第5節 私の夢

私達が足を運んだのは、広場の傍にあるパン屋だった。

ここではカフェスペースがあり、購入したパンを店内で食べることが出来る。


目の前で、ソフィはその小さな口でサンドイッチをもぐもぐと頬張っていた。

まるでハムスターのようになっている。

こうして見ると私よりむしろ年下だ。

とても今世間を騒がせる天才魔女には思えない。


「ふぉふぃふぁふぇ」

「うむ、一言もわからん」


ゴクリ、と彼女は咀嚼物を飲み込む。


「美味しい」

「でしょ。ここ、さっき会ったオネットの両親が経営してるんすよ」


ソフィは紅茶を口に運びながら、物珍しげに店内を見回す。

平日のまだ午前中、店内の客は私達だけだった。

この時間に、カフェスペースを使う客はほぼ居ない。


緩やかなジャズがかかった店内からは街の大通りを見渡すことが出来る。

どこか慌ただしい会社員、ベビーカーを押す女性、杖をついて歩く老人。

どれも、この街の日常だ。


「いい街。穏やかで、みんな気さく」

「それだけが取り柄の地方都市ですから」


何気ない会話のはずなのに、ソフィの表情はどこかさみしげで空虚だ。

冬という季節が持つ寂しさを形にしたら、この様になるのではないだろうか。


「ねぇ、ズベリー」

「ラズベリーです」

「あなたはどうして魔法を学ぶの」

「えっ?」


急な質問で、言葉に詰まった。

何を意図してそんなことを尋ねるのだ。


「ファウストの下であなたは魔法を学んでる。何故」

「何故、と言われましても。そうしないと生きていけなかったので」

「どういうこと」

「私、孤児なんですよ。幼い時両親を事故で亡くしてて。施設に入れられそうになった時、お師匠様が私を引き取ってくれたんです。それ以来、お師匠様が親代わりって感じで」

「孤児……」

「物心ついた時から当たり前に魔法があったんですよ。確かソフィさんも、小さい時から魔法を勉強してたんですよね」

「私はそうする必要があったから……」

「そうする必要?」


どういう意味だろう。


ソフィの出生にはかなり謎が多い。

幼い頃に彗星のごとく姿を見せた天才魔女。

彼女は天才的な頭脳と魔法の際で、あっという間に世界の表舞台に立った。

でもその過去は依然として闇の中で、ネットのどんな記事を見渡してもそこに言及しているものは存在しない。


その謎もまた、彼女が人気な理由の一つだった。


「あなたは魔法でやりたいこととかないの」

「金儲けです」即答した。「あ、でも……」

「でも?」

「まずは、生き抜くことかなぁ」

「生き抜く?」

「はい。長生きするのが第一です。いろんな人のこと、忘れたくないから」


私の命は、このまま行けばあと十ヶ月程度で消えてしまう。

でも、それだけは絶対に避けるのだと心に決めた。


成し遂げたいこと、大切だった人のこと、知りたいこと。

私には、生きねばならない理由が沢山あると気づいたから。


「ささやかだね、ズベリー」

「ラズベリーです」

「でも、魔法を扱うには、いろんなものを持ちすぎだね」

「どういうことです?」


ソフィは私の顔をじっと見る。

その表情には、それまでにない陰が感じられた。


「私の夢は、魔法をこの世から消すこと」

「魔法を?」

「私から全てを奪った魔法を消す。その為に私は魔法を学んできた」


ソフィの声は切実で、冗談を言っているようには見えない。

私は、その言葉が信じられなかった。

たぶん世界で一番人を感動させている魔女の目標が、魔法を消すことだって?


「ズベリー、同じ境遇だから、あなたに教えてあげる。全部を捨てないと魔法は身につかない」

「またまた、冗談も休み休み言って下さいよ」

「冗談……冗談」

「何それ」

「冗談を休み休み言っている」

「違う、そうじゃない」


その時、不意に人の気配がして私はハッと目を向けた。

そこに、体を小刻みに震わせるオネットが立っていた。


「おぅオネット。邪魔してるよ」

「め、メグ姉、その茶髪の人ってもしかして、ソフィ・ヘイター……?」


わなわなと震えると手でオネットはソフィを指さす。

人を指さすなと教わらなかったのかこいつは。


「あ、うん。そうだけど。さっき会ったっしょ?」

「だ、だって全然髪色違うじゃん。嘘だろ、あのソフィ・ヘイターが俺の実家で飯食ってる。茶髪でもめっちゃ可愛い……」

「あんたホントに気持ち悪いな」


呆れて思わず嘆息する。

オネットのせいで、、すっかり話の腰が折れてしまった。

ソフィももう話す気はないようで、何事もなかったかのように平然とした顔でお茶を口に運んでいる。


ただ……さっき一瞬見せた、ソフィの顔。

あれが、ソフィの見せた本当の顔の様に、私には思えた。

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