第2節 始まりの場所

その港町は世界一美しい。

いつだったか、そんなレビューがされていたのを見たことがある。

まさか自分が、そのレビューが真実であることを体感することになるとは思っていなかったが。


青い空、透明な海、美しい煉瓦造りの街並み。

街には至るところに水路が渡され、水と街が調和した造りになっている。

昼間は海の青が映え、夜は星空と温かな街頭が街を照らす。

気候は穏やかで、魚は美味く、人は親切。

それは、この世の天国というに他ならなかった。


「すんごい街だ」


まるで異世界ファンタジーのような街並みに、私は圧倒されていた。

私の横では、太陽の陽射しを浴びて祈さんがぐっと伸びをしている。


「うーん、やっぱり海の街は良いわね。ラピスとは大違いだわ」

「失礼な」


私の愛した故郷、ラピスだって決してこの街には負けていないはずだ。

そりゃあゴミは落ちてるし年寄りは多い、海も見えないし冬は寒い、建物も古びていておしゃれでもない。

勝てそうにないな!


タクシーを提案されたが、せっかくなので歩いて向かうことにした。

美しい光景に圧倒されながら、私たちは街を歩く。

松葉杖の歩行にもだいぶ慣れてきたが、それでも速度はあまり出ない。

でも、この街の緩やかな感じには合っている気がした。

祈さんは私の歩調に合わせながら、隣でゆっくり咀嚼するように街を眺めている。


「見てみなさいよ、メグ。中央広場よ」

「ふぇー、やばっ」


港を出るとすぐ町一番の大広場に出る。

中心に高い時計塔があり、時計塔の上に大きな鐘が吊るされているのが見えた。

雰囲気はラピスの街に似ているが、規模はアクアの方が一回り上だ。


よく見ると、広場自身が日時計のような造りになっているようだった。

時計塔は、自身でも時を刻みつつ、日時計の針の役割を果たしているという訳だ。


「それにしてもバカでかい鐘」

魔鐘ましょうね」

「魔鐘?」

世界遺産アーティファクトの一つよ。詳しいことは知らないけど、伝説の女神が作ったって言われてるみたい。アクアの観光名所の一つね」

「へぇ、売れば高いのかなぁ」

「あんたすぐ金勘定するのやめなさい」


あれだけのサイズの規模だ、きっと売れば一生遊んで暮らせるだろう。

この世の権力を全て私のものにしてもなおあまりあるほどの財が転がり込むに違いない。

そうなれば美少年を侍らし、街を一望できるタワマンを買い、ワインをくゆらせながら夜の街を見下ろそう。

足元にはコーギー犬とポメラニアン。

夜の街を見ながら、私達は寄り添う。


「本当にきれいな顔だね。あ、ダメよ、ワンちゃんが見てる。構うもんか、僕はもう我慢できない。あぁ~ん、だっめぇ~ん」

「キモ……何独り言言ってんの……下顎吹き飛ばすわよ」

「暴言がすぎる」


やいのやいの言いながら、広場を抜け、市場を抜け、大通りに沿って歩く。

と、右手側に大きく美しい建物が見えてきた。

ガラス張りの建物で、空を反射して青く染まって見える。


世界最先端の病院、アクア総合病院である。


「ようやく着いたわね。いやー、結構歩いたわ。メグ、体力は大丈夫?」

「あいにくフィジカルには自信がありましてね。今は空前のフィットネスブームらしいですし、時代は筋肉っす」

「あんた魔女よね?」


アクア総合病院は、港町アクアマリンに存在する大病院だ。

世界中の名医や研究者が集まり、そこで治療薬や医学療法の治験を行なっている。

設備も最新、技術も先鋭。

まさしくこの世の医学会の第一線を行く病院だ。


この病院の最大の特徴は、魔法医療が発達しているということ。

つまり、魔法を医療に取り込んだ最新鋭の治療が研究されているのだ。


薬学に魔法の技術が取り込まれるなど、魔法と医療は親和性が高い。

しかし魔法に対する差別や偏見、医療と魔法の知識を並行して持つ難度の高さから、まだまだ普及していないというのが現状。

その中で、アクア総合病院で魔法医療が発達している最大の理由は一つ。


七賢人の一人『生命の賢者』が所属していることにあった。


「さすが魔法と調和した施設だわ。中の魔力調整も完璧ね」

「病床の数や医者の人数、医療機器もかなりバランスが取れてるって観光ガイドに載ってましたよ」

「あんた観光する気満々じゃない」

「へへっ、そりゃあこんなリゾート地来たからにはね。据え膳食わぬは女の恥」


受付でコンタクトを取ると、それほど時間も掛からず中へ通された。

事前にアポイントは取ってあるものの、待遇が良い気がする。

恐らく、祈さんがいるおかげだろう。

七賢人の名は伊達じゃない。


関係者専用の中枢棟に入り、奥へと進んでいく。

患者が居た外来診療棟とは違い、ここでは白衣の医者や看護師が慌ただしげに動き回っていた。


「やっぱスタッフの数多いですね」

「多いだけじゃないわよ。ここに居るスタッフは一人ひとりが名のある技術者なんだから。米国の第一線で活躍してた看護師、国境の無い場所で医療NGOとして活動してきた腕利きの医師、一流大学病院の研究者。選び抜かれたスタッフだけがここに配置されてんのよ。世界中の医療従事者にとっては、ある意味で最終目標地点とも呼べるのかもね」


なんだかすごいスケールの話だ。

田舎町でお花をいじっていた田舎魔女がこんな場所に来てよいのだろうか。

そして私の目の前で話すこの足の臭い女は、そんな場所のトップゲスト扱いされるような人なのか。

色々考えた。


「あんた何か失礼なこと考えてない?」

「ふふ、御冗談を」


歩いていると、向かい側から背の小さなおじいさんが近づいてきた。

医者らしからぬ白いひげを携えており、ニコニコとした表情は他のスタッフには感じさせない余裕が漂っている。

白衣を着ていることから医者であることは間違い無いのであろうが、その緊張感のない姿を見た私はこう思った。


徘徊老人だと。


「祈さん、痴呆の方が白衣を着て立ってます」

「何言ってんの。あれはこの病院の院長よ」

「へっ?」


あれが世界最高峰の病院の院長だと?

私が目指し続けた、富と、名誉と、権力を得た存在の結晶があのラピスに居そうな白ひげハゲ頭……?

ハゲってそんなすごいのか? 私も出家してガンジス川の僧になるか? 水は生命の根源? 宇宙とは?

一人呆然としている私の様子にも気づかず、祈さんは院長に手を振る。


「院長、久しぶりね。元気してた?」

「元気いっぱいじゃよ。二人とも遠路はるばるよく来なすった」

「ほら、メグ、挨拶なさい」

「魔女のメグ・ラズベリーです。七賢人の一人、永年の魔女ファウストの弟子です」

「よく存じておるよ。ファウスト様のことも、お前さんのこともな」


「えっ」と同時に声があがる。

祈さんも驚いていた。


「院長、この子のこと知ってるの?」

「もちろん知っておるよ。今から十数年前、わしが治療をしたからのう」


私は、静かに息を呑む。

十数年前。

私の両親が死に、お師匠様に預けられた頃。

目の前の老人は、その頃の事を知っている。


「魔女メグ・ラズベリー。ここはお前さんが幼い頃治療を受けた場所。お前さんにとっては『始まりの場所』とも呼べるかもしれんのう」


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