳が俺の本心を探るかのように見つめてきたので、俺は思わず顔をそらす。
「そんなことしなくていいだろ」
「やっぱり誤魔化した」
丸がクスッと笑みを零した。
そういえば、俺が嘘をつきたくないときに誤魔化すって丸が言ってたな。出来るだけ嘘をつかないという俺の自己満足は、丸には全部見抜かれていたようだ。
「俺が落ち込んでいるとしても、誰かと一緒にいて気が紛れるわけじゃない」
「あの人と他の人が同じだと思っちゃ駄目だよ。伊藤くんはたいちゃんのこと心配してたよ、たいちゃんのことを好きな人はいっぱいいるよ」
「双日先輩は確かに異常だ、でも人って多かれ少なかれ他人の前では演技するものだろ。そういった意味じゃ、スケールが違いすぎただけであの人のしたことは皆もしてることだ。言葉で何を言っても、内心でどう思ってるかなんて分かったもんじゃない」
彼女の前では男友達といるときと違って、良い格好をする男なんていくらでもいる。
家族の前と友達の前で違う振る舞いをしている人なんていくらでもいる。
その本質は双日先輩のしたことと何ら変わりはない。ただ彼女のしていた演技が、他の人が日常的にしている演技とはレベルが違っただけ。
「でも、たいちゃんは気持ちを伝えるには言葉が大事だって――」
「あんなのは人の気持ちをくみ取れない人間の言い訳だ。俺は言葉にされないと何も分からない。双日先輩に騙されたのだってそうだ、おかしいところはいくつもあったのにあの人の言葉を信じて結局あの様だ。
別の人間って時点で気持ちが伝わるとかそんなことはあり得ないんだって痛感したよ。
伊藤とかが本心で俺の心配をしていると言い切れるか?
俺のことを本当に好きだと思っている人がどれくらいいるんだ?」
俺は早口で捲し立てる。本当に言葉が大事なんて俺は思ってなかった。
言葉にしてくれないと本心が分からないからそう言ってただけなんだ。
それで自分だけ嘘が分かる罪悪感から、嘘を出来るだけつかないなんて自己満足で対等になったつもりでいる。
「それは分からないよ。たいちゃんの言うとおり、本心は本人にしか分からないから」
「他人からしたら言葉だけじゃ本心かどうかなんて判断出来ないからな。
言葉なんかじゃ本当の気持ちは伝わらない」
「そうだね、言葉だけじゃ伝わらないことはあるよね。
でも、言葉なしで伝わることなんてほとんどないと思う。
私も言葉にしなくたって大切なことは伝わるって思ってた。
私の想いは全部伝わっているはずだから、何も言わなくても私と同じ気持ちでいてくれるって」
誰に対してなのかぼかされた丸の語り。
「大切なことだからこそ、言わなきゃ駄目だよね」
丸は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
「さっきたいちゃんは俺のことを本当に好きな人が何人いるんだって言ったよね?
