櫓櫂
きのみ
櫓櫂
家路というものはすっかり定まっているので、道を選ぶことはありません。毎日似たような服装をして、同じような持ち物を運ぶので道端の人たちから見ても変化は少ないです。ただ、考えていることは毎日ちがいます。
その日は帰る直前にいきなり「これが終わったら島に行きましょう」などと言われたものだから私は腰を硬直させたのでした。彼は私が島というものに、特に南の島というものに全体的な好感を持っていることを知っていました。何故知ったのか、いつ知っていつからおぼえていたのか尋ねるようなことはしません。どうせいつか私がそう言ったのでしょう。好きなものについて話すのは素敵で、彼とはよく話したのでどこかで伝わったと考えるのが自然です。だからといってあんなに急に島に行こうなどと言うものですか。私が停止したのも自然です。
何を考えていても道は決まっているので、何も考えなくてもいつものスーパーに入っていました。カゴを持ってお買い物をします。島はその後で良いでしょう。先日はぜんぶを面倒くさがって味が強いという理由でチキン南蛮弁当に手を出しました。その日は魚にしました。トビウオがいたのです。かちかちした小骨をたのしむことにしました。何年も前に屋久島に行ったときは毎日トビウオばかり食べました。フェリーに驚いて海から飛び出すトビウオは思っていたよりも長く飛びました。いろいろと珍しいものを見たはずですが私の屋久島はトビウオの島なのです。
家についたら帰り道はおわりです。ごくろうさまでございました。ご飯を食べて、お風呂に入って、いくらか好きなことをしたり次の日の用意をしたりして就寝というのが本道でしょう。それでも本道は別に私の道ではないので通らなくても良いのです。ほとんどいつもインターネットを眺めてご飯を食べます。その日もそうしました。たくさんの人がいろいろなことをしているのを見ているうちに、不意に何かを思い出す必要を感じました。感じながらも画面を追うのでたくさんの情報と記憶と推論が錯綜してよくわからなくなるものです。だから彼の言葉を思い出せた理由もわかりません。そうだった、島だった、と思い出したのでその気になって行きたい島に思いを巡らしました。
わけもなく彼が言ったことを思い出したように、彼が言わなかったことも思い出しました。蚤の市の日程や、モンゴルの降水量や、蚕の繭の色が気になれば調べました。とにかく思考や連想が伸びたり縮んだりして、疲れるので眠くなります。なにもかも先送りにして、すべてが進まないままお布団に転がりました。明日もまた出かけて、帰るのです。
何十日もかけてやっと夏に慣れたというのにそろそろもう一枚着ないとな、と思ったのがその日の最後の記憶だったでしょう。まだ島には行っていません。
櫓櫂 きのみ @kinomimi23
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