お願いだから泣かないで

 本来であれば、そこにはレンガで覆われた地面があるのみで、殺風景な景色の向こうへ忘れ去られたようにぽつんと建つ旧サークル棟が見える筈だった。

 だが今やそれは数多の植物に覆われ、古ぼけた旧サークル棟はなんとも幻想的な雰囲気に呑まれてしまっている。


 多種多様な植物の茂る草原は葉に夜露が宿り、ちらちらと光を放っていた。月明かりに照らされ、白い花がところどころで淡く光っている。見れば、植物にさして詳しくない彼も見知ったユリの花であった。

 視線をあげると、クロードのいる場所と旧サークル棟の間、ちょうど真ん中の地点に、まるで守られるようにして植物に囲まれている人影が見える。


 そこには、目に一杯の涙を溜め、困惑の表情を浮かべた少女が佇んでいた。 


 少女は背中までかかるウェーブのかかった長い髪を、結うことなくそのまま垂らしている。周りの景色の影響か、髪は薄らと緑がかっているように見えた。シフォン生地のふんわりとしたワンピースを身に纏っており、そこから覗く腕や足などの体躯は異様に細い。童話の中から抜け出てきた妖精かと見紛うようだ。


 思わず言葉を失い、クロードは立ちすくむ。夢でも見ているのではないかと、自分で自分の眼を疑った。

 見知った場所であるはずなのに、校舎の横を通り抜けたはずみに未知の場所に迷い込んでしまったかのようだった。緑の海原に埋もれるように佇む少女から目が離せず、彼は混乱する。


 つい数時間前まで、ここはただの広場だったのだ。一夜にしてこんなにも沢山の植物が生えるわけがない。

 もしもあるとするならば、それは。



(……魔法?)



 ふとその可能性に思い当たった時、クロードの気配に気づいたのか彼女が顔を上げた。身動きが取れずにいる彼と目が合い、彼女は怯えたような眼差しで真っ直ぐ見つめ返す。

 上ずった声で、彼女は恐る恐る口を開いた。


「だ、……だれ、ですか……?」


 か細い声での問いかけに、どきりとしてクロードは後ずさりそうになるが、何とか踏みとどまり、答える。


「俺は、クロード。クロード・イザヤ。このレッドカストルの学生だよ。

 君は、……どうしたの?」


 様々な意味合いを込めて、彼はそう投げかけた。彼女は視線を一瞬、揺れ動かしてから、やはりか細い声で答える。


「私、……私は……」


 一旦、そこで言葉を切ってから、彼女はおずおずと続ける。


「……道に、迷いました……」


 心底、情けない声色で、彼女は振り絞るようにして告げる。拍子抜けして、クロードは目を瞬かせた。

 しかし目の前の風景はともかく、おかげで彼女の様子には合点がいったようで、クロードはいつもの調子を取り戻した。


「あー、もしかして新入生? この学園、広いからねー。最初のうちは、どこに何があるんだか訳が分からなくなるよね」

「そんな、感じです」


 彼女は曖昧に答えて頷いた。

 我に返ったクロードは、静かに植物をかき分けて彼女の近くまで歩み寄ると、人当たりの良い笑顔で申し出る。


「学園内や周辺の場所だったら分かるから、良ければ案内するよ。住んでいる場所はどこ? この辺を歩いてたってことは、北地区のどこかの寮にでも住んでるのかな」

「えっ、と。……『クリムゾンガーデン』、……です」

「……え?」


 全く聞き覚えのない名称に、クロードは首を捻る。

 新入生であれば、実家が近隣である学生以外、ほとんどが学園の経営する格安の寮に住むことが多い。寮に入らず学園外のマンションやアパートに住む学生もいないわけではないが、長くレッドカストルに住むクロードは、近隣の地名も含めほとんどを把握しているはずだった。


