第21話
神社へ続く坂道で引いたり引かれたりした手が、彼女に引かれている。私から振りほどくわけもなく、繋がれた手を引かれながら黙って後を付いて歩く。家がどの辺りか聞いたことがあったけれど、実際に行ったことはなかったから、ただ付いていくしかないとも言える。
車道には、車がほとんど走っていない。
歩道ですれ違う人も、ほとんどいない。
おめでたいはずのお正月は、いつだってどこか物寂しい雰囲気が漂っている。
初詣や初売り、初がつく何かたち。
そう言ったものから外れると、途端に人気がなくなる。人を一所に集めてしまうお正月によって閑散とした街を眺めていると、半歩前を歩く鈴が唐突に言った。
「晶って、料理得意?」
「苦手。というか無理。調理実習以外で作ったことない」
「私も。お昼、一人分しか用意してないし、コンビニで何か買っていかない?」
あと一時間とちょっとでやってくる十二時に向け、料理とは縁遠い私は一も二もなく賛成する。
静まり返った街から、どこから湧いて出たのか人がそこそこいるコンビニへ向かう。繋いでいた手を離した私たちは明るい音楽に迎え入れられ、お昼ご飯とデザートを調達する。
白いビニール袋を手に提げて、角を何度か曲がって住宅街を歩く。しめ縄だとかしめ飾りだとかが飾られたお正月気分溢れる家並みを眺めながら進んでいると、鈴から手を握られる。
今日、何度か手を繋いだのにその行為にまだ慣れない。手を繋ぐという行為が当たり前にになるまでには、あと何回こうする必要があるのだろうと考えていると、「鈴」と親しげに彼女の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「明けましておめでとう」
視線の先には、ピンクのマフラーを巻いた女の人が一人。明るく染めた長い髪と同じように、明るい声で鈴に話しかける。
「おめでと。
「お正月くらいは帰らないとね。そっちは初詣?」
「うん」
「おばさんたちは? いつもお正月は、おばあちゃんのところじゃなかったっけ?」
「あとから行く」
「そっか」
私には誰だかわからない“雪花ちゃん”は、ちょっとした会話からわかるほどに鈴のことをよく知っているようだった。それを羨ましいとは思わないけれど、鈴にそれほど親しい人がいるということが不思議に思える。
冬休み前、先輩が『鈴って、友達いないから』と言っていたように、私が知る限り彼女に友達と呼べるほどの人間はいない。
「それにしても、鈴が友達と初詣に行くなんて、珍しいもの見ちゃった」
からかうように“雪花ちゃん”から言葉を投げられ、鈴の手に力が入った。ゆるく繋がっていた手がしっかりと握られる。
「違う」
否定の言葉がピンクのマフラーにぶつけられる。
「あれ? 初詣じゃないの?」
「初詣はあってる」
「じゃあ、何が間違ってるの?」
「――秘密」
否定したのは“友達”で、秘密にしたのは“恋人”。
それは、きっと間違っていないはずなのに、頭のどこかに何かが引っかかっているようにすっきりしない。胸の奥のもっと奥がちくちくする。
こんな風に落ち着かない気持ちになったのは、初めてじゃない。よく似た居心地の悪さを何度か感じたことがある。
「秘密ねえ」
“雪花ちゃん”が涼しげな目を怪訝そうに細める。けれど、すぐに口角を上げて笑顔を作ると、私の方を見た。
「この子、変な子だけど仲良くしてやってね」
「雪花ちゃんに言われなくても、仲良いから大丈夫」
言葉を向けられた私が答えるよりも先に、鈴が不機嫌そうに答えた。
「ならいいけど。友達に迷惑かけないようにしなよ」
「かけたりしない」
「嘘ばっかり」
くすくすと笑いながら、“雪花ちゃん”が自信を持って否定する。その自信の出所に胸をざわつかせていると、ピンクのマフラーが「じゃあね」と鈴の横を通り過ぎていく。
「今の人は?」
私は、背中を見送ることもなく歩き出した鈴に問いかける。
