クロードは派手に炎上する

「ちょっとミツキちゃん、なんか俺、風邪っぽいんですけど」

「大丈夫クロードさん、バカは風邪ひかないから」

「バカ!? いやいやいやそれ以前に俺、結構、体とか弱いんですけど!?」

「大丈夫大丈夫、気のせい気のせい」

「そーか気のせいかあ……気のせいじゃないと思うなぁ……」


 ミツキに適当にあしらわれ、クロードは小さく鼻をすすりあげた。


 彼らが集合したのは夕暮れ時であったため、既に遠くの山影へ日は沈みかけている。春になったとはいえ、日が沈めばまだまだ気温は低く肌寒い。そこへ水を被せられたとあっては、風邪気味になっても無理はないだろう。

 辛うじて仕事までに着替える時間があったのがクロードにとって救いであった。だが、髪の毛が濡れ首筋が冷え込んでいるためか、心なしか体全体が寒い。

 ミツキと共に物陰に身を隠しながら座り込んでいると、耳元で聞き慣れた声がした。


『はーい水も滴るいい男のクロードさん元気ー?』

「元気じゃねぇよ」


 イヤホンから聞こえてきた暢気なイツキの声にクロードはかみついた。


『じゃー元気じゃないとこ悪いけど、そろそろそっちに標的が行くんで、出動お願いしますね』


 隣のミツキをちらりと見てから、クロードは呟く。


「俺?」

『最初はやっぱ景気よくクロードさんじゃないとね! ほら、髪の毛もきっと乾くよ』

「そういう問題じゃなくね? つかイツキちゃん、動きたくないだけだろ」

『やだなぁ、そんなことあるはずないじゃないですか!

 僕は能力の特性上、粛々と相手の情報や動向を掴んでみなさんに伝える役目に徹するのが最適であるために、見せ場はこうやって優秀な皆様にお譲りして後方支援にまわっているというわけですよ。いやー残念だなー』

「嘘くさっ! いやホントな部分もあるけど!」


 クロードは濡れた髪をかきあげ、冗談めかした口調で言い放つ。


「しょがないなー、じゃあ俺やっちゃうか! 俺が全部倒しちゃうよ!」

『クロードさん素敵! カッコいい!

 因みにあと数十秒後に相手が到着するだろうからバレないように声控えてね!』

「うおっ」


 クロードは焦って自分の口を塞ぎ、壁にぴたりと身を寄せ更に慎重に隠れる。


「クロードさん、落ち着いて。一応仕事中だからね。先陣はよろしく」


 にやりと笑い交じりでミツキが囁いた。口出しをせず黙ってはいたが、ミツキもまたイヤホンでイツキの声を聞いていたのである。


「りょーかいりょーかい。んじゃミツキちゃん、フォローよろしく」

「はいよ」


 2人は音を立てないよう、小さく片手を打ち合わせた。






「シグさん、今回はなんだと思う?」


 視線はじっと下を見下ろしたままで、イツキは傍らにいるシグに問いかけた。

 ミツキとクロードのいるところからは少し離れた建物の中、辺りを一望できる場所に2人は待機している。外はだいぶ暗くなりつつあったが、下で動く人物を監視するのに支障が出るほどではない。

 ブレザーのポケットに手を入れたままで、シグは何の気なしに答える。


「順当に行けばカナヅチみたいなのとかじゃん? あの門の飾りを破壊するんでしょ?」


 頷いて、イツキは確認するように自分でも言った。


「穏やかじゃないですよねー。まあでも学生が手に入れられるモノとなると、その辺りが妥当な線かなぁ。あとは、バールとか金属バットとか?」

「だろうね。単独犯ならその程度でしょ」


 くしゃり、と髪の毛をいじり、イツキはやや不満そうに苦笑いする。


「あー、そしたらホントに今日は出る幕ないなあ。まあ、やることやったら、おとなしく皆さんの後ろに待機してますよ」

「いいと思うよ。温存温存、力は貴重だからね。

 ……と、そろそろ始まるっぽいよ」


 下の様子を一瞥しながら、シグは白い手袋をはめた。

 彼らが見張っているのは学園の外れ。外と繋がる小さな門がある場所である。ただしそこは主に通用口として用いられている門で、普段は鍵がかけられており、人が出入りすることは滅多にない。