「それ、……どこにあるの? 最近できた、マンションとかアパートの名前?」

「え、と……」


 今度は彼女が首を傾げ、再び困惑した表情を浮かべる。


「御存知、ないんですか?」

「御存知ないんです」


 クロードの台詞に彼女は手を頬に付け、考え込むように眉根を寄せる。


「ええと、じゃあ、どう説明すればいいか……」

「だったら、学生部に案内しようか。そしたら、どこにあるか聞けるんじゃ」

「だ、駄目です!」


 皆まで言う前に、彼女は焦ったように遮る。驚いてクロードはまじまじと彼女を見つめた。

 両手の拳を握り、彼女は必死に訴える。


「それは、駄目なんです。できないんです。あの、お願いですから、どうか、内緒にしていてください。どうしても、駄目なんです」

「何で?」

「えっと……その」


 視線を泳がせ、彼女は気まずそうに口ごもった。指先で着ている服をつまんでいじりながら、どう答えればよいのか思案しているようだった。

 彼女を見るうち、クロードはにわかにとある可能性に思い当たり、もしやとの疑念が浮かんだ。彼もまたそれをどう確認すればよいかしばらく考えた後、静かに尋ねる。


「君、名前は?」


 クロードの意図にはまだ気付いていないようだが、不穏な気配を察し、訝しげに彼女は答える。


「……ヨウ、です」

「まさかとは思うけど。……その、『ヨウ』って名前は。

 それは、?」


 平静を装ってクロードは重ねて問いかけた。

 今度は彼の意図に気付き、彼女は動きを止め息を飲む。


「いえ、……魔法まほう、です」

「……じゃあ」

「はい」


 意を決したように頷き、彼女は告げた。



「私は、ヨウ。通り名『めぐみの魔女』、ヨウ・シラヌイ。

 私はこの学園で囲われている、魔女の一人です」


「……魔女」


 聞いておきながら、彼女の回答に戸惑いを隠しきれず、クロードは呆けたようにその単語を反芻することしかできなかった。




 『魔法名』とは、魔法遣い達が日常生活にて便宜上、使用している名前のことである。


 魔法遣いとして活動する場のみでなく、通常の生活でも魔法遣いは一貫して『魔法まほう』を使用する。

 それに対し、魔法遣いだけが持っているもう一つの秘密の名前のことを『まこと』と呼んだ。


 真名は本人か、いても余程近しい人物のみしか知ることはない。

 何故なら真名は、彼らにとって魔力を開放し魔法を行使する上で鍵となる重要な武器そのものであり、同時に最大の弱点でもあったからだ。


 魔法遣いは、各々の真名の元に魔法を使用している。魔法を行使する際にいかなる複雑な呪文を組み立てようとも、魔法の大本にあるのは術者の真名。いうなれば魔法のくさびであった。

 そして魔法の礎たる真名を隠し通すことにより、自分の手の内を相手から覆い隠しているのである。


 だから逆に真名を知られてしまうということは、手の内を晒しているも同然だった。魔法を鍵のかかった箱と形容するならば、真名はその鍵に等しい。術者以外に解くのが難しい厄介な魔法であっても、相手の真名を知ってしまえばほとんどは簡単に解除できてしまう。

 それに然るべき魔法が遣える相手であれば、真名を知る相手の魔法を完全に無効化してしまうこともできるのである。


 そのため真名は、基本的に他人には決して教えることのない、魔法遣いにとっての最大の秘密だった。『真名』と『魔法名』という名称であっても、生まれた時に与えられた名、戸籍に登録されている通常使用する名前こそ魔法名だ。


 なお魔法遣いは「その名前は本当の名か、魔法名か」と問われた時に、嘘を吐くことが出来なかった。「魔法名が本当の名である」等との偽りを述べることにより、真名が真名たる所以が偽りの言霊により薄まり、力が弱まってしまうと言われているからだ。

 なのでクロードに問われたヨウは、素直にその名が魔法名であると認めるしかなかったのである。



 望みどおりの答えを得たものの、にわかには彼女の答えを信じられずにいたクロードに、今度はヨウが尋ねる。


「この、植物ですか?」

「え?」

「私が魔女だと、分かったの。……この前まではなかった場所に、この植物たちが、生えていたからですか」

「そうだね」


 頷き、改めてクロードは辺りを見回す。


「俺、ここよく通るからさ。今日通った時にも、雑草一本生えてたかどうか怪しいし」

「そりゃ、そうですよね。こんなに、派手にやったなら」


 恥じ入ったようにヨウは首をすくめた。


「私の力は。植物にまつわるものなんです。

 逆に、それ以外、ほとんど何も出来ないんですけど。少し土が覗いている場所であれば、歩く側から草が生えてきたり。普段ならここまでじゃないですけど」

「すげえなソレ」


 思わず感嘆の声を漏らしたクロードに、静かに彼女は首を横に振る。


「凄くないです。自分だけだと、制御できないことも多くって……。今日のこれだって、帰り道が分からなくなって半泣きになってたら、勝手に辺り一面が草原になっちゃいました。感情が高ぶると、自分でも制御できずにあちこちに生やしちゃって。