「近所のおねーさん」
「仲良いね」
「そうでもないよ」
そう答えた彼女の声は感情が読み取れないくらい平坦なもので、会話が途切れてしまう。わずかな沈黙は、行き先を知ってはいるけれど、辿り着く先を知らずに歩く私にはとても長く感じられて口を開く。
「家、どの辺りなの?」
答えのかわりに、鈴が歩くスピードを上げる。そして、三角屋根の家の前で足を止めた。
「ここ」
彼女の言葉に表札を見ると、そこには『柴田』の文字があった。車はないけれど駐車スペースであろう空間を抜けて、鈴が手を離す。玄関の鍵が開けられ、私は初めて彼女の家に足を踏み入れた。
「お邪魔します」
私の家よりも少し広い玄関で靴を脱いで、鈴の靴の隣に並べる。誰もいないと言っていた通り、玄関には他に靴がなくて心拍数が上がる。とくとくと脈打つ心臓は、私が高校に入ってからしたことがないくらい緊張していることを伝えてきていた。
話したいことが頭の中から飛んでいきそうで、ひらひらと暴れる言葉をピンで留めておく。
「部屋、二階だから」
告げられた言葉を追いかけて、階段を上る。鈴がドアを開けた部屋に入ると、ベッドと机が目に入った。あとは、小さなテーブルとクマのぬいぐるみが一つ。目立つものはそれくらいで、部屋の中は必要なものだけで構成されていた。
「適当に座ってて。飲み物持ってくる」
鈴は暖房を入れるとコンビニの袋を私に押しつけ、部屋を出る。
飛び抜けて目立つというわけではないけれど、整った顔にふわふわの髪と黒目がちな目。殺風景にも見える部屋は、どちらかと言えば甘い雰囲気の鈴には似つかわしくない。ただ、床にちょこんと座っているクマのぬいぐるみはピンク色で、それは彼女に似合いそうに見えた。
私はフルーツサンドとヨーグルトを袋から出して、テーブルの上へ置く。コートを脱いで部屋の中をぐるりと見回すとクマと目が合って、ぬいぐるみを抱いて座る。
ピンク色のそれは、“雪花ちゃん”のマフラー思い起こさせた。 クマの頭を撫でると、針鼠が針を立てるみたいに背中の神経がぴりぴりと逆立つ。細く長い針が皮膚を突き破るような不快感を覚える。
些細なことに囚われ、威嚇するように神経を毛羽立たせる自分に嫌気がさしてクマを少し離れた場所に座らせると、扉がかちゃりと開く。トレイを持った鈴がオレンジ色の液体が注がれたグラスをテーブルに二つ置き、私の向かい側に座った。
「ぬいぐるみ、気に入ったの?」
「なんで気に入ったと思うの?」
問いかけられて、浮かんだ疑問を口にする。
「ぬいぐるみの位置、変わってるから。抱っこでもしてたのかなーって」
「気に入ったわけじゃなくて、移動してもらっただけ」
「でも、好きでしょ。クマ」
そう断言すると、鈴がクマの手を取ってテーブルの上に座らせた。
好きか嫌いかで言えば、クマという生き物のぬいぐるみは好きだ。でも、この部屋にいるクマのことは、それほど好きにはなれない。私は鈴の言葉を否定するように、クマの鼻を人差し指でぴんっと弾く。
「ぬいぐるみがあるってことは、鈴も好きなんでしょ?」
「そういうわけじゃない」
鈴はさして興味がないといった風に答えると、ぬいぐるみを掴んでベッドに向かって投げる。ぽすん、と着地したクマは仰向けに寝転がった。
「晶が私の部屋にいるって、なんか変な感じ」
「私も落ち着かない。朝は、鈴の家に行くことになるなんて思ってなかったし」
何故、部屋に呼んでくれたのか。
何故、手を繋いで歩いてくれたのか。
色々と聞きたいことはあった。けれど、疑問をすべて口にして寄り道をしていたら、目的地に辿り着けなくなってしまいそうでやめておく。
「今日、鈴と話をしたいって思ってたから丁度良かった。聞きたいことがあったから」
「答えないって言ったら?」
本気とも冗談とも取れる口調で言って、鈴がオレンジ色の液体をごくりと飲む。
「それでも聞く」
