第19話 嘘が分かる俺と嘘をつかない彼女の恋愛劇

「丸」

「ん?」


 全体練習が終わり、俺は居残り練習を丸とともにこなした後に声をかけた。

 多分今の丸は俺が相手役じゃなくても、ヒロインの役をこなせる。

 そして、江守さんは最初に見たときが嘘のように自然な演技ができるようになって、丸と江守さんのどちらがヒロインの役になるか分からなくなってきていた。

 丸がやるにしろ、江守さんがやるにしろ、もう俺が練習する必要はないような気はしていたが、乗りかかった船なので練習に参加していた。

 それに、ようやく脚本が完成して時間もあったので最終的にお役御免になるとしても、やれることはやろうと思った。

 居残り練習を終え、講堂に残っているのは俺と丸と双日先輩だけだ。

 岡谷はいつも通りにすると言いつつも、ちょっと気まずいのか、告白前よりは丸と二人でいる時間が減っていた。


「一緒に帰らないか?」

「え?」


 丸い瞳をぱちぱちとしばたたかせて驚いている丸。

 俺から丸を誘うことはまずない。登校も下校も一緒になるときは、なんとなくそうしているだけで俺からあまり誘ったりはしない。

 そこで俺が誘ったから驚いているんだろうけど、そんなに驚くか。


「一緒に帰らないかって聞いてる」

「え、うん、帰るよ! 一緒に帰る!」


 同じことを二度言うのは気恥ずかしかったけれど、ぶっきらぼうに言った。

 すると、丸は何度も頷き、ものすごい食いつき方を見せる。


「声が大きいって」


 双日先輩が丸の声を聞きつけて、ちらりと横目でこちらを見ている。


「だって、たいちゃんから誘ってくれたことなんてないから、嬉しくて」


 丸は甘くとろけるような笑顔を浮かべる。

 俺はその笑顔を見て、僅かに心が痛んだ。今までの俺はなんて言葉の足りない人間だったんだろうかということを思い知らされたからだ。


「分かったから、そういうのは心に仕舞っておけ」


 言葉でしか本当の気持ちは伝わらない。

 なのに、俺は今まで丸に対して言葉にして気持ちを伝えたことはあまりなかった。

 俺のためにお菓子を作ってくれてきたとき、ありがとうと言ったことはあっただろうか。

 俺はそんな小さなこといちいち口に出すほどじゃないと思ってたから何も言わなかった。

 言葉でしか伝わらないなんて偉そうなことを言っておいて、言葉を一番軽んじていたのは俺だった。


「あ、そういえば」


 にこにこ顔の丸が、何か思いついたかのように表情を変えた。


「双日先輩と抱き合ってたって聞いたんだけど本当?」

「誰から聞いたか知らないけど嘘だ。見る角度でそう見えただけだろ」


 俺と双日先輩が付き合ってないことは信じてくれたにしろ、抱き合っていることに関しては何も真相を確かめたいらしい。


「本当に? 嘘じゃない?」


 半目でじっと俺を見つめてくる。


「嘘じゃないって、仮に本当だとしても俺は被害者だ」


 俺が自分の意思で双日先輩と抱き合うわけがない。


「なんか怪しい……」


 仮に本当だとしてもなんて言ってしまったせいか、丸が更に疑いの眼差しを向けてくる。


「怪しくない」

「どうした? 揉め事か?」


 俺と丸が怪しい怪しくないの水掛け論をしていると、近くにいた双日先輩が話しに入ってくる。


「いや、なんかこいつが俺と双日先輩が抱き合ってたとか適当なこと言い始めて」

「私と三井くんが?」

「抱き合ってないですよね」


 俺が念を押すように聞くと、双日先輩は考え込むように形の良い顎に手を当て、


「ああ、私の記憶にはない」


 ここでこの人がふざけ始めたらどうしようかと思ったけど、まともに答えてくれて安心した。


「この前、講堂の裏で脚本について話したときに肩にゴミがついてるとかでとってもらったじゃないですか。多分あれを見て勘違いした人がいたんだと思います」

「……ああ、そういえばそんなこともあったな。人目につかないところを選んだのが逆にいかがわしいことをしていると思われたんだな」