 出入り口の両端にある門柱は、先端にライオンの姿を模した彫刻が施してあり、その彫刻の足元には十センチほどの飾りの石がはめ込まれていた。


 そこに近づいてくる、1つの影。


「じゃ、そろそろ行きますか。クロードだけじゃ心許こころもとないからね」

 ニヒルに笑って言うと、シグは次の瞬間、イツキの目の前からすっと姿を消した。

 それに動じるでもなく、イツキもまた立ち上がり、手にした携帯電話に向けて言葉を発した。






+++++



 落日の後、暗闇に沈んだ学園。

 その暗がりを慣れた足取りで進み、学園の外れの門まで単身やってきた影があった。


 影は辺りの様子を窺いつつ、近くに誰もいないことを確認すると、持っていた荷物を地面に置いた。

 自分は門柱に近付くと、上の彫刻まで手を伸ばし、手にしていたドライバーではめ込まれた石を一度、試しとばかりにコツリと叩く。

強度を確認してから、今度は大きく手を振り上げ、先ほどよりも強い力で石に向けドライバーを振り下ろそうとした。

 が。


「はいはーい、そこのお兄さん、ちょっとストップねー」


 気楽な口調の声が響いたかと思うと。


 突如、目の前の門柱から火が噴きだした。


 影は盛大にのけぞり、声にならない声をあげ、しりもちをつく。

 門が何の材質でできているかまでは分からなかったが、少なくとも石や金属などの無機物で出来ていることは確かだ。にもかかわらず、彼の目の前で門柱は炎に包まれている。簡単に燃える物質など、思いつく限りでは周囲に何もないというのに。


 火の明かりに照らしだされた影の正体は、まだ年の若い男性である。おざなりなことに、学園指定の制服に身を包んでいたため、ここの学生であることが一目瞭然いちもくりょうぜんであった。大学部生か大学院生なのだろう、顔立ちからして成人はしているようである。


「やーやーやー、だめだよ破壊とかしちゃー。俺たちの仕事も増えちゃうからねー」


 クロードが緊張感のない調子で、影こと『彼らの標的』に語りかける。男は口を呆けたように開けたまま、現れたクロードと、燃え上がった円柱とに視線を行き来させた。


「仕事がないのは困るんだけどね。破壊とかバイオレンスなのは勘弁、っていう」


 同じく緊張感のない台詞と共に、クロードの隣へもう一人の人物が姿を現した。やはり突然、まるで闇の中から浮かび上がるように登場したので、男はびくりと体を震わせる。

 クロードの横に登場したのはシグである。シグは手元のデジカメをしきりに操作していたが、やがて手を止めると、丁寧に男へデジカメの画面を向けて見せた。


「はいこれ現行犯、激写完了ー。学園への提出準備、万端」

「なっ……」


 いつの間に、という言葉を男は飲み込んだ。

 咄嗟に出てきそうになった言葉であったが、デジカメに映し出された光景はその言葉通り、確かに『いつの間に』と言うしかない光景だったのだ。


 デジカメに映し出されていたのは、男が腕を高く上げ、まさに振り下ろそうとした瞬間。

 ただしそのアングルは、男のすぐ目の前で撮影したかのように顔も狙われた彫刻もはっきりと至近距離で捉えている、普通に考えたら到底ありえないものだった。


 男が手を振り下ろす場には、まだ誰もそこにいなかったはずなのだ。

 すぐ後に現れたクロードでさえ。


「はい、というわけで没収ー。お疲れ様ー」


 男が途方に暮れていると、手にしたドライバーを、背後から不意に奪い取られた。反射的に振り向くと、男からむしり取ったドライバーをペンでも投げるかのように軽く放り投げ、シグが手の平でもてあそんでいるところだった。