「食べてからでもいい?」
私が「うん」と返事をしたときには、鈴はフルーツサンドの封を切っていた。オレンジジュースを一口飲んでから、私もイチゴやミカンよりも白いクリームがたくさん入ったパンを囓る。
鈴は、私が聞きたがっていることが何か気付いていると思う。それでも、彼女はくだらない話をしながら、クリームを飲み込んでいる。話をしてしまったら何も食べられないとでもいうように、私たちはパンを咀嚼し、ヨーグルトまで胃袋に収める。
お正月に話をするなら、もっと楽しい話がしたい。
ほんの少しそんなことを思ったけれど、私は頭の中に留めてあった言葉を剥がして読み上げた。
「先輩。――白川先輩って、鈴にとってどういう人なの? 付き合ってないって言ってたけど、好きとか嫌いとかあるよね?」
「白川先輩は白川先輩だよ。ただの先輩」
過去に聞いた台詞が耳に入ってくる。
初めから、素直に答えてくれるとは思っていない。だから、これは想定内の答えだ。私はオレンジジュースを受け取った答えごと飲み干して、先輩という言葉に含まれている何かを引き出す言葉を口にする。
「ただの先輩とキスする理由ってなに?」
「聞きたいことって、私が晶のこと好きかどうかってことだよね」
質問に返ってきたのは鈴の不機嫌そうな声で、想定外の答えだった。けれど、もう一つの聞きたいことでもあったから「それも知りたい」と素直に告げると、鈴が落ち着かない手で髪を引っ張った。
「前に答えたけど、また答えないと駄目なの?」
黙って頷くと、彼女は指先にくるくると巻いていた髪をほどいて迷うことなく答えた。
「好きの大きさや量が違っても、晶が好きなことには変わりないよ」
私に向けられた真っ直ぐな声と目。
どれも、ぶれることなく真っ直ぐだった。
でも、心に響かない。見えない壁に阻まれたように、声が見えているのに聞こえなかった。
どうして。
理由がすぐそこにあるような気がして、記憶を辿る。
私と一緒にいる鈴はとても楽しそうだったし、好きだと言えばとても嬉しそうにした。『好き』という言葉の交換は、秘密を共有しているような高揚感があった。
けれど、それは一方的なもので、狼狽えたり、慌てたりしていたのはいつも私だ。鈴は、どんなときも落ち着き払っていた。ずっと、そんなものなのかと思っていたけれど、そうじゃない。
「鈴、覚えてる? 最初に、私が鈴を好きにならなくてもよくて、付き合うのは私に好きな人が出来るまででいいって言ってたこと。何もしないっていうのも言ってた」
「覚えてる。今でもそう思ってるよ」
「私は、あれから鈴のことを好きになって。……今、鈴と同じようには思えない。鈴に私を好きになって欲しいし、付き合うならずっとが良いって思ってる。一緒にいたら、手を繋ぎたくなったりもする」
鈴の瞳がわずかに揺らぎ、何かを言いたげに口を開きかけたけれど、私は彼女の言葉を待たずに続けた。
「あの日も言ったけど、鈴が言う関係って、恋人じゃなくて友達でもかわらないと思う。鈴が考えてる友達と恋人の違いがわからない。鈴は何もしないんじゃなくて、何もしたくないんじゃないの?」
私の中にずっとあった澱のようなもの。
吐き出したものは、そういったものだった。
「――私だって、好きなら触れたいって思うよ」
小さなテーブルの向こうから、聞き逃してしまいそうな小さな声が聞こえた。
空になったグラスを超え、鈴の手が伸びてくる。
暖房に温められた手が頬をなぞり、唇に触れた。
息をのむ。
触れられた部分が火傷したみたいに熱くなる。
体の動かし方を忘れてしまったみたいに、鈴を見ていることしかできない。
彼女の顔が近づいてきて、呼吸すら忘れてしまいそうになる。
心臓は、取り外してしまいたいほどうるさかった。
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