「え、いかがわしいこと?」


 双日先輩のいかがわしいという単語にだけ反応して、再び丸が食いついてくる。


「話をよく聞けって、してないって言ってんだろ。

他の部員に聞かせたくなかったから二人で話してただけだ」

「まさか見られているとは思ってなかったよ」

「は?」


 双日先輩が嘘をついている。

 まさか嘘だと思わなかった言葉が嘘だったので、思わず間抜けな声が漏れる。

 見られていると思ってなかった。これが嘘と言うことはつまり――見られていることを分かっていたということ。

 それは、見られていることを分かって、ああいう行動を取ったということに他ならない。


「どうしたんだ、変な顔をして」


 双日先輩が怪訝そうに目を細める。

 もしかして、この人は岡谷にわざとあの場面を見せつけたのか?


「双日先輩、あの時スマホで何か見てましたけど、あれって何を見てたんですか?」

「そんなことを聞いてどうするんだ?」

「聞いているのは俺です、質問に答えてください」


 あの時、双日先輩はスケジュールを確認しているんだと思っていた。

 でも、岡谷にわざとあの場面を目撃させたという前提のもと考えると、あの時は確認していたのはスケジュールじゃないはずだ。

 岡谷が本当に後ろにいるかを確認するはず。

 そうなると、自撮り用のカメラか画面を暗いままにして、後ろを振り返ることなく後ろを確認したとしか考えられない。


「カレンダーを見ていたんだよ、今後の予定を確認するためにね」


 これも嘘。

 やっぱり俺の予想は間違ってない。

 双日先輩は何か目的を持って、岡谷にあの場面を見せたんだ。


「なんで嘘をつくんですか?」

「嘘?」

「わざと見せたんですよね」


 確信を込めた俺の言葉に、双日先輩は眉をぴくりと動かした。


「私が彼に見せたと思う根拠はなんだ?」

「俺は男なんて言ってませんよ」


 双日先輩はクックッと小刻みに笑う。

 誰に聞いたか教えていないのに、彼という代名詞を使うのはおかしい。

 彼女の赫赫かっかくたる瞳が輝きを失い、冷徹な色を帯びる。


「こんなに綺麗に語るに落ちるってことがあるものなんだな。

探偵が犯人を追い詰める時によく見るけれど、まさか私がボロを出すとは思ってなかった」

「認めるんですね」

「認めるよ、確かにそう見えるように仕組んだ」


 まるで悪いことをしたと思っていないかのようにあっけらかんとした口調だ。

 もしかしなくても、悪いことをしたなんて思ってないんだろう。


「なんで、そんなことをしたんですか? そんことをしてまで俺と付き合おうとしたんですか?」


 双日先輩は一瞬ぽかんとした顔をした後、笑いを堪えるかのように口をおさえる。

 しかし、次第におさえきれなくなったのか、堰を切ったように口を開けて笑い始めた。

 何がそんなに面白いのか俺にはまるで分からない。

 俺と丸を仲違いさせる理由なんて他に何があるんだ。


「ははははははは、本当に私が君に惚れていると思っていたのか。君はおかしいと思わなかったのか?

今まで全く接点がなかったのに、急に告白するなんておかしいだろう。しかも、君は頭の良さ以外は特筆するところのない凡人だ」

「でも、あの告白は嘘じゃなかったはずじゃ」


 あの告白は間違いなく本当だった。

 だからこそ、俺は戸惑いつつも受け入れたんだ。

 でも、俺が嘘が分かることを双日先輩は知らない。それどころか、親や丸にだって話していないことだ。


「嘘じゃなかった? 君はおかしなことを言う。でもまああれは嘘ではなかったな。あの時の私は確かに君が好きだった。そういう私だっただけで嘘ではなかった」

「どういう意味ですか?」

「わざとらしくしたら勘づかれるかもしれないだろう? だから、いつも舞台でしているように演じただけにすぎない。私が演じた君のことが好きな私の中では嘘じゃなかったってことだ」


