過去と現在

第15話

 私から鈴に何度もメールを送って、鈴からも何度かメールが来た。


『一緒に帰れない』

『わかった』

『一緒に帰れる?』

『用事があるから』


 繰り返すメールの内容は、ほぼ同じだ。

 本当は用事なんてない。それでも、ないものをあると言い張って一緒に帰ることを拒み続けた結果、鈴からメールが来なくなった。何度も同じやりとりを繰り返し続ければどうなるか予想はしていたはずなのに、来なくなったメールに落胆している私がいる。


 先生の声を聞きながら、スマートフォンの画面を盗み見る。

 メールは、今日も来ない。

 たぶん、この先も来ない。

 私は、鈴との関係をねじ曲げた。今は、一緒に帰らないかわりにおはようと挨拶する関係になっている。自分で選んだ結末に文句を付けるなんて、勝手だと思う。

 私はスマートフォンを机の中に押し込んで、黒板に書かれた少し読みにくい文字をノートに写し取っていく。


 先生が教科書を持って教室の中を回り始めると、前の席の藤原さんが小さく折りたたんだノートの切れ端を私の机に置いた。先生に見つからないように中身を確認すると、「初詣どうなった?」と書いてあった。

 近づいてきている冬休みの予定はいくつか決まっていて、その中に鈴の名前はないけれど藤原さんと平野さんの名前がある。二人からは、初詣にも誘われていた。けれど、返事は二日前から保留している。


 私は小さなメモ用紙を取り出し、「もう少し待って」と書いて藤原さんの背中をつついた。折りたたんだ浅緑色の紙は藤原さんの手に渡り、すぐに「おっけー」と書かれた紙切れが机に置かれる。

 きっと、藤原さんも私が返事を待たせ続けている理由に気がついていると思う。

 ノートの端に上手くもないイルカの絵を描いて、小さく息を吐く。私は体に纏わり付こうとするため息を振り払い、イルカの隣に猫を描いてから顔を上げて黒板を見る。


 初詣に行くという習慣はないけれど、行かないと決めているわけでもない。

 私はもう一度、はあ、と息を吐き出す。落ち着かない気持ちをぶつけるように机の脚を軽く蹴ると、チャイムが鳴った。往生際が悪い先生が五分ほど喋り続けてから授業を終え、教室の中が一気に騒がしくなる。


 決められた場所に整然と並べられていたはずの机と椅子があちらこちらに散らばり、お弁当箱を片手に持った生徒たちに占領されていく。混じり合う絵の具のように、教室のいたるところから聞こえてくる声がいくつもの色を作り出していた。

 普段は離れた席にいる平野さんが藤原さんの隣に座っていて、二人から明るい声が聞こえてくる。

 私は話を聞きながら、机の上にお弁当箱を置く。けれど、そう長く二人のお喋りを聞くことはできなかった。聞き慣れた声が、藤原さんと平野さんの声を遮る。


「晶、借りていい?」


 声がした方へ視線をやれば、そこには鈴がいた。

 お昼休みに鈴が話しかけてくることなんて今までなかったことで、私は彼女をまじまじと見つめることになる。それは藤原さんと平野さんも同じで、彼女たちは言葉を失っていた。


「藤原さん、平野さん。いい?」


 鈴が黙り込んでいる二人に、温かみが感じられない声でもう一度問いかける。


「……急にどうしたの?」

「借りていくから」


 黙り込んでいる二人に変わって口にした疑問に、答えが返ってくることはなかった。かわりに、苛立ちを隠さない鈴が私の腕を掴む。半ば強引に立ち上がらされ、それを見た藤原さんが困ったように口を開いた。


「あ、うん」

「どうぞ」


 平野さんも仕方がないといった感じで言葉を返し、鈴が私の机の上へ視線をやる。


「晶、お弁当持って」

「ちょっと、鈴。どこ行くの?」


 慌ててお弁当を持って尋ねたけれど、答えはない。もたもたしていると、鈴がお弁当をひったくるようにして私から奪って歩き出す。教室を出て向かった先は階段で、行き先はすぐに想像できた。

 鈴の足は、良い記憶があるとは言い難い場所へ向かっている。私は気が進まないまま、彼女の後をついていく。毎日、誰かが掃除をしているはずなのに埃っぽさを感じる階段の先、屋上へ続く扉が見えて鈴が足を止めた。


