第2話 楽屋――21時16分、YTB鴬台スタジオ

 衣装から私服に着替えて身体はだいぶ楽になったと思ったが、どうも背中の上半分が重い。両腕を頭上に伸ばし、身体を右に曲げると背骨がぱきりと鳴った。


「……あぁ」


「お疲れ様です」


 側にいたスタイリストの石橋いしばし亜里可ありかが気遣わしげに言ってくれたので、しらは自分が酷く疲れた人間の動作をしたのだと気付いた。


「やだ、なんかおばさんくさい声出したね、今」


「いえ色っぽいですハスキーで」


「またまた」


 笑って見せると石橋はほっとしたような表情を見せた。良く心配してくれる子だ。


「大丈夫ですか、疲れてません? お肌には全然出てませんけど、宣伝多くてスケジュール大変ですね」


「封切前だから、さすがにちょっとね。普段と違うタイプの番組が多いのが疲れるって言えば疲れるけど、もうピークも終わりじゃない? 亜里可ちゃんにも毎回来てもらって悪いね」


「いーえ、私はこれが仕事ですから、お仕事たくさんあるのは最高です。それに、白音さんの服選ぶの凄く楽しいですし」


 石橋はスタイリストとして白音と相性がよく、そのうえどこに行っても片付けの速さが天才的だ。散らかっていた楽屋は白音が着替えている間にすっかり綺麗になっている。石橋とマネージャの緒方とが二人ともいる場合、魔法のようなスピードで何もかも片付く。石橋は白音のマネージャではないので本来そこまで手伝う義務はないのだが、片づけが趣味なのだそうである。

 オレンジ色のパーマ頭のこのスタイリストが白音は好きだ。今まで出会ったスタイリストの中で一番上手に白音を作ってくれるし、冒険したいときもうまく合わせた提案をしてくれる。白音の似合うものが自分の趣味にもストライクなので最高にやりやすく楽しいのだと石橋は言ってくれるが、他のタレントについた時にも見事にやっている。はっきり言って、白音のルックスよりもそこを整え盛り付ける石橋のほうに才能があるのだ。こういう人に潰れず大成してほしい、と白音は思う。


「……そういえば」


 石橋はマフラーを巻きながら思い出したように言った。


「さっきいらしてたの、妹さんなんですね。あの鍵倉かぎくらはなさんだなんて、びっくりしました。私、写真集持ってますよ」


「ああ。仕事場に来るとは思わなかったな……まだ写真やってるんだ、親の真似っこだと思ってたら」


「そうなんですか?」


 多少硬くなった白音の表情を見ても石橋は特に動じない。若いスタイリストは良くタレントにいじめられるので、図太くなるのだと前に言っていた。その方がいい。毎度怯えて傷ついていたら生きては行けないだろう。

 白音は思い直して、苦笑を浮かべた。


「……正直、あたしにはあの子のこと良く分からないの。もしかしたらあなたの方が分かってるかもよ。あの子の写真を好きで買ってくれた人の方が」


 鍵倉花。去年の冬のはじめに『36℃』というタイトルの写真集を出し、その中の一枚が人気ミュージシャンのアルバムジャケット写真に使われたことも手伝って若い層に支持を得た写真家。本人は一切メディアに登場せず写真集にも顔写真はない。プロフィールはただ、十六歳、とだけ。女性とも高校生とも書かれていないし、中原なかはらえい市谷いちがやまどかの娘とも書かれていない。

 それが白音の六歳下の妹、青菊あおぎくだった。

 同じ家に暮らしていた頃も、白音は青菊という妹が良く分からないままだった。苦手だった。目障りだと思ったことも否定はできない。

 そのまま去年、青菊は空へ出て行き、白音は密かに、これで穏やかに暮らせると思った。

 青菊を見ていると何故か苛々する。小さい頃からずっとそうだった。何もかも噛み合わない姉妹だった。

 何となく理由は分かっている。

 白音は、自分より妹の方が父親に似ているのが嬉しくない。母親の容姿は白音が受け継いだ。だが、父親の才能は青菊が受け継いだ。白音と青菊の、母親は俳優で、父親は映画監督であり写真家である。白音はいまモデル兼俳優であり、青菊は写真家だ。


 苛々する。青菊に、そして自分に。


 パパに似た才能が欲しかった、と白音は思う。物語を産み出す力。想像を映像に叩き出す力。……それは、白音よりも青菊に多く引き継がれた。


 本当に苛々する。嫉妬なんか嫌いだ。醜くなる。


 さっき久々に会った妹は、意外なくらい大人びていた。独り暮らしが成長を手伝うのだろうか。

 白音はまだ、実家に住んでいる。


――昔撮ったお姉ちゃんの写真を次の写真集に入れる可能性が出てきてるんだけど、どうかな。一応許可取らないとダメだと思って。私の身元を隠したままで行くかどうかもまだ話し合いの途中だから、結局載せないかもしれないんだけど……


 そんな、一人前の仕事をしているみたいな物言いが気に障った。……いや、実際一人前に仕事はしているのだ。青菊はきちんとデビュー済みの写真家なのだから。

 それでも。

 白音は全面的に妹を認めることができない。


――やめてよあんな古い写真。わざわざそんな事言いに来たの?


 軽く拒否して、妹がどんな顔をしたかは見なかった。

 本当に、嫌になる。

 青菊がわざわざ会いに来るなんて、生まれて初めてのことだったのに。


「……一応あの子、素性は非公開ってことでやってるようだから、悪いけど亜里可ちゃんもこのことは内緒にしといてね」


 了解です、と言って石橋は、口の前に両手の人差し指でバツ印を作った。可愛い。その可愛さが手伝って、写真集買ってくれてありがとうね、と不自然にならない口調で言うことができた。

 あたしは芝居を覚えたなあ、と白音は少し辛くなる。


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