2.記載された契り

さりとて彼らは怠惰にだらける

「役に立たないわねぇ」


 しんと静まり返った、灰色の建物の屋上。

 そこから、彼女は一人ごちた。


 明るい月明かりに照らし出されたシルエットが、腰まで届きそうな長い巻き髪、晴れた夜だというのに差した傘、影だけでそれとわかるふんわりと裾の広がった華美なドレスという、まるで物語の中から抜け出て来たかのような少女の姿を映し出す。

 少しばかり身を引いて、下界にいる彼らの死角へ軽やかに身を隠すと、彼女と一緒に屋上の床に映る影も幻想的に踊った。


「馬鹿ねぇ、これじゃあ私たちの存在を怪しまれるじゃない。失敗するだけならまだしも、余計なことまでバラしてくれちゃって。

 ……まあ、いいわ。やっぱり、どちらにしてもあいつらを攻め落とさないと駄目なようね」


 口を尖らせて、彼女は傘を畳む。畳んだ傘は肩にもたれかけさせたままで、フリルの付いた派手な傘の柄を玩ぶようにくるりと回した。


「使えない駒たちが失敗するのも何度目かしらね。リスキーでも、最初から私が出て行った方が早かったかしら。

 ……思った以上に、どっちも難しいわね。急がないと、時間が来てしまう」


 物憂げにため息を吐き出し、組んだ腕を立てて右手で軽く頬杖をつく。


「どちらでもいい。彼が戻る前に集めないと。今度こそは、私が」


 言って彼女は唇を引き結び、決意に満ちた眼差しで空を見上げた。






+++++



 午後の気だるい昼下がり。

 今一つ効きの悪い空調の所為か、気だるさが更に輪をかけて増した部屋の中で、四人は何をするでもなくだらだらと集まっていた。


 古い空調が立てる耳障りな音で、学生たちの喧騒はほとんど聞こえない。もっとも、元より彼らの今いる場所は学園の外れであったため、聞こえてくるとしてもそれは鳥のさえずりや虫の音などの自然音が主だったのだが。

 会話が途切れ、しばらく機械の動作音だけが響き渡っていた静かな空間の中で、一人がおもむろに口火を切る。


「ところで、みなさんに大事なお話があるんですがー」


 暇を持て余していた面々は、おもむろに切り出したクロードの言に顔を上げた。少しばかり首を傾げて、ミツキが姿勢を正したクロードに目を向ける。


「何? また風邪引いたのクロードさん?」

「違う、今回はセーフだった。ってそうじゃなくて」


 ミツキの軽口に律儀に回答してから、クロードはテーブルに手を付き、改まった口調で三人に語りかける。


「昨日、仕事に行く前にー、キミらからデートの妨害を受けたじゃないですかー」


 ミツキの魔法で言葉通りに頭から水を浴びせられ、一緒にいた女の子はそのままに仕事へと引っ張って行かれたクロードは、若干の非難の色を交えながら言う。昨日の時点ではすぐ後に仕事が控えていたため、クロードにとって事態がうやむやのまま終わってしまったのだった。

 彼が言うなり、楽しそうに眼を光らせたシグとイツキが即座に話題に食いつく。


「妨害じゃないよ! あれは悲しい事故だったんだよクロード!」

「そうだよクロードさん、いやあ運が悪かったけど仕方ない!」

「うっせ! 白々しい!」


 半笑いで言った二人に迫力のない調子でかみついてから、気を取り直して咳払いし、クロードは続ける。


「あれからその子に、フォローメールを送ったりしたんですけどねー。もう丸一日近くは経過するのに、その子から一ッッッ切返信が来ないんだけど、一体全体どうしちゃってくれるんですかキミたち」


 クロードはじとっとした目線を投げかけた。

 三人は目をそらし、顔を上げない。

 本を読んだり携帯電話をいじったり、思い思いのことをしながらあえてクロードの言葉を完全にスルーする。

 冷たい。


「ちょ、反応しようよ! 可愛い女の子を一人失っちゃったんですよボク!」


 予想に違わぬクロードの反応に満足したのか、シグは笑って顔をあげると、親指を立てて至極爽やかに言い放る。


「大丈夫だよクロード、クロードならすぐにまたその辺でひっかければ、もっといい子を騙せるよ! やったね!」

「まー、それはそーですけどねー。……って違う、騙してないからね!」

「そういえばクロード、来月に女子大との合コンあるけど、来る?」

「マジで!? 行っちゃう!? いやそりゃ行くしかないでしょー」

「これでまた女の子騙せちゃうね! やったねクロード!」

「だな、次の可愛い女の子を騙……って違う、騙してないからね!」

「選りすぐりのメンバーらしいから、更に可愛い子を騙し放題だよ!」

「おお、よりどりみどりの騙し放……って違う、騙してないからね!」


 シグにのせられうっかりと冗談めかして言ってしまってから、クロードは慌てて取り消した。


 悪気があまりない、少々節操のない女好き。

 レッドカストルの学園内で、クロードの名はあまり聞こえのよくない風評と共に女子の間でそこそこ広まっている。

 曰く、女好き、無節操、軽佻浮薄、と。

 そのため最近では、レッドカストルの大学部や大学院の女性は警戒してあまりクロードに近付かない。今回のように、相手が学園内の人間である方が珍しいのだ。


 とはいえその一点を除けば、ぱっと見すこぶる好青年で成績も優秀なクロードであった。しかしどうにも噂が先行しすぎているため、学園の女性たちから容赦のない扱いを受ける彼は、しばしば男性陣からの哀愁と嘲笑をそそる。

