まずは飲め、話はそれからだ

「話は分かった。

 で、なんで発見報告者をそのまま事務局に連れて来てんの」

「いやー。成り行き?」


 ミツキの言及に、クロードは悪びれず答えた。

 片手を腰に当て真顔のままでミツキは続けて尋ねる。


「クロードさん。『内緒』の意味を言ってみよう」

「内緒。内々には秘密にしとくってことかな! まー可愛い女の子のためだったらその限りじゃないよね!」

「よし分かったクロードさんには今夜吐くまでテキーラを飲ませてあげようか」


 手にしたテキーラの瓶の栓を開け、ミツキはクロードの口に流し込もうと彼に掴みかかる。


「いやいやいや無理無理無理無理明日も一限から講義だから! ね!」

「知るか。いっそ単位を落とせ」

「大学と院だと重みが違うからねミツキちゃん!?」


 二人のやりとりをヨウは傍からはらはらして見守っていた。


「あ、あのあの、すみません、私」

「いいんです。悪いのはこいつなんでさあ飲めやれ飲めさっさと飲み干せ」


 快活に笑いながらミツキはクロードの首を締め上げる。


「ミツキちゃん! 凶! 悪!」


 クロードはミツキの手から逃れようと両手で彼の腕を掴み、全力で身体を反らしていた。体格はクロードの方が大柄だが、意外とミツキは力があるのだ。


「既にミツキは酒入ってるからねー」


 笑いながら傍観するシグが、自身は優雅にウイスキーの入ったグラスを傾けながら言う。


「ごめんねー。放送が終わると、いっつも打ち上げで飲んでるからさぁ。普段はもうちょいクールな奴なんだけど。驚いた? 放送とキャラ違って」

「ええ、まあ……」


 ヨウは二人の揉み合いから目を離せぬまま頷いた。

 普段の生活でもラジオの中でも、淡々と動じない性格のミツキだが、お酒が入ると少しばかり開放的な性格になるようである。

 シグはヨウにも空のグラスを手渡した。


「ホントは俺たちがやってるってこと、秘密なんだけどねー。発見者だし、クロードが連れて来たお客様だし、今日のVIPを無碍にはしないよ。折角だから君も飲んじゃえばいいじゃん。

 あ、でもまだ……飲めないか、年齢的に。ソフトドリンク?」


 幼い風貌の彼女を一瞥してシグはにやりと笑みを浮かべた。その言葉に反応し、ヨウはぴくっと肩を震わせて顔を上げた。


「い、一応成人してますうっ!」


 両の拳を握りヨウは反論する。シグはわざとらしく驚いてみせた。


「えっ、成人? またまた御冗談を、中等部の生徒さんでしょ?」

「……っ! 違いますー! これでも、ちゃんと、お酒だって飲めますー!」


 むきになってヨウはシグの手からお酒の瓶を奪い取る。実年齢より幼く見えるというのは、彼女にとってコンプレックスらしかった。


「ま、知ってたけどね。雰囲気的に。微妙なラインかとは思ったけど」

「じゃあなんでそんな意地悪するんですか!」


 琥珀色の酒を自分のグラスにとくとくと注ぎながら、ヨウは口を尖らせた。シグは涼しい顔でしゃあしゃあと答える。


「面白そうだったから」

「貴方はラジオの中と変わらない性格ですね!?」


 ふくれた勢いに任せて、ヨウはグラスに注いだお酒をあおる。


「因みにソレ、アルコール度数50度のウイスキーだけど大丈夫?」

「けほっ!」


 強いお酒に突然喉を焼かれ、ヨウはむせ返った。口元をハンカチで抑え、しばらく咳き込んでから、ヨウは涙目になってシグを睨む。


「早く言ってくださいよ!」

「いや、ストレートなのに、躊躇なーくいくなーと思ったから、そのまま静観してたんだけど」

「静観しないで止めてください……!」

「大人のヨウちゃんには、余計な助言は無用と思いましてねぇ」


 人をくったような表情でにやにや笑いを浮かべたまま、シグは側にあった別の瓶を手に取った。ヨウからグラスを取り上げ、彼は残ったお酒にソーダを注ぐ。


「もっとお酒は大事に飲まないとねー。お兄さんのワイルドターキーを無駄にするでないよ」


 噛みつく気力もなく、彼に非難の眼差しを向けつつも黙り込んだヨウである。


 一方で、ミツキとクロードの方も一段落ついたようであった。ヨウと同じく、むしろヨウよりもげっそりした表情で、テキーラを流し込まれたクロードは床にへたり込んでいる。ミツキは満足そうに椅子に腰かけ、赤ワインを飲み干した。


