3.満つ機の邂逅

とりあえず夜間徘徊

「へくしっ」


 一つ、くしゃみをしてクロードは鼻をすすりあげた。


「寒っ……春なのにさむっ」


 自分を抱きかかえるようにしながら彼は両手で二の腕部分をさすった。Tシャツの上からシャツを羽織っただけだったので、肌寒い夜の空気は容赦なく侵入してくる。ジャケットを着てくればよかった、と思うが、かといって取りに戻るのも面倒だ。


 一瞬、自分の炎で暖をとることも考えたが、今クロードは一人である。万が一、収集が付かない規模の魔法になってしまった場合に、事態を収めてくれるミツキは近くにいない。

 それに誰かに炎を見られて、放火魔だの不審者だのと誤解されたり、まして魔法遣いだとばれてしまうのは厄介だった。


「あーもー、なんでこんな日に俺だけ外かなぁ……」


 春の冴えた空気にちらちらと瞬く星を見上げ、クロードは寒そうに首をすくめた。






 十数分前。


「というわけで本日の見回りはクロードさん一人で頑張って」

「なんで!?」


 ミツキの宣告にクロードは悲痛な声をあげた。シグがにやにや笑いを隠さぬまま、ミツキと肩を組んだ。


「俺らはほら、いつもの『副業の副業』ないしは『本業の副業』があるから」

「ああ……」


 理解してクロードは表情を崩し、諦めのため息を漏らした。

 ミツキは小首を傾げて彼に尋ねる。


「代わりにクロードさんがやってくれんなら俺が行くけど。クロードさん、やるの?」

「できねっす」


 早々に観念し、クロードは手を広げて丁重に申し出を断った。代わりに追いすがるような眼差しで、彼はイツキを振り返る。


「イツキちゃんは?」

「僕は今日、デートなんで」

「でっ……!」

「教授と図書館で資料探索という名のデートなんで」

「パシリか!」

「言うな。選べるんだったら僕だって見回りのが気楽でいいっすわ」


 イツキもまた、憂鬱そうに頭をかいた。


「ま。昨日の今日だし、今夜また即座に動きがあるとは考えにくいけど。次の布石になるような動きはあるかもしれないし。俺たちはこっちから情報収集してるから」


 ミツキの言に、クロードは無精無精頷く。



 そういう経緯で、クロードは一人淋しく夜の学園を歩いているのだった。

 昼間は多くの人が行き来している校内も、日が沈むとまばらになる。見回り自体に不満があるわけではないが、一人で夜の校内をただ歩き続けているというのはいやに淋しいものがあった。目的地も特段ないので、何とも所在ない。


 肌寒さと所在なさとに耐えかね、適当に学園を一周してから、さっさと皆のいる部屋に帰ってしまおうかとクロードが思いはじめたとき。

 どこかから、ザザザとノイズが流れる音が聞こえてきた。クロードは、お、と顔を上げて、音の先を確認する。


 彼が今いるのは学園でも外れの方にある校舎の前で、例の旧サークル棟からほど近いところであったが、その校舎の東側入口に設置されたスピーカーから件の音は聞こえていた。


「ああ、もうそんな時間か。今夜はここからかー」


 思わず立ち止まって振り返る。折角だし、と彼は近くの壁に寄り掛かり、待った。

 やがてスピーカーからは、控えめな音量で音楽が流れ始める。リズミカルな音楽をBGMに、やはり少々控えめな音量で聞き慣れた声が喋りはじめた。


『はいはーい。皆様、グッドイブニング。今宵も貴方に赤い夜の夢を、Radio・Knightのお時間です。

 良い子も悪い子もどちらともいえない子も、みんなのアイドル・シオンお兄さんだよ!』


 興に乗った調子で饒舌じょうぜつに語る声の主は、紛れもなくシグのものである。

 とはいえ、元から彼が放送していると知った上で聞かなければ、声だけだとなかなか判別はつけられないだろう。もっとも中には、バリトンの深い響きのある声の雰囲気でシグだと当たりを付けてしまい、正体に気付く者もいるのであるが。