 認めたくない、認めたくないけれど、彼女の言葉は透明だ。

 言われてみれば、双日先輩の言動の一つ一つは洗練されすぎていた。

 小説とかドラマで見れば違和感はないけれど、実際にやるとおかしく感じることは多くある。

 俺が薄々感じていた双日先輩の言動の違和感の正体はそれだったんだ。

 彼女の俺に対する言動は演技だった。だから、俺は嘘が嘘だと分からなかった。普通は相手の言葉に対して何らかの感情を抱いてしまうはずで、そうなれば俺は嘘かどうか見抜けるはず。

 日常で演劇と同じように自分を殺して演技をするなんて、常人にはできない。

 でも、双日先輩にはできたんだ。都築 双日は常人じゃないから。

 そうじゃないと、告白してきたときと今のどちらも嘘をついていない矛盾を説明出来ない。


「あれが演技だと言うなら目的はなんですか? 俺に告白する理由が貴方にあるとは思えない」


 双日先輩は高校生とは思えないほど忙しい。

 そんな彼女が理由もなく俺に時間を割くわけがない。


「簡単なことさ、丸を演劇部に入れるためだ」

「私を……演劇部に?」


 俺の隣で何も言わずにずっと立ちすくんでいた丸が、ようやく口を開いた。


「紅が倒れてから江守はよくやっているが、代わりは務まらなかった。

それどころか、紅の存在をプレッシャーとして感じているせいで出せる力すら出せなくなっていた。このままじゃ、間違いなく勝てない。そこで、紅から丸に才能があることは聞いていたから、試してみようと思ったんだ。でも、普通に誘っただけじゃ絶対に断るだろう?」


 当たり前だ。

 一年生の時に紅さんから演劇部に誘われていたのに入部しなかったんだ。双日先輩に声をかけられたくらいで演劇をやろうとするわけがない。


「だから、演劇部に入りたくなるように演出してみせたんだ。丸が憎からず想っている三井 帝人――君を利用してね」


 この人の行動はもともと理解出来ない点が多かった。

 それが、この話を聞いて理解出来てしまった。


「おかしいと思わなかったのか? 丸がいる前で告白したこと。告白の返事に期間を設けたこと。いつも彼女がいるときに私が現れたこと」


 本当に俺が好きだったら、丸の前で告白して良いことなんて何もない。

 告白の返事に期間を設けるくらいなら、告白しないで徐々に仲良くなる方が警戒されない。

 そして、双日先輩がアプローチしてくるとき、いつも俺の隣には丸がいた。


「私が君に告白すれば、丸は間違いなく焦る。あの時点で返事をもらわなかったのは、断られたら嫉妬することはなくなると思ったから。そして、私と君に演劇部という繋がりまでできたら、どうにかしてそこに入ろうとするはず。

 要するに全て丸を嫉妬させるための演出だったんだ。現状を見れば分かるとおり、私の台本通りに物事は進んだ」

「全部狙ったことだったんですか?」

「私は神じゃない、全部が全部思い通りになるわけはない、異常事態もあった。演劇風に言えば即興劇インプロ、君と私の恋愛劇、観客は丸だ。適度な緊張感があって良い練習になったよ」


 多分、俺が先輩をデートに誘ったことなんかは彼女にとっては異常事態だったんだろう。

 あの時丸がデート先に現れたのは、双日先輩からしてみれば願ってもないことだったんだ。だから挑発するようなことを言ってまで丸を引き留めた。


「一つ誤算だったのは、丸が三井くんがいないと演技出来なかったこと。三井くんははっきり言って演技に関しては足手まといだった。いくら練習しても大会に間に合うレベルじゃない。ここまで言えば、君ならほとんど分かったんじゃないか?」