「……寒くない?」


 あまり良いことがなかった場所に長居をするつもりにはなれず、鈴に同意を求める。真冬の校舎で、暖かい場所は教室の中くらいだ。二人きりで話すことが目的なら、こんなところよりも空き教室に忍び込んだ方が良い。

 けれど、鈴は厳めしい扉に寄りかかるように座り込むと、私から奪ったお弁当を床に置く。


「もう12月だしね。寒くない方がおかしいでしょ」


 動くつもりがないというように、鈴が私を見た。強い意志を持った瞳に見つめられて仕方なく腰を下ろすと、冷えた床に背筋がぴんっと伸びる。

 天気は悪くないけれど、やっぱり寒い。


 屋上から入り込んでくる冷気が絡みついてきて、体が小さく震える。寒さに背中を丸めると、鈴が私に体を寄せてきて肩が触れた。どくん、と心臓が鳴って、寒いはずなのに頬が少しだけ熱を持つ。

 鈴は、肩をくっつけたまま離れない。二人の間にあった隙間がなくなった分、暖かくなる。私も鈴から離れずにいると、不機嫌そうな声が聞こえてきた。


「で、晶。最近、なんなの?」

「なにって、何もないけど」

「何もないことないよね。最近、ずっと用事があって一緒に帰れないみたいだったし。私、断られてばっかりだったもん」


 端的なメールとは違い、鈴は饒舌だった。棘のある言葉で、ちくちくと私を刺してくる。


「……ちょっと忙しくて」


 ありもしない用事の内容は考えていなかったから、その場しのぎで適当な言葉を口にしたけれど、何が忙しいのかとは聞かれなかった。それは、私に用事がないことなんて、とっくに気がついているからに違いない。


 背にした扉を風が叩く音が聞こえる。

 冷えた空気が重くのしかかる中、私は彼女に謝るべきか考えた。

 鈴は何も言わずに、持ってきたお弁当を口にする。乾いた風の音を聞きながら、私も同じようにお弁当箱を開いて食べる。結局、私が言葉を発する前に鈴が沈黙を破った。


「もう一緒に帰らないつもり?」


 冬の空を思わせる凍えた声で問いかけられる。

 いつかは聞かれると思っていたのに、返事は用意していなかった。ちくちくと私を刺してきた棘には毒があったのか、頭が上手く回らない。私は、もう一度その場しのぎで適当な言葉を口にする。


「そうじゃないけど」

「そういう答えはいらない。帰るか、帰らないか。どっちかで教えて」

「……しばらく一緒に帰りたくない」


 ぽつりと呟いた言葉は私たちの間で凍り付き、階段を転げ落ちていく。

 鈴が私よりも短い髪に触れ、気難しそうに眉根を寄せながら毛先を弄ぶ。肩が触れ合っているのに、私には茨が生い茂った道の先に鈴がいるように思える。


「私のこと、嫌いになったってこと?」

「違う」


 そう答えて、鈴の手を握る。冷たい指先に、少しだけ肩が震えた。


「じゃあ、冬休み。どこかあけてよ。一緒に出かけるから。あ、断るっていう選択肢はないからね」


 返事をする前に、逃げ道を塞がれる。残された道は一つで、私はそれを「わかった」という言葉で選び、ついでに疑問を口にした。


「それ、いつでも良いの?」

「いいよ。晶に合わせるから、都合の良い日メールして」

「行き先は?」

「どこでもいいよ。晶が決めて」

「後から、文句言わない?」

「言わない。任せる」

「じゃあ、決めたらメールする」


 返事のかわりなのか、鈴が強く手を握り返してきて、心臓も握られたみたいに痛くなる。きりきりと締め付けられる胸に息を細く吐き出すと、鈴が食べかけのお弁当を片付けて立ち上がった。


「私、先に戻るから。約束、絶対に忘れないでよ」


 そう言い残すと、振り返らずに階段を下りていく。ぱたぱたと一定のリズムを刻む足音に、一緒に戻ろうと言えば良かったと思う。

 遠くなる背中に、中学生の私が映る。

 あのときの私も、背中を見送ることしかできなかった。

 浮かび上がってくる記憶を心の奥底に沈めたくて、頭をぶんっと振る。蘇ってくるあまり良いとは言えない思い出に、ため息を一つついた。

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