『そして、本日のもう一人はー』

『ミツバです。クレナイさんかイブキさん待ちの人、残念でした』


 シグとは対照的に、淡々とした調子でそう語るのはミツキである。彼もその語り口調と落ち着いた声のトーンとで察せられてしまい、正体に気付かれることがままあった。


『人気投票1位が何言ってんのミツバちゃん』

『や。あれは、同情票でしょ』

『投票してくれた人らに謝れ、だったらお兄さんが1位欲しかった!』

『大丈夫大丈夫、次はきっとシオンさん1位だから。俺引退するから』

『殿堂入りして逃げる気だこの男!』


 いつも目にしているやりとりが、静まり返った校内で音声だけになって聞こえてくる。クロードからしてみると、何とも奇妙な感覚であった。



 先ほどシグが言っていた、『副業の副業』ないしは『本業の副業』とは、このラジオ放送のことであった。

 ラジオとは言っても、電波に乗せているわけではない。基本的にはインターネット上のみで放送している。加えて学園内にあるどこかのスピーカーから、最初の一定時間に限りゲリラ放送を流しているのだ。


 週に一度ほど、日が暮れた夜の時間帯に放送している『Radio・Knight』は、シグレを中心に四人で運営しているラジオ番組であった。

 レッドカストルに生活する学生たちをメインターゲットとしたこのラジオ番組は、学園や学園都市のローカルな話題を中心に構成されており、女子学生をはじめとしてそれなりの人気を博している。先ほどシグが言っていたように、メンバーの人気投票まで非公式に行われていた。

 ファンを除いたとしても、年度末試験やイベントの前などには、試験対策の特集を組んだり広告媒体として利用されるなど、性別問わず再生数がぐんとあがる。入学してきたばかりの学生には「手っ取り早く学園を知るにはまずこの番組」とまで言われているほどだ。


 なお、『Radio・Knight』は一切ゲストを呼ばず、シグを中心に四人のパーソナリティーのみが交代で放送しており、彼らの正体は外部に隠していることでも有名だった。そのため、名前もシグこと『シオン』、ミツキこと『ミツバ』として偽っている。


 四人が手品愛好会として集っているのは仮の姿。『Radio・Knight』としての活動を隠すため、ダミーのサークルとして手品愛好会が存在している、……ということに表向きはなっている。パーソナリティーの正体に気付き追求してきた者には、特段隠し通すでもなく、軽く口止めをした上でそう説明をしていた。


 実際には『スカーレット・キーパー』としての活動を秘匿するための手品愛好会だったが、その間に更に『Radio・Knight』の活動を入れ込み三層構造にすることで、より一層『スカーレット・キーパー』の存在を秘匿しているのだ。


 もっともそれは後付けの理屈であり、本来の目的ではない。

 実のところは、この放送自体がスカーレット・キーパーの活動を秘かに補佐する目的を担っている。


 このラジオ放送には、ミツキないしはイツキの魔法で、視聴者への暗示が込められていた。


 【フシンシャヲホウコクセヨ】

 【アヤシイウゴキヲホウコクセヨ】

 【レッドカストルニアダナスモノヲ、ホウコクセヨ!】


 ラジオ放送を聞いた者は魔法にかかり、怪しい動きや話に接した際には彼らに異変を報告する。『Radio・Knight』の事務局には通常のリクエストに交じり、「不審な行動をとっている人物がいる」、ないしは「結界を破る相談をしていた」といったような報告を随時受け取っているのだ。

 ラジオを聴く学園内の人物が(本人は無意識ながらも)全員協力者なのである、これほど心強いことはない。


 ゆえに、『Radio・Knight』の活動は、学生または社会人としての顔を軸と考えるならば、『副業の副業』。

 スカーレット・キーパーの顔を軸と考えるなら、『本業の副業』なのである。


 とはいうものの、副業の枠にとどまらず、仕事の補助というのを言い訳に、彼らは十分すぎるほど活動を楽しんでいるのだったが。


『今日も今日とて、学園内のとあるスピーカーをジャックしてお送りしています。さあ、発見した人は今すぐ連絡だ!』

『例によって、先着一名に記念品プレゼントするよー』


 毎回、『Radio・Knight』はインターネット上だけでなく、学園内のどこかのスピーカーからランダムに放送を流す。それを発見した人が事務局に報告をすると、先着一名にもれなく特典がもらえるというすんぽうだ。

 スピーカージャックは「たまたま放送を耳にした学生を視聴者として取り込む狙いと、通りすがりの普段ラジオを効かない人物も魔法の範疇に含める」という名目で行っているのであるが、正直なところお遊びの側面が強い。