「というわけで。そこの御嬢さん」

「どこからが『というわけ』なんだいミツキ」

「ま、ま、ま。それは、さておき。

 そういうことだから、この場で見聞きしたことは他言無用でよろしくお願いします」

「見聞き……」


 ヨウは座り込んだクロードを憐みの眼差しでじっと見つめる。


「あ、この場の乱痴気らんちき騒ぎとかそういうことじゃなく。

 俺たちが、『Radio・Knight』を運営してるってこと」

「あ」


 ミツキの言葉に納得して、ヨウは頷く。


「勿論です、元はと言えば……私が、無理を言ってお願いしてしまったことなので」

「何で俺たちに会いたかったの?」


 隣からシグがヨウの顔を覗き込んだ。

 一瞬、言葉に詰まってから、ヨウはおずおずと答える。


「……会いたかったから、です」

「なになに? それって、俺らの誰かのファン? もしかしてそれって俺」

「貴方じゃないです」


 ばっさりとヨウは切り捨てた。打ちのめされたシグは、がくりと肩からテーブルに崩れる。

 途端に怠惰な態度になって、シグは氷の入ったグラスを揺すりながら頬杖を付く。


「あーじゃあ、相手がクロードだったら別にわざわざここに来なくても良かったわけだし、他の人間だよなぁ。

 ってことは人気投票一位のミツキ? あ、ラジオの方だと名前は『ミツバ』だけど」

「えっと、その」


 焦って上ずった声を出しながら、やがて彼女は消え入りそうな声で告げる。


「……『イブキ』さん、です」

「おおう、第三位!」

「やるなー、流石、影の黒幕」

「人気者のイブキに! 乾杯!」

「イエー!」


 シグとミツキとで盛り上がり、互いのグラスを打ち鳴らす。

 クロードはと言えば、ミツキの攻撃からようやく立ち直り、椅子に這い上がってきたところであった。水の入った瓶を引き寄せ、ほうほうの体でグラスに入れた水を飲み干してから、彼は突っ伏した状態のまま顔だけヨウに向ける。


「残念ながら、今日は別件でいないんだよねぇ。もうちょっとしたら、帰ってくると思うんだけど。どうせだし、それまで待ってる?」

「あ、その、……ご迷惑でなければ」

「迷惑も何も! ヤロー共だけで飲むより大歓迎!」


 ウイスキーを飲みほしたシグがヨウに絡んだ。その流れでウイスキーを追加されそうになったため、苦笑いしながらヨウはグラスを手で塞いで阻止する。失敗に終わったシグは不満そうに瓶を下げた。


「ところでヨウちゃん。結局、年はいくつなの?」

「二十歳です」


 シグは真顔でヨウをじっと眺める。


「ギリギリじゃん」

「いいじゃないですか!」


 きっとなって思わずヨウはグラスを引き寄せた。

 彼女の反応を面白がりながら、シグは思い出したように口走る。


「あれ、じゃあ奇しくもイツキと同い年なんだ?」

「や、イツキさんは二十一だから、一つ違うよ」


 ミツキの指摘にシグはぽんと手を打ち鳴らした。


「ああ、そうだった。あいつ誕生日が来たんだっけか。一月だっけ」


 納得して、グラスの中身を空けようとしたシグは、ふとその手を止める。

 ヨウの目がにわかに見開かれ、口を半分開けた状態で動きを止めていたのだった。


「い、いつ」

「ん?」

「……イツキ?」

「イツキ。……イツキさん、知ってるの?」


 ミツキの問いかけに、ヨウは視線を伏せる。


「いえ、その。……その方が、『イブキ』、さん?」


 恐る恐る尋ねたヨウに、シグは目を細めて答える。


「そうだよ。ラジオを運営してるもう一人の奴、それがイツキ。

 イツキこと、ラジオでの通称は『イブキ』だ」

「…………」


 黙り込んだヨウを見て、三人は思わず顔を見合わせる。

 と、そこに、来客とは異なった荒い無遠慮なノックの音が聞こえた。ほとんど同時に、部屋の扉が開かれる。タイミングの良い、イツキの帰宅だった。


 見慣れぬヨウの存在に気付くと、イツキはドアノブを握ったままその場で立ち止まった。クロードとヨウとに視線を彷徨わせてから、目を見開いて彼は言い切る。


「クロードさんが少女誘拐してきた!!」

「違ぇよ!!」


 突っ伏していたクロードは思わず顔を上げる。


「えー、だって状況からしてそういうことじゃないすか」

「どうしてそういう解釈になるんだよ!?」

「見たまんまですよ何言ってるんですか!」


 イツキはしれっと言った。

 便乗して、神妙な顔つきでシグが頷いてみせる。


「確かに。連れて来たのは紛れもなくクロードだ」

「やっぱり、クロードさん……!」


 はっとした表情でイツキは口に手を当てる。


「いくら女の子に振られたばかりだからって、むごいことを……」

「いい加減、締めるよイツキちゃん」


 しかしミツキにテキーラを飲まされたせいで、実際には締めるどころか、椅子から離れられないクロードである。

 ワイン片手にミツキが二人の間に入り、軽口に待ったをかける。


「はいはいイツキさんその辺にしといて。

 この子、連れて来たのはクロードさんだけど、イツキさん目当てでここに来たみたいだよ?」

「え、マジですか」


 イツキはようやくそこでヨウに向き直った。

 と、そこでクロードは彼女の異変に気付く。


 イツキとのやりとりに気をとられて気付かなかったが、ついさっきまで彼らと談笑を交わしていた彼女の表情は凍りつき、大きな目にはクロードが彼女に出会った時と同様、涙を一杯に溜めこんでいた。


