第7話
ほとんどの生徒が帰ってしまった放課後、私の目の前にいるべき鈴はどこかに姿を消していて、代わりに藤原さんと平野さんがいた。
「今日、柴田さんと一緒じゃないの?」
私の一つ前の席に腰掛けた藤原さんが体をこちらに向け、声をかけてくる。窓枠に背中を預けていた平野さんも、「最近、仲良いよね」と言って笑う。
鈴とセット商品のように扱われると思っていなかった私は、一瞬言葉に詰まる。彼女たちが私の放課後を知っていたという事実にも、戸惑う。だから、誤魔化すような言葉が口から出た。
「いつも一緒にいるわけじゃないよ」
「でも最近、柴田さんと一緒に帰ってるみたいだから」
「まあね」
夕焼けに染まる教室を見回しながら、藤原さんに曖昧な言葉を返す。それは事実を的確に表しているとは言い難い言葉で、まるで喉の奥に魚の骨が刺さったときのような引っかかりを感じたけれど、私はそれ以上は何も言わずにいた。
でも、不確かな言葉は二人を諦めさせるには不十分だったようで、平野さんが食い下がってくる。
「でも、他の人に比べて柴田さんと仲良いよね? 柴田さん、教室でいつも一人なのに鈴木さんとは一緒に帰るから」
「というか、なに考えてるかよくわかんない人だよね。どんな人なの?」
藤原さんも身を乗り出してくる。
「どんな人って……。普通かな」
「普通? そんなことないでしょ。ちょっと変わってるっていうか、近寄りがたいっていうか。ねえ、平野」
「そうそう。一匹狼みたいな。クラスに馴染もうとしてない、というよりは馴染みたくないって感じ」
「確かにそうだけど」
彼女たちの言葉は、クラスメイトからみた鈴のイメージそのものだと思う。私も鈴のことをずっと同じような目で見ていたから、否定はできない。ただ、今は一言付け加えても良いと思う程度には鈴のことを知っていた。
「でも、悪い人じゃないかな」
「そうなんだ。なんで仲が良いの?」
平野さんが好きなミュージシャンの話をするときのように、目を輝かせて尋ねてくる。
私には、二人がそこまで鈴のことを気にする理由がわからない。それでも、ここで何も答えなかったら、余計に二人が私と鈴の関係に興味を持つだろうということくらいはわかる。
「うーん、そうだな」
私は、平野さんを飛び越えて窓の外を見た。
ビルの向こう側に姿を隠そうとしている太陽が、視界を赤銅色に染める。それは、私にあの日を思い起こさせた。
『鈴木さんのことが好きだから、私の恋人になって欲しい』
鈴の台詞が頭の中に響く。
その言葉は現実となり、私は鈴の恋人ということになっている。けれど、そんなことを平野さんに言うわけにはいかない。
「たまたま仲が良いみたいな」
「たまたま?」
「偶然みたいな」
「なにそれ、よくわかんない」
平野さんが不思議そうな顔をして、藤原さんも「まったくわからない」と言って眉根を寄せる。
「うーん。上手く言えないけど、たまたまと偶然が重なって一緒に帰るようになったっていうか。でも、なんで急に柴田さんの話?」
鈴を柴田さんと呼ぶのは、久しぶりだった。藤原さんは私のあやふやな言葉に、「んー」と唸って机を人差し指で弾く。
「いや、意外だなって思って。鈴木さん、いつも一人で帰ってたし、誰かと一緒に帰ったりしないのかと思ってたから」
「ちょっと距離を置いてる感じだったからさ、私たちと。なんか、気になってて」
途中で平野さんが藤原さんの言葉を奪い、最後には二人の視線が私に集まった。
予想外のことに、私は小さく息を吐いた。
二人が鈴のことを気にしているというよりは、私のことを気にしているとは思わなかった。私は、彼女たちも私と同じように当たり障りのない関係を望んでいるのだと考えていたから、こんなときに返す言葉を用意していない。
「距離を置いていたわけじゃなかったんだけど」
口から出たのは、私がずっと抱えていた気持ちとは異なるものだった。有り体に言えば、この場を波風立てずに丸く収めるためのものだ。
ただ、次の言葉が出てこない。
彼女たちと親しくしたくないわけではなかった。でも、他人と深く関わりたくもないという思いもある。
藤原さんも、平野さんも喋らない。
私の言葉を待っている。
だから、選ばなければならない。
次に何を言うのかを。
頭の中を整理しながら息を短く吸って、吐き出す前。
鞄の中で何かが鳴った。
「スマホ?」
平野さんの視線が私の鞄に向く。
「ごめん。ちょっと待って」
机にかけてあった鞄を取り、スマートフォンを確認すると鈴からメールが来ていた。
『今日は先に帰って』
内容は、鈴らしいものだった。
私は要点だけしか書いていないメールに、わかったと返事を送る。
「今のって柴田さん?」
「うん」
藤原さんの言葉に頷くと、平野さんが尋ねてくる。
「そっかあ。……一緒に帰ろうって?」
「ううん。用事があるみたいだから」
「じゃあ、一緒にバス停まで行こうよ」
そう言って、藤原さんが立ち上がる。断る理由もない私は、スマートフォンをしまって鞄を持った。
夕焼け色の教室を後にして、昇降口へ向かう。磨かれて、踏まれて、くすみかけた床が三人分の足音を響かせる。
藤原さんも平野さんも、鈴の話はしない。先生の悪口まではいかないけれど文句のようなものや、格好いい先輩の話だとか。それほど盛り上がらないけれど、そんな話を続けながら歩く。階段を降りて昇降口まで来ると、三年生の集団が下駄箱を前に話し込んでいた。
「そういえば、柴田さんって三年生と仲良いんじゃないの?」
青い上履きと引き換えにローファーを取り出す三年生を横目に、藤原さんが私に問いかけてくる。
「そうなの?」
私は、鈴のことを知っているようで知らない。ほんのわずかに知っていることの中には、三年生と仲が良いなんていう情報はなかった。
「お姉ちゃんに用事があって、三年生の教室に行ったときに見かけたことがあるから。たぶん、三年に知り合いがいるんじゃないかな」
「ああ、藤原のお姉さんってこの学校なんだっけ」
「うん」
すべてを知っている必要はないけれど、私の知らないことを藤原さんが知っているというのはなんだか落ち着かない。そのせいか、二人の言葉は私の頭の中をすり抜けていく。
私は今まで鈴のことをそれほど知りたいと思わなかったから、彼女に私から何かを尋ねたことは数えるほどしかなかった。
今日、一緒に帰れない理由。
それがどんな理由なのか予想できないほど、私は鈴のことを知らなかった。知っていることは、藤原さんや平野さんよりもほんの少し多いだけで、今のように私よりも藤原さんの方が知っていることもある。それは、知らないとほぼ同じことのように思えた。
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