一つだけ確実に言えるよ。たいちゃんのことを本当に心配している人はいるし、好きな人もいる」
「そんなこと他人には分からない」
俺みたいな特殊な例を除くと、他人の気持ちなんて分かるはずがない。
なのに、なんで丸はここまで言い切れるんだ。
「分かるよ、だって私自身のことだから」
「何?」
「私はたいちゃんのことを心配してるし、好きだよ。
これは私にしか分からない、たいちゃんだって否定出来ない私の本心」
確かに丸の感情は丸だけのもの。
それは他人に否定されても覆らない。
「お前からしたらお前の本心だから本当って言えるだろうけど、俺からしたら何の証明にもならない。
俺だって必ずしも嘘だとは言い切れないけど、逆に絶対に本当だという客観的な証拠はないだろ?」
嘘発見器だってまだ裁判の証拠として認められていない昨今で好き嫌いといった人間の感情を絶対に本当だと証明するのは不可能、いわば悪魔の証明だ。
「客観的な証拠なんか必要ないよ。たいちゃんが私を信じられるか信じられないか。
私とたいちゃんのことなんだから、誰から見てもそう思えるんじゃなくて、たいちゃんがどう思うかだよ。私の言うことでも信じられない?」
信じるなんて簡単なことだと俺はずっと思ってた。
赤い言葉が嘘でそれ以外は本当。
赤くない言葉を信じればいいんだから簡単に決まってる。
システマチックすぎて信じるという言葉で表すのが正しいか疑問を覚えるほどだ。
でも、今になって俺は信じることの難しさを知った。
裏切られる恐さを知ってしまったから。
「信じたい、信じたいけど。
お前だからこそ恐い、もし嘘だったら俺はもう立ち直れない。言葉じゃ信じられないんだ」
視界がぼやける。泣くつもりなんかなかったけど、今更になって双日先輩の言葉の数々が俺に重くのしかかってきた。
すると、丸は精一杯背伸びして俺の背中に手を回し引き寄せて、俺の頭を抱え込んだ。
その身体は体温以上に温かく感じられた。
「ずるいよね、たいちゃんが落ち込んでるときにこんなことするなんて。
弱ってるたいちゃんは新鮮で可愛いけど、私はいつものたいちゃんがいい。
言葉だけじゃ信じられないなら、私はなんでもするよ。今までたいちゃんが私のお願いを聞いてくれてたみたいに、私もなんだって聞いてあげたい」
「なんだってなんて出来るわけないだろ」
誰にも見られていないのは分かっているけど、丸の胸で泣いているという状況が非常に恥ずかしくなり、俺は彼女の弱い拘束を解いて投げやりに言う。
「私ができないようなことをたいちゃんが言うわけないから、なんだってできるんだよ」
「ここで脱げって言われてもできるのか?」
俺の思考を読まれたみたいで悔しかったので、不謹慎すぎずに丸ができそうにないことを選んで言った。
「できるよ、私の……私の裸を見て、たいちゃんが元気になるなら……は、恥ずかしいけどやる」
丸は耳まで真っ赤にして俯くと、ブラウスのボタンを外していく。
「分かった、お前の覚悟は分かったから脱ぐな」
「私の言葉は信じてくれるってこと?」
色々な意味で元気になりそうだったので、俺は慌てて丸を止めた。
外されたボタンのおかげで微妙に見えた鎖骨が、妙に色っぽく見えた。
こいつは今時の女子高生らしからぬ着こなしでブラウスも一番上までボタンを留めているので、そういう場所を見ることはあまりないんだ。
丸も恥ずかしかったのか、急いでボタンを留め直すと、いつもの上目遣いでそう聞いてきた。
「ああ、こんな長い付き合いで嘘をつき続けられるほどお前は器用じゃない」
「じゃあ、じゃあ、私が好きって言ったのも信じてくれた?」
信じざるを得ない。
こんなに俺と一緒にいてくれて、俺のために色々してくれる。
ここまで状況証拠が揃っていたら、信じるしかない。
丸の言葉が赤くないからとか、そういうのはもう関係ない。
「ああ」
「それなら、たいちゃんが私のことどう思ってるかを聞かせて」
丸は頬を朱色に染め、瞳を潤ませながら、唇を真一文字に結んで俺の言葉を待っている。
「そんなの――」
――言わなくても分かるだろと言おうとして、瞬時に思いとどまる。
駄目だ、言わないと駄目だ。
俺と丸はそこらで付き合ってる男女よりもずっと長い時間一緒にいた。
幾度となくなんで付き合ってないのかと聞かれたことはあったが、俺は明確な答えは返せなかった。
今なら分かる、言葉にしなかったから。
言葉なんていくらでも飾り立てられるだけで何も伝わらない欠陥品。その考えは今も変わらない。
でも、それは何の信頼関係の薄い他人同士の話だ。
嘘が分からない丸が俺を信じてくれれば、俺の本心からの言葉は伝わる。
俺と丸の関係を変えるためには、この一言が必要だったんだ。
「好きに決まってるだろ」
「言葉だけじゃ信じられないよ」
丸のまぶたがゆっくりと閉じられていく。緊張なのか、その身体は震えている。
俺は覚悟を決めて、丸の小さな桜色の唇に自分の唇を重ねた。
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