 次の瞬間。


 ぐらりと周りの景色が揺れ、テーブルや椅子が不意に傾いた。一瞬、地震かと思うが、地面が揺れているわけではない。


 にわかに地面から生えてきた植物により、重量の軽い家具が上に持ち上げられ、均衡を崩しているのだった。

 慌てて下を見れば、木製の素材ではあるものの、通常であれば植物など生える筈のない床から、次々に植物が生えている。生えた後も成長し続け、彼らの膝のあたりまでじわじわと植物は丈を伸ばしていた。


「うおあああああああっ!?」

「何々、何が起こったの!?」


 咄嗟のことに彼らは慌てふためく。

 ヨウは顔を歪め、頭を抱えて身をすくめた。


「……! 違、止まって……っ!」


 彼女はクロードにしか聞き取れぬ音量でそう呟いた。

 しかし植物は収まる気配なく、丈はそろそろテーブルの高さまで達しようとしていた。彼女の目から、溜め込んでいた雫が滴り落ちる。

 堪え切れず、彼女は椅子を蹴って立ち上がった。


「待っ……!」


 クロードはヨウに手を伸ばす。

 しかし素早く身を翻してしまったヨウまで彼の手は届かず、彼女はドアをすり抜けて逃げるように外へと駆け出してしまった。


 彼女が退室すると同時に、植物の成長が止まる。だがその後も、彼らは呆気にとられてしばらく言葉を発することができなかった。

 やがてミツキが、酔いの冷めた様子でぽつりと言う。


「……イツキさん……あの子に何したの……」

「何もしてないっすよ!」


 焦ってイツキは弁解した。


「だってそもそも、会ったのすら今が初めてですし!」

「初めて」


 シグはイツキの言葉を繰り返す。


「彼女、二十歳って言ってたけど。喋ったことなくても大学で講義が一緒とか、そういうのも心当たりない?」

「無いです。今はゼミがメインで、大人数の講義は取ってないですから、同じ講義を受けてる人なら顔くらい知ってますよ。一、二年前の授業とか言われたら、そりゃ、自信ないですけど」


 きっぱり言いつつ、しかし去り際の彼女の様子を彼も見ているので、イツキはどことなく不安げな表情だった。


「ていうか。何ですか、これ」

「草……だね」


 シグは見たままのことを回答した。


「見りゃ分かりますよ。何で草が部屋に生えてるんすか」


 イツキの言葉に、シグは緩慢な動作で辺りを見回した。


「普通は、生えないわな。『普通』、なら。

 つまり、現状は普通じゃないってこった」

「俺、ちょっと探してくるわ」


 会話を遮り、クロードは立ち上がる。両手を付き重そうに体を持ち上げたクロードに、ミツキは首を傾げて尋ねる。


「見つけられるの、クロードさん」

「大丈夫。まだ部屋出てってからそんな時間かかってないし、この衝撃でちょっとは酔いも醒めてきたしさ。んじゃ!」


 あえて快活に言うと、クロードはヨウの後を追って部屋を急ぎ足で出て行った。


「……魔女」

「うん?」


 イツキの呟きにシグは目を細める。


「魔法、ですよね。これ。どう考えても。……そうすると、いなくなったという話でしたけど、実際には」

「そうだねぇ」


 シグは顎に手をやり、しげしげと床から生えた植物を眺めた。成長は止まったものの、生えた植物は変わらず部屋に鎮座したままだ。


「どう考えても、魔法だねぇ。……さて」


 腕組みし、シグは不敵な笑みを浮かべると、壁に寄り掛かった。


「ちょっとお兄さん、彼女の素性はともかく、思い当たることがあるんだけど」

「ま、ま、ま」


 ミツキが右手に、ぽう、と黄色い炎を灯す。彼はそれを部屋に生えた植物に向けて放つが、力を加減しているのか、床や彼らには燃え移らない。草原の真っ只中にいたイツキもシグも、炎の熱すら感じなかった。ヨウの生やした植物だけが、くすぶった煙を上げて、静かに黒く炭化していった。

 シグの言葉には言及せず、理解したようにミツキは呟く。


「……後を追った方が、良さそうなのは、確かみたいだね」


 煙が充満した室内の空気を入れ替えようと、イツキが窓を開け放つ。籠った空気が外に解放され、新鮮な夜気が部屋に流れ込んできた。春の夜はまだ肌寒い。

 ふと彼は何気なく空を見上げる。夜も更けた時間帯、建物の明かりは消えている場所が多いが、星明りはほとんど見えない。空に浮かぶのは、煌々と輝く上限の月だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る