 今度こそ、男はひくりと口を引きつらせる。


 さっきまで、シグは、男の数歩前に立っていたはずだ。


 考えるよりも先に、男の背筋を冷や汗が伝った。


「そんなわけで、悪いけど降参しちゃってくれないかな? そろそろ降参してくれないと、ちょっとね、支障がでてくるんだよねー」


 相変わらずの軽い調子でクロードが言うが、男は聞く耳を持たない。

 いや、持てないと言った方が正しい。シグから視線を外せないまま、男はその場で硬直しきっていた。シグはそれを知ってか知らずか、元いた場所にぶらぶらと戻り、手持無沙汰に男の所有物であったドライバーを放り投げているばかりだ。


 一方のクロードは、自分の言葉があえなく無視されたこととは別に、しきりに周囲の様子を気にし始め、どうしたことか少々焦りだしていた。


「やー、まずいよこれはそろそろどうにかしないと。俺のね、魔法ちゃんがね、そろそろ悪さしだしちゃう、っていうか」


 今度、ひくっと口を引きつらせたのは、男ではなくクロードの番である。


「あ、まずっ。これまずいよ、ミツキちゃん」


 言いながらクロードは半歩下がる。

 クロードにつられて男は彼の視線を辿り、背後を振り返った。と同時に、またもや男は唖然として固まる。シグにばかり気を取られて気が付かなかったが、何故気付かなかったのか疑問に思う程度には、相応に冗談ではない出来事が起こっていた。


 彼らの周囲は、今や春の夜にしてはかなり暖かく、そして明るい。

 男の背後に広がっていたのは、門全体が赤々と炎上している光景だった。


 先ほどよりも炎は威力を増して、男が狙った門柱のみならず、炎は門全体を包み込んでしまっている。その勢いたるや凄まじいもので、今では生身の体では彫刻まで到底近づけそうにない。

 地面に置いた荷物を引きずって炎から離し、男はその場から数歩後ずさった。男は分かりやすく狼狽ろうばいし、目を見開いている。

 しかしそれは、この炎を出した張本人たるクロードも同様なようであった。


「だーっ! これまずいマジまずいから! ちょ、収まれ! あ、これムリだわ収まらなかった! あーやっぱりねー。……ってそれじゃまずいんだよ!」


 頭を抱え一人で喚いてから、自分ではどうにもならないと早々に見切りを付けると、クロードはくるりと後ろを振り返り、暗がりに向けて助けを求める。


「ミツキちゃん、ミツキちゃん! お願い、消火消火!」

「クロードさん、うるさい! 分かったから落ち着け!」


 クロードともシグとも異なる声が響き、もう一つの影が闇から躍り出た。

 3人がいる場所から死角となっていた物陰から出てきたのは、純白のブレザーを羽織った若き青年。

 こんなこともあろうかと、いつでもクロードのフォローが出来るよう準備万端のまま待機していたミツキである。


 身軽にクロードの隣まで歩み出てから、ミツキは切れ長の瞳で無感動に男を見据えた。炎に照らしだされた空間に、ミツキの纏う白が映える。

 ミツキの姿を見て、今度は別の意味で男は目を見開いた。

 その白いブレザーが意味するところは、レッドカストルの学園にいるものならば誰もが知っている。


「し、……『白の魔術師』……!?」

「ま。そうとも言う、けどね」


 独り言のような男の呟きに、ミツキは肩をすくめながらも律儀に答えてみせた。


「所詮はただの特待生。さして、お見知りおき頂くほどじゃあない」


 言うと、ミツキはどこか哀愁を含ませた気色でにっと笑んだ。

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