 女子からのあまりに邪険な扱いように、周りの三人は思うところがなくはなかったが、色がついていても流れる噂に大きな嘘はないため、残念ながらクロードの評判を払拭するには至らない。より正確に言うならば、おおかた事実であるためフォローのしようがない、というのが正直なところだろう。


 もっとも、女好きという部分や、女性絡みで浮き名が流れるという点においては、その場にいた全員が該当したため、そうそうクロードのことばかりを言える立場ではなかったのであるが。


「僕はクロードさんのためを思ってやったのに」


 携帯電話から視線を外さぬまま、何気なくイツキは呟く。


「あの子、ほんのりメンヘラ気味で、付き合うとやたら束縛するようになるからやめといた方がいいよ。ホント面倒くさかったし」

「え、マジか。そういう系かあ……。じゃーやめてよかったかなー。束縛されんのとかホント無理なんだよねぇ、勘弁してくださいというか。

 ……ってちょっ」


 納得しかけたクロードは、がばりと身を起こした。


「イツキちゃん、あの子と付き合ってたの!?」

「一瞬だけだけどね」

「怖ッ! 狭いコミュニティ怖ッ!」


 震え上がったクロードを見ながらシグはにやにやと笑う。


「ま、如何せん学園内には女の子が少ないからねー」


 他人事だと思ってか、至って愉快そうに言った。


 レッドカストルに女子学生が少ないというのは、哀しくも純然たる事実である。

 元々、十数年前まで学園は男子校だった。今でこそだいぶ女性の人数も増えてきたが、大学部以上となると、三分の二が男性で占められているのだ。



 彼らの住まう場所は、学園都市・レッドカストル。

 その名の通り、研究機関や大学部を中心として幼稚舎に到るまでの教育機関を有する学園、レッドカストルを中心として形成された一大学園都市である。


 学園都市には、学園に通う者たちをターゲットとしたアパートやマンションをはじめとして、公共機関からショッピングモールまで、限られたエリアに生活に必要な施設が密集している。学生もさることながら、新しく出来た利便性の高い街に集ってきた人は少なくない。若年層が多いのは確かだが、治安が良く住みやすいので、老若男女がまんべんなく暮らしている街であった。


 しかし先述したように、街の中核である学園そのものには女子は少ないため、先ほどのような喜ばしくない偶然もたまに起こるのであった。


「だから学園内で見つけるのが間違ってるんだって。もっと外に目を向けないとクロード」

「だよねぇー……。もう女子大との合コンで頑張るしかないかー」


 神妙に頷くクロードの横から、イツキが口を挟む。


「ムリだよ、クロードさん街にまで噂広がってるもん」

「うっせ。……ってちょえ、マジか。イツキちゃんそれマジか」

「いやぁ、どうなんでしょうねー?」


 笑って誤魔化し、イツキはシグに話をふる。


「その点よりどりみどりじゃないの、シグさんなんかは」


 両手を広げてシグは肩をすくめる。


「まさか、俺はしがない助手に過ぎないからね」

「それでも未来のプロフェサー候補じゃない。引く手あまたでしょ」

「いえいえ、ワタクシはただの事務屋でございますよ」


 シグは冗談めかして舌を出した。

 四人の中でシグは若干年齢が高く、一人だけ既に働いている。教授の助手を務める傍ら事務仕事にたずさわっており、そういう意味で女子学生との接触は下手な学生より多い。

 なお、ミツキとイツキは大学部の学生で、クロードは大学院生である。

 ミツキが読んでいた本から顔をあげ、ちらりと目線だけシグを見上げた。


「俺、見た。昨日の午前中に、事務棟でシグさんが女子学生に取り囲まれてるとこ」

「はっはっは何を言うんだいミツキちゃん、気のせいに決まってるじゃないか」


 わざとらしく顎に手を当て、シグは足を組み替えながら笑った。


「全く何を言ってるんだい、見間違いなんじゃないかな」

「事務棟を堂々と闊歩かっぽしてる、若い黒髪メガネの見た目だけ好青年は、シグさん以外にいないと思う」

「ほらきっとアレだよ、蜃気楼か何かだよ」

「蜃気楼買い被るんじゃねぇ」


 いつものように適当にシグは煙に巻いた。あらゆることが内外に筒抜けのクロードと比べ、シグは私生活から何から謎なことが多い。


「あ、女の子と言えばミツキさん。面会みたいだよ」


 ふと視線を宙に泳がせ、イツキは遠くを見るような目つきになる。


「ミツキさんちのドアの前で、何人かの女の子がチャイムを鳴らして固唾を呑んで待機してますけど。あー、メインはあの子かな? セミロングでやや茶色い髪の子。見覚えあるな、ミツキさんと語学クラスが一緒の人じゃない?」


 まるで目の前の出来事をそのまま伝えているかのように、イツキは淡々と告げた。

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