 ろくに魔法も制御できない劣等生なんです、私」


 ヨウは苦々しい表情を浮かべた。クロードは一瞬真顔になってから、ふと表情を崩す。


「俺だって同じだよ」


 微笑を浮かべながらクロードは続ける。


「俺はクロード。このレッドカストルの大学院生だ。

 それと同時に、通り名『暴炎の魔法遣い』、クロード・イザヤ。君と同類だよ」

「魔法、遣い……」


 ヨウは目を見開いてクロードを見上げる。


「あなたが、魔法遣い」

「そーそー。見えないっしょ? 俺は炎しか使えないんだけど、やっぱ制御とか難しくってねー。

 見せたげたいけど、生憎いっつも消火してくれる相棒が今はいないから、火事になっちゃうと困るんで勘弁ね」


 クロードは自らを笑い飛ばして言う。


「だから、気にしなくって大丈夫。俺だって魔法だと劣等生なんだから。ホントならちょちょいと俺がこの一帯を元通りにしたいとこなんだけど、さっき言ったように火事になると困るんで、それはあとでやっとくから。

 それより、どうやって帰るかだよねぇ。俺は場所知らないし」


 本題に戻して、クロードは腕を組んだ。ヨウも人差し指で唇をかきながら考え込む。


「……クリムゾンガーデン、は。学園の一角にある、魔女が暮らしている場所の名前です。てっきり、皆、知っているものなのかと」

「皆は知らないんじゃないかな。少なくとも学園の案内板とか、公的なものには載ってないよ」

「そうなんですか。……訪れこそしなくとも、私たちの居場所は、公のものかと思っていたんですけど。じゃあ、きっと魔法に携わる一部の人間しか知らないんですね」

「だと思うよ。魔女がいるってことすら、俺だって知らなかった」

「……そう、ですね」


 表情を曇らせてヨウは頷く。

 しばらく唸り声をあげていたクロードだったが、やがて諦めたように思考を打ち切ると、彼が元来た方角を親指で指し示した。


「じゃあさ。とりあえず、行こっか」

「どこに、行くんですか?」


 慌てたヨウは思わず身構える。へーきへーき、と気楽な声をあげてクロードは右手をヨウに差し出した。


「そーんな心配しなくたって大丈夫だよ。俺の友達のとこだから。夜はまだ冷えるから、このまま外に居させるわけにはいかないし。魔女だとか云々とか、そーゆーのが嫌なんだったら、黙ってるからさ」


 そうそう、と人差し指を立ててクロードは付け加える。


「これはホントは内緒なんだけど。俺ら『Radio・Knight』やってるんだよね。知ってる? ローカルなラジオ番組なんだけど。

 んで、結構情報通なやつらだからさ、クリムゾンなんちゃらって場所も何か知ってるかもしんないし」

「Radio・Knight……!」


 クロードの言葉に逡巡していたヨウだったが、その単語に彼女は過敏に反応した。


「連れて行って、ください!」

「え、何? いきなりどうしたの??」


 クロードの右手に飛びつき、ヨウは祈るように懇願する。


「私、……さっき、『Radio・Knight』のスピーカー放送の発見報告、送信したんです。

 実は、ここに迷い込んじゃったのも、遠くからちらっと放送が聞こえて、思わず飛び出してきちゃったからで。

 ……あの、私、Radio・Knightの放送をずっと聞いてて。発見報告を送信するために、自分のいる場所から聞こえる位置のスピーカーから放送されないかと、今か今かと待ち続けてて。ようやくこの校舎のスピーカーが当たって、それが今日だったんです。

 だから、私、あの人たちに会いに行きたいんです」

「君が今日の一番乗りか!」


 クロードが校舎裏に回った本来の動機を今更ながら思いだし、彼は声をあげた。ヨウの必死さに引っかかる部分は思ったものの、渡りに船と言わんばかりにクロードはにやりと笑う。


「だったら丁度いい。あいつらに、会いに行こうか」

「ありがとう、ございます……!」


 会った時は、月明かりに溶けゆきそうな儚さを湛えていたヨウは、初めて笑顔を浮かべた。

 固い蕾が冬を越し、春を迎えて咲き綻ぶような、満開の笑みだった。

 その表情にクロードは視線を奪われて、そっと息を飲んだ。

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