「俺が……邪魔だった」


 ここまで聞けば、嫌でも分かってしまう。

 丸が俺と仲違いして岡谷とくっつければ、俺がいなくても演技出来るようになっているはずで、俺を主役に起用する必要はなくなる。


「察しが良いね。丸が三井くん抜きでも演技出来るようにしようとしたんだ」

「で、でも、ここでそれを言ったら丸は――」


 演劇部を続けるわけがない。

 いくら丸でもこんな形で利用されて何も思わないほどお人好しじゃない。


「そんなことくらいは分かっている。でも、もう一つの目的が達成された以上、どうでもいいんだ」

「もう一つの目的?」

「江守を奮起させることだよ。椿本妹のおかげで彼女に火がついたのかな、以前よりずっと良い演技をするようになった。彼女がここまで出来るなら、わざわざ三井くんのような素人を使う必要なんてない」

「こうなることも想定していたってことですか?」

「そこまで想定したわけじゃない。ただ、何らかの要因で丸までここを去る可能性は考慮していただけさ。それで、どうするんだ? まだ続けるか、それともやめるか」


 双日先輩の射貫くような玲瓏れいろうなる視線が俺と丸を鋭く睨む。


「見損ないました、良い人だと思ってたのに……。

 こんな……こんな……人の心を弄ぶ最低な人だったなんて。こんなことしていいと思ってるんですか?」


 丸は瞳に涙をためながらも零したら負けだと言わんばかりに少し上を向いて堪えている。


「私は演劇部の部長としてやるべきことをやった」

「私が他の人に言ったらどうするんですか?」

「過程がどうであれ、結果さえ伴えば多くの人は認める。

あの人はやり方は強引だったけどすごかった、とね。

それにこの顛末を話すことによって一番恥ずかしいのは三井くんじゃないか?」


 丸は言葉を詰まらせた。

 俺が惚れたとか惚れてないとかは関係ない。

 第三者が見れば、俺は双日先輩に惚れて踊らされた哀れな男。

 同情してくれる人も多いだろうけれど、面白がる人だっているはずだ。


「君が私に惚れてしまうのは一番避けなければいけないことだった。丸の嫉妬を引き出すための演出だから、本気にされては困るんだ。だから、君も違和感を覚えていたとおり、本気にされないけど嫉妬を煽れるギリギリのラインを攻めなければいけなかった。それでも結局君は私に惚れかけてこんな物までプレゼントして、所詮男なんてこんなものなんだと再認識したよ。下らない、こんな物で私がどうにかなるとでも思ったのか?」


 双日先輩は俺が贈った髪留めを外す。

 そして、彼女はそれを一瞥すると、講堂の窓から外に捨てた。

 双日先輩に惚れたわけではなかった。

 それでも、性格や生き様は好ましい人だと思っていたし、尊敬もしていた。

 だから、彼女のその行動は俺の心を酷く痛めつけた。

 その瞬間、甲高い音が講堂に反響した。

 最初は何の音か俺には分からなかった。

 でも、右手を振り抜いている丸と、左頬をおさえている双日先輩を見て、ようやく何が起こったのかを理解した。

 丸が双日先輩の頬を叩いた音だった。彼女は眉をつり上げ、顔を怒りで真っ赤にしている。

 丸がここまで怒っているのを見るのは初めてだった。

 その丸い瞳から大粒の涙が零れる。虐められていた時ですら流さなかった涙が、俺なんかのために流された。


「今すぐ謝って! たいちゃんに、謝って!」

「謝れば許すのか?」

「それは――」


 小馬鹿にするような双日先輩の返しに、丸は唇を噛みしめる。


「どうせ許すつもりはないんだろう。

私のやったことは一般的に見れば悪いことなんだろうが、謝るつもりはない。

話は終わりだ、さっさと出て行け。講堂の鍵は私が持っているんだ」

「本当に……本当に嘘なんですか?」


 まだ俺は信じられなかった、というより信じたくなかった。


「君がそう思いたいならそう思えばいい。ただし、変な勘違いだけはしないでくれよ。それと、丸――いや、椿本妹。今までありがとう。君のおかげでなんとかなりそうだよ」


 双日先輩は顔色一つ変えずに、淡々と言い放つ。

 彼女の言葉は嘘じゃない。俺は何も言えずにその場を去るしかなかった。

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