 なおスピーカーからの放送は学園の許可を得ず勝手にしていることなので、発見報告を受けるか、放送開始から三分が経過した時点で終了としている。

 勿論、視聴者がそれなりにいる番組であり、ランダムとはいえ毎回学園のどこかしらで流れているので、学園関係者は当然これを知っている。しかし苦情を呈されるほど長く放送してはいないことと、ジョーが手回ししたこともあり、暗黙の了解で見逃されているのだ。


 こうして彼らの娯楽と実益を兼ね備えた『Radio・Knight』は、ほとんど毎週もれなく放送されているのだった。

 大抵はシグレがメインで話をし、もう一人が合いの手を打つといった形式で二人で放送を行うことが多い。実際に暗示の魔法を使用するのはミツキとイツキのどちらかであるので、必然的にクロードの登場回数は少なかった。


 というわけで人気投票は、ミツキとシグが僅差での一位と二位であり、『イブキ』ことイツキが三位で『クレナイ』ことクロードが残念ながら四位なのだった。

 基本的には匿名での放送であるはずなのに、現実世界での人気をそのまま反映しているような気がしてあまり面白くないクロードである。


 放送を聞きながらふとクロードは辺りを見回すが、周囲には彼の他、誰もいない。いつもはどうしてそんなに早く発見できるのか不思議に思うほどに素早く発見報告が届くのだが、今日はクロードの他に発見者はいないようだった。面白がってクロードは携帯電話を開き、自らスピーカー放送の発見報告を送信した。


 やがてシグレの声で発見報告を受けた旨を告げるアナウンスがされ、スピーカーでの放送が終了する。

 ふつりと音が途切れたのを確認すると、クロードはようやくその場を離れて歩き出した。発見報告をしたことで何となく達成感を覚えたクロードは、見回りを諦めもう部屋に戻ろうかと来た方角に足を向ける。


 と、リクエストのコーナーで音楽を流し、空き時間が出来たのか、ミツキから電話がかかってきた。


『やほ。クロードさん、元気?』

「切ねぇ」


 人気のない学園内を歩きながらクロードは素直に現在の心境を述べる。


『何、パーソナリティーの一員が自ら送ってるんですか』

「やー、たまたまスピーカーのアタリに遭遇しちゃったからね! これは送るしかないっしょ、と思って」

『タイミング良過ぎでしょ』


 笑いながらミツキは付け加える。


『でも。残念ながら、タッチの差で一番手は別の人だったけど』

「うっそ! 絶対俺が一番だと思ったのに!」


 言いながらクロードは、そういえば先ほどの放送でも特に触れられなかったな、と思い当たる。もしクロードが一番手で発見報告をしていたなら、彼らに何かしら放送でいじられていてもおかしくない。

 訝しげにクロードは首をひねる。


「え。俺の他に、誰も側にはいなかったけど」

『さあ。現に送られて来てるしね。校舎の中とか、ないしはクロードさんの死角になるところに居たんじゃないの。

 あ、じゃあそろそろ音楽終わるから、また放送戻るわ。見回り頑張って』

「いや、もう帰るわ……帰りたい……」

『あ。それからもう一つ本題。さっき出掛けに言いそびれたけど、帰りがけにイグにエサやっといて』

「はいよ、了解。……って何でいつも俺がミツキちゃんのペットの世話してんの!? おかしくない!?」


 クロードの弱音も不満も諸共聞き流し、ミツキは通話を終えた。辺りには再び静寂が戻る。

 携帯電話から耳を離すと、クロードは顔を上げた。さりげないミツキとの会話だったが、妙に気にかかったのだ。


 誰が、クロードよりも早く発見報告を送信したのか。


 校舎内はどこの部屋も電気が消えており、人の気配はない。日もすっかり沈んでいる暗闇の中、電気を付けず校舎内にいるとは考えにくかった。クロードの見える範囲に人はいなかったが、スピーカーの放送を聞いていたとすれば、おそらく外だろうと思えた。


 クロードは校舎の南側にいたが、南側は開けた広場になっており、人影は見当たらない。スピーカーは東側入り口に設置されていたが、校舎は東西に長く放送音量は微弱であったため、西側にいた人物が放送を聞き取れたとは考えにくい。

 いるとすれば校舎の東側か、北側のさほどスピーカーから離れていない位置だろう。


 もう一度、視界の範囲に人影がいないかどうかを目を凝らして確認してから、クロードは校舎東側を周り裏側へ向かった。

 すると。


「はっ……!?」


 目の前に広がっていたのは、彼の腰ほどもある高さまで伸びる草いきれに覆われた、一面の野原。

 見渡す限り緑に埋め尽くされた風景だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る