めちゃくちゃ


 少しずつ、ひとつずつ、計画立てて拾い上げるというのが苦手だった。夏休みの宿題はいつだってギリギリだったし、試験勉強はいつだって一気呵成にだった。コツコツよりもガーッとの方が性に合うと信じて生きてきた。だからこそ「めちゃくちゃ」はいい言葉だと思う。美味しそうな音を奏でるからだ。

 そこまで話してみせたら、彼女はふっと息を吐くように笑った。面白いと思っているのか、馬鹿にしているのかよくわからないなんでもない笑いだった。そういう時が一番怖い。いっそどちらかにしてほしいものだ。私はどこまでいってもガーッとな人間なのだから。

「一気呵成にやるのが好きなの?」

「うん」

 確認するような問いかけに頷く。彼女は私の言葉を繰り返しては何かを確かめる。なにを確かめられているかは分からない。けれど試されるのは嫌いじゃないから、迷うことなく頷いて言葉を付け足して解説する。

「ちまちまやるより一気にやるのがいい。だって世界が加速していくような気がするから。止まっていた風景が走り出して、動き出すのが好き」

 好き、という言葉を吐き出した時、胸のあたりがざわついた。嘘の匂いがする。慌てて振り払うために言葉を繰り返す。

「電車の動き出しも好き」

 角度を変えてなぞった線は紫色だと思った。そして直後に、順調に私も意味がわからなくなっていると笑う。

 けれど、「なるほどね」と小さく頷く彼女を見てしまって、奇を衒いすぎたかと不安になった。もともと煙を払って退けて明確に物事を伝えるのが好きだった。心は何としても正しく伝わってほしいから。正しいが大好きだったから。

 でも彼女相手にはそれをしたくない。意地みたいなものだと思う。彼女はこんなにも曖昧なのに、私だけが正確をなぞっていたら馬鹿みたいだと思ったから。めちゃくちゃな色で線を引いて、ぼやかして、投げかけて、彼女の反応を見つめて自分の言葉を確かめる。

 乱暴をしていると思った。彼女は深い湖のようにそれを受け止める。広がる波紋は静寂で音がないから見えない。だから乱暴なんかじゃないと心が息巻いて、めちゃくちゃをしてしまう。

「一気呵成は嫌い?」

 試してしまう。彼女は私の言葉に少しも驚いた様子なんか見せずに、ふわつく笑顔をこぼした。楽しそうだった。

「嫌いじゃないよ。必要だったらそうするし、必要じゃなかったら歩いていくよ」

「じゃあタクシーは一気呵成?」

「あれは虚数ルートかな」

 言葉に窮する。軽々と私の意味がわからないを飛び越えてくる彼女に圧倒的な差を感じて、悔しくって上を向く。けれど彼女はきっと競争なんてしていないのだ。これは自己満足でもないのだろう。だから悔しくって上を向いた。

 彼女は言葉を続ける。梯子を下ろす。置いてけぼりにはしない。どこまでいっても優しい人だ。

「なんていうか、裏門裏道みたいなもの。正攻法は頑なにしちゃうから」

「頑な」

「そう、頑な」

 重ねられる同じ言葉にむず痒さを覚える。どうやっても彼女の世界に届かない。私はふいと俯いた。悔しいを別の行動で示してみる。

「頑なだね」

 彼女はくすくすと笑った。

 ムッとしたのは久しぶりだったと思う。悔しいの表明をやめて勢いよく顔を上げる。

 彼女は机の上に置いてあった銀色の容器の蓋を開けようとしていた。開かないらしかった。

「何か固まってるのかな」

 頑なな銀色に、私の顔が反転して写り込んでいた。

 なんだお前だったのかと安堵にも似た思いを抱いて、それはやっぱり安心の形をして体の中に染み渡っていった。ポカポカしていた。そのくせに子供みたいな自分が嫌だった。

「まあいいや」

 彼女はそう言った。いったい水に何を混ぜる気だったのだろう。手遊びの多い彼女のことだ。きっとそこにあったから触っただけなのだろう。登山家がそこに山があるから登るように、彼女もそうしただけだろう。

 取り繕わない世界に、どうしようもない羨望を覚えて、紅茶で流し込む。三角色の赤の形がめちゃくちゃと美味しそうに染